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2021年9月6日14:36
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展覧会 , 島根大学 , 教育
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私が昨年3月まで教えていた学生の卒業制作展がありました。
ここ20年ほどの間、教育学部の教員養成課程一本化、教員採用との需給関係是正などから、何回かの学部改組とそのたびの定員削減があり、今年の卒業生はたったの4人。
それぞれ絵画、彫刻、デザイン、美術教育の各ゼミでの卒業制作・論文発表でした。昨年は自習やゼミもあまり行われず大変だったと思いますが、よくここまで辿り着いたと思います。
この4月からは4人とも各出身地の中学校教員として出発します。
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2021年3月23日16:52
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展覧会 , 島根大学 , 教育
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「新井知生の40年と教え子たちの今」展のレポートの続きです。
今回の展覧会は私個人の回顧展ではなく、島根大学で教えたゼミ生たち32名(「教え子たちの今」パート)、またその間同僚としてお世話になった5名の先生方の作品も共に展示していただきました。
私の40年の絵画制作の期間は、そのまま美術教師として奉職した期間と重なります。その中で、2001年から3年に1度、私のゼミ卒業生たちと「SEED展(新井研究室卒業生ゼミ生展)」という展覧会を開催してきました。前回は2016年に第6回展を開催しています。今回、私の美術教師としての区切りの年に、多くのゼミ卒業生と共にこの展覧会を開催できたことは大変幸せでした。
以下、展覧会の「教え子たちの今」パートの挨拶文と会場風景を載せます。
ご挨拶
この展示は、島根大学教育学部芸術教育表現講座美術専攻(美術研究室)、新井知生教授ゼミ(絵画)の卒業生有志と現役ゼミ生で構成しています。
卒業生は、皆それぞれの地で仕事や家庭を持ち、忙しい中でも作品を作る楽しみと喜びを忘れず、制作することを生きる糧として続けてきました。
またゼミ生は卒業・修了制作に向け、自分らしい表現を見つけていこうと日々模索しています。
ここでは、来年退官予定の新井教授へ教え子たちからのささやかな感謝の意も含め、このような新井ゼミの教え子たちの「今」の作品を展示しています。
会場をご覧いただくと、多様な表現スタイルがあることに気づかれると思います。
教え子たちの個性に合わせた育成とその作品も、新井知生教授の美術教育指導の成果として見ていただけると幸いです。
また、この展覧会での発表を機会に自らの制作を見直し、これからも継続していくことの原動力としたいと思っています。
ご高覧の上、ご批判賜れば幸いに存じます。
2019年11月
新井研究室卒業生・ゼミ生一同
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2021年2月5日9:46
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展覧会 , 島根大学 , 教育 , 美術館
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たくさんの皆様にご覧いただきありがとうございました。
この展覧会は「新井知生」の40年に及ぶ制作活動を、年代と作品シリーズをもとに展示し、また卒業した教え子たちの今の作品も展示し、それを通して同じ長さで携わった教員としての活動の一端も同時にお見せするものでした。
1年半前に島根県立美術館の一般ギャラリー全室を借り上げてから、実行委員会を立ち上げ、会議と準備作業を定期的に行い、1/20模型で展示作品を決定し、古い作品を倉庫から引っ張り出し、自分で写真に撮り90ページの作品集も作成しました。また前日の搬入・飾り付けから会期中の会場係、アーティストトーク、懇親会、片付け・搬出まで多くの参加メンバーと学生に助けられてやってきました。
この展覧会は「新井知生」の集大成ではありますが、私はそれをいかに「新井知生」の望む形で皆様に伝えるか(「新井知生」のことを一番良く知っているのはたぶん私です)、また興行的にどうしたら展覧会がうまくいくかにかかりっきりになっていて、終わった今、何の感慨もありません。ただ、ほぼやり遂げたのではないか。行き届かないところがあったとしても、私の力ではこれが精一杯でしたと言えるだけはやったと思ってます。
(良くも悪くも)制作者・教育者としての「新井知生」はもうすでにあり、今回の展覧会で私はそれをプロデュースする楽しさと大変さを味わったところです。
ともかく実行委員はじめほんとうに多くの皆様に助けられて無事終了することが出来ました。
ありがとうございました。
※展覧会場の様子は「exhibition」の「新井知生の40年と教え子たちの今」展(2019.11.27-12.2)をご覧下さい。
こちらには、この展覧会のための準備や飾り付け、レセプション、アーティストトーク等の様子を載せます。
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2021年1月27日17:23
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展覧会 , 島根大学 , 現代美術
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「新井知生の40年と教え子たちの今」展
島根大学教育学部教授(美術科教育専攻・絵画担当)新井知生と新井研究室(絵画)の卒業生・ゼミ生よる展覧会(2019年11月27日から12月2日)に合わせて作品集を作成しました。
全90ページ、カラー図版64点。1冊1,500円です。
興味のある方はメール等で連絡ください。
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2018年12月10日18:32
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島根大学 , 教育 , 現代美術 , 研修
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日頃の活動の発表をする機会が2つありました。
1つ目は、昨年サヴァティカル研修で行ってきたカッセル・ドクメンタとヴェネティア・ビエンナーレについて、学部のアカデミック・カフェで報告しました。
内容は、
「現代美術って何?-国際芸術祭から見る現代美術」と題して、
国際芸術祭の紹介を通して現代美術作品の様相を伝え、その作品成立の根拠としてのコンセプチュアルな理念や、インスタレーションなどの表現形式についての見方や考え方について発表しました。写真を多く使って、美術が専門でない参加者が、今まで捕えられていた美術の概念から解放され、美術による新しい世界の見方が広がるようにという意図です。
コーヒーを飲みながら、柔らかくでもアカデミックに。
2つ目は、名古屋で行われた教科内容学会でのプロジェクト研究の発表。
教科内容学(教員養成系大学の教科専門教員が、その専門内容を教育実践における教科内容として構成し、体系化すること)において、美術が対象とする内容や構造の意味とそれを知る方法を確定するし、そこから美術の教科内容の原理を導き出し、それを基にした授業実践例を発表しました。今回は、その認識論としての定義の共通構造案を提示し、各教科が同じ構造で定義することによって、教科間の特質の違いを見出すよう試みました。
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2017年11月17日9:16
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島根大学 , 海外 , 現代美術 , 芸術
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8月31日から9月14日まで大学のサヴァティカル研修をいただいて、カッセルドクメンタ、ヴェネチア・ビエンナーレに行ってきました。今年は10年ぶりでこの2大芸術祭が同じ年に開催されるということで、見逃さずに行けて幸運でした。
まずはカッセルドクメンタから。
丸2日かけてタップリ見て回りましたが、週末だったせいか、どの会場もかなりの行列で、待つ時間も多かったです。
ドクメンタは退廃芸術展が元になっていることもあって、政治的な関わりや歴史の検証を含んだ作品が多いので、少し前の作品も参照されるように並んでいるし、スケールの大きさで圧倒する様なものではなく、マイノリティーの問題や記録性を持った作品が多かった気がします。
このことについての賛否の意見もいろいろな批評で出ていますが、私が初めてここに来た感想としては、とにかくこの活気が楽しい。特に私より明らかに年上のおばさま方が多く、その皆がジーンズとスニーカーを着こなして颯爽と会場を歩く姿を見ると、じぶんももっと楽しまなきゃと思ってしまいました。
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2016年9月30日18:27
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展覧会 , 島根大学 , 教育 , 版画
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1.廖修平先生との出会い
大学院時代のコラグラフ作品(1977)
上の作品は私が筑波大学の大学院生だった時に版画の実習授業で制作したものです。当時台湾人でニューヨーク在住の版画家、廖修平(リャオ・ショウピン)先生が客員教授として大学に招聘され、先生から1年間このコラグラフという版画を教えていただいた。もう40年も前のことになります。
コラグラフという版画は、紙、布、金属等種々の厚みのある素材をコラージュし、またモデリングペーストなどアクリルのメディウムを塗り込め凸凹を付けた厚紙を版とし、それを凹版印刷あるいは凹凸版の一版2色印刷するものです。今では日本でもコラグラフは版画手法の一つとしてだいぶ認められてきたが(それでもコラグラフを凸版版画として捉える向きが多々あります。基本的には凹版として発展してきたのが事実です)、当時はまだ日本ではほとんど知られておらず、私たちはこの外国からの先生の授業を、興味を持ちながらも恐る恐る受けていました。
廖先生は、他の大学の指導教員の先生方とは全く違っていました。彼らは私たちを全く自由に、放っておいてくれたのですが、廖先生は一つ一つの内容を丁寧にまた激しく熱心に教授してくださった。自らあみ出した独自の技法も惜しげもなく披露し、「この意味分かる?」という口癖を連発しながら、片時も休まず学生の間を歩き回っていました。先生からは自分の持っているものはともかく全部教えようという熱意を感じました。私はわたしの持っていないエネルギーに感心しながらも、実はその気迫と熱心さには少々たじろいだものでした。
当時の私は、殆ど授業に出ず雀荘や喫茶店に入り浸り、気だるい自由と怠惰を貪りまくっていました。傲慢にも、大学の授業には自分の求めるものはないし、何より芸術は人から教わるものではないと思っていました。自分で求め歩き、本を読み、試行錯誤して自ら掴み取ったものしか信じない偏屈な人間でしたが、かと言って自分の作品など簡単に出来るはずもなく、自分なりにはかなり悩み苦しんではいました。しかし、ろくに学校にも行かず先生にはことごとく反発し、そして「何者でもなかった」私を、廖先生は疑いも持たず「何者かになる」と信じて教えてくださった。その純粋な教育観と人間性に私は感動しました。私はそれまで出会った教員に影響を受けるということがほとんどなかったので、廖先生は教えていただくということのありがたさを感じた、また人間として信じてもよいと思える最初の先生でした。
廖先生の制作に対する純粋で真摯な態度に、私は強烈な印象を受け感動しました。しかし、私は持前の怠惰さで、その廖先生の授業さえ次第に怠けるようになっていたという記憶が残っています。今の私の基盤は大学時代が培ってくれたものだと、その点では悔いはないが、廖先生の授業をリタイアしてしまったことは我ながらつくづく情け無いなぁと思っていたのですが、先日荷物の中から上のような作品が何点か出てきて、一応最後まで頑張ったんだということが分かりホッとしました。
大学で廖先生と
2.コラグラフ再び
「島大通信」の表紙に使ったコラグラフ作品(1994)
大学卒業後、私は高校教員、大学教員として美術と絵画を教えながら自分の絵画作品を描いていました。もともと自分勝手に始めた絵描きというヤクザな商売の中で、学校教育という場所で自分の好きなことを教えることで生活ができ、しかも休みを利用して自分の制作ができるというのは全く僥倖と言うべきことですが。
島根大学に赴任して3年目の1994年当時、私は「STUFF」というシリーズで制作していました。私の描いていた作品はこのHPのを見ていただきたいのですが、1992年からこのスタイルで作品を制作・発表していました。一方、大学で年に2回発行している「島大通信」の表紙を任されていて、それには自分の描く絵画のスタイルではなく、他の面白いと思うスタイルや手法を自由に描いて載せてもらっていました。ある時、以前教わったコラグラフでこの表紙の作品を作ることを思いつきました。それが上の作品です。アクリルメディウムが乾かないうちにその場で感覚的にストローク等の跡を付け凸凹の版にした作品です。
その3年後、私は「STUFF」のスタイルに見切りをつけ、新しいスタイルに移行して行きます。3年前には全く気付かなかったのですが、その新しいスタイルとは、このコラグラフで表現しようとしていた内容-「自分がこの時、この場で生きているといることをアクションの跡として示し、絵画を時間と空間がともに収斂する場とする」-ことをコンセプトとしたものでした。その表現のために今までの絵画制作からコラグラフという版画制作に向かったのでした。(正確に言うと版画家に転向したわけではなく、描きたい作品のために版画という手法が必要だったということで、絵画での表現を辞めた訳ではなかったです)
3年前に軽い気持ちでちょっとだけ取り組んだコラグラフが、その後自分が目指す作品になるとは全く考えていませんでしたが、何か運命的な予感があったのかもしれません。
この制作の転換を機に、自分のコラグラフ制作と大学院時代からあこがれていたポップ・アートの研究にあたるため、ニューヨークでの研修を考えるようになりました。その時ニュージャージー在住の廖先生のことが脳裏に浮かびました。早速廖先生に連絡を取り、以前廖先生が教鞭をとっていたシートン・ホール大学の客員研究員になるための手続きをしました。
廖先生はたまたま客員教授として私に授業で教えただけで、その後20年近くも音沙汰のなかった一学生の申し出を快く引き受けてくれて、当時のシートン・ホール大学芸術学科の客員研究員の資格を取得できるよう手はずを整えてくださいました。そしてそれをもとに文化庁派遣芸術家在外研修員制度に応募し、ニューヨークでの1年間の研修を行うことができました。
3.ニューヨークでの研修
プリントメイキングワークショップで制作した作品
1997年、私たち家族がアメリカに渡った日、廖先生は私たちをニューアーク空港まで迎えに来てくれ、その日は先生宅に泊めていただいた。その後私たちの家の賃貸契約、ソーシャル・セキュリティー・カードの取得等アメリカでの生活の最初の段取りのほとんどを手伝っていただいた。私たち家族は、3人の子供はそれぞれ公立の小学校の1年と6年、高校の1年生として地元ニュージャージーの学校に通い、私は週のうちの2~3日をマンハッタンの23stにあるプリントメイキングワークショップで版画を制作し、その他の日は大学での研修や家での制作にあてるという生活でした。
時々朝早くに廖先生から「アライ、ちょっと来て」という電話が入り、私は先生の制作を手伝うため車で25分ほどかけて廖先生宅に行きました。廖先生は当時シルクスクリーン制作のための薬品で鼻をやられていて、替わりにその処理を行ったり、たまにはその時廖先生が制作していたペインティングの作品の中の一行程-それはコラージュした画面に絵具を塗り、それを凹版画の要領で拭き取る作業でしたが-を手伝ったりしました。作業が終わると昼にはいつも近くのイタリアンレストランに連れて行っていただいた。今でも廖先生の分厚い作品集の中のその作品を見ては「この部分は俺が手伝ったんだよなぁ」と思ったりしています。
プリントメイキングワークショップで制作した版画作品は、シートン・ホール大学のギャラリーとソーホーのキャスト・アイアンギャラリーの2か所で展示させていただいた。その他子供の学校行事に参加したり、フロリダやカナダ、グランドキャニオンなどに旅行したり、ニューヨークでの1年間の生活は私の人生の中でも特別なものになっている。とても語りつくせないので、参考にこのHPの[essay]の「NEW YORK HANGING AROUND」を見ていただきたい。
キャスト・アイアンギャラリーでの個展
またその12年後の2010年、研修先だったシートン・ホール大学のギャラリーでグループ展を開くことができました。10日余りの滞在期間中、当時の学部長だったDr.Chuのお宅にホームスティしながら、展覧会行事のほか、ニューヨークの美術館や当時私たちが住んでいた家を訪問するなど、なつかしさに浸った旅でした。このこともHPの[topics]「ニューヨーク滞在日記①~⑤」に詳しく書いています。
シートン・ホール大学ウォルシュギャラリーでのグループ展
4.廖先生との再会
廖修平「版図彍張 Expanding the Scope of Printing : a Gifted Venture with Liao Shiouping」展
そして今年廖先生は80歳になられた。とてもお元気で制作意欲も旺盛です。今まで先生は母国の台湾での制作発表や台湾師範大学での後進の指導だけでなく、世界各地での発表や版画の普及活動で多くの功績を残しています。それを讃えて今年は台湾各地で大規模な記念展が行われています。先生には台湾のみならず世界各国に教え子も多いため、その展覧会には多くの教え子の作品も同時展示されることとなりました。その一つが2月27日から3月20日まで台南市の台南文化中心で行われた「版図彍張 Expanding the Scope of Printing : a Gifted Venture with Liao Shiouping」展です。
私もこの展覧会に出品し、また参加するために台湾に行ってきました。台南市に着くとまずは飲茶のレストラン「度小月担仔麺」で廖先生と再会しました。ここは担々麺発祥の店。本場の飲茶も本当においしい。廖先生とは10数年ぶりの再会でしたが、全く変わることなく昔から知っているいつもの廖先生でした。
「度小月担仔麺」で廖先生と再会
この展覧会では1階の展示室に廖先生の作品約70点の展示、2階には廖先生の教え子達、アメリカ、カナダ、韓国等9か国から67名の版画作品が展示されました。
廖先生の教え子たちの作品展示風景
このあたりが日本の作家(私の作品は一番左)
展覧会のレセプション、懇親会も盛大で、私たち出品者も台湾式のたいへんなもてなしを受けました。
スピーチをする廖先生
余談ですが、もてなしと言えば展覧会関係だけでなく、台湾滞在中あらゆる場面で温かいもてなしを受けました。ちょうど私の大学の同級生が、台南市の「台南應用科技大学」版画科の客員教授として来ていたので彼とも再会(上の写真の私の右隣)し、彼の紹介で、台南應用科技大学内のホテル(ホテル学科の実習用ホテルでレセプションを学生が務めていた)に泊めていただいた上、版画科の主任教授の先生には朝、昼、晩とも台湾のおいしい料理をいただいた。版画科の学生達とも交流を深め、幸運なことに簡単なレクチャーもさせていただいた。また台北に回ってからも、台湾師範大学版画科の先生にお世話になるなど、台湾の方々のホスピタリティーに感激しました。
廖先生の大回顧展は台南市を皮切りに高雄文化中心、桃園文化中心を巡回し、今年9月からは台北市の國立歴史博物館で「福彩、版華。廖修平之多元藝道」という大回顧展が開催されています。
「福彩、版華。廖修平之多元藝道」展ポスター
40年にもわたってずっと慕っていられる恩師に出会えたのは本当にうれしいことです。
今、日本でも当時の教え子たちが廖先生を招いて展覧会を開こうと計画中で、もうすぐまた廖先生に会えそうです。
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2016年9月1日10:02
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私が島根大学教育学部美術研究室(現島根大学教育学部美術専攻)に赴任してからもう25年が経ってしまいました。その間送りだした絵画専攻ゼミ生は68名を数えます。
卒業生たちの多くは教職に就き、または何らかの形で美術に縁を持ち続けている者も多いのですが、それぞれ忙しい日々の中で、自分の絵を描き続けることはなかなか大変なようです。指導してきた者としては、卒業しても「絵を描く」ということを自分の生き方の糧として大切にして欲しいという気持ちがあります。絵画は大学の勉強の中だけで終わるものではないと思っています。そして、実際にはその継続が困難な卒業生が、社会に出てからも制作を続ける手助けになればと思い、15年前にこのSEED展(新井研究室卒業生・ゼミ生展)を企画しました。
2001年に第1回展を開催し、それから3年ごとに続けてきて今回で第6回展になります。そして、これはひとつの決断だったのですが、16年継続してきたこの展覧会も、一応今回を持って終了することとしました。
最後ということもあり、今回今までで最も多い32名の卒業生・ゼミ生が参加しました。32名は卒業後それぞれ様々な生活を営んでいます。したがって今回の展示もその卒業生ひとりひとりの生き方の上で生まれた多種多彩な作品となっていたわけで、この卒業生たちがそれぞれ自分なりに持ち続けてきた絵画への思いを、これを機に作品に込めてくれたのがこの展覧会の意義だったと考えています。
会期中、たくさんの皆さまにご高覧いただき、また励ましていただきましたことを深く感謝しております。
※なおここでは会場全体の様子が分かるようパノラマ写真を載せました。会場や作品の詳しい様子については[exhibition]をご覧ください。
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2015年11月8日18:17
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今年も米子―東京、何回も往復しました
2015.11.13
ゲルハルト・リヒター展
ワコウ・ワークス・オブ・アート
(写真撮影OK)
ヴォルフガング・ライプ展
ケンジタキギャラリー
ライプの代表作の一つに「ミルク・ストーン」がある。白い矩形の大理石の表面が薄くシャーレ状に削られていて、そこに牛乳が、表面が平になるように注がれているインスタレーションである。
2003年、国立近代美術館でのライプの回顧展で初めてそれを見た。一見ただの四角の石なのだが、よーく見ると表面に牛乳が張られている。それに気づいた時鳥肌がたった。幾何学的でミニマル、冷たく完結した世界と、有機的で豊穣、むせかえるような生命が溶けあっている。
その展覧会が猪熊弦一郎現代美術館に巡回して来た。
「ミルク・ストーン」の牛乳は腐るので毎日取り替えなくてはならない。猪熊弦一郎現代美術館はその役をボランティアとして募集したのだった。期間中毎日一人ずつ。
当時の私のゼミの院生が真っ先に応募して、その初日に当たった。彼女は石の表面に牛乳を注ぐ為だけに、始発の電車で島根から丸亀まで行き、開館前に牛乳を注いで帰って来た。
一見無駄に思えるその行為は、ライプの世界観を、身体と心で丸ごと感じとる事で、めったに味わえない素晴らしい体験ではなかったかと思う(実際はどうだったか聴きそびれたが)。今も制作活動を続けている彼女の血肉の一部になっていてくれたらと思う。
2015.11.13
ニキ・ド・サンファル展
国立新美術館
長く絵描きをやっているにもかかわらず、絵描き仲間はともかく、その他の美術関係者にはあまり知り合いがいない。その希少な知り合いの一人が増田静江さんだった。
もう30年も前の話だが、グループ展をみてもらったのがきっかけで、当時増田さんが上野の自社ビル内に開いていたギャラリー「スペース・ニキ」で個展をさせていただいた。
ギャラリー1階の入り口には大きなニキ・ド・サンファルの「ナナ」が飾られていた。
その頃増田さんはニキの作品を精力的に集めていて、那須に大きなニキの美術館を作る企画を着々と進めていた。
会うたびにニキのリトグラフの絵葉書を頂いた。ある時、渡辺豊重作品のユーモアが好きだと話したら、私の個展に渡辺豊重さんを呼んでくれたりした。
当時は勢いでなんでもやっていてわからなかったが、私の制作が細々とでも続けてこられたのは、増田さんのような方が、節目節目にちょこっ、ちょこっと出てきて後を押してくれたからなのではないかと、今になって思う。
今回のニキ・ド・サンファル展の展示作品の半分以上はYOKO増田静江コレクションのものである。彼女の長年の情熱がここまで大規模な展覧会を可能にした。増田さんがこれを見たらさぞ喜んだろうなと思いながら会場をまわった。
ところでウーマンリブのうねりの中で、女性の自由と解放を、自身の人生と作品で体現した(もちろん苦悩と闘いの果てにだが)ニキの展覧会らしく、来場者の8、9割は女性だった。特にご年配の方が多かった。なんだか間違って女性専用車両に乗ってしまったような感じだった。
2015.8.15
島根県立美術館、毎年夏休み恒例の、美術専攻生によるワークショップ、今年は「彫刻にチャレンジ けずって発見石膏アート」。子どもに混じって制作しました。
色水で染め、固めた石膏をヤスリで削って、カラフルな彫刻を作るもの。3年生が前期いっぱいかけて作成した企画です。
開催中のコレクション展の豊福知徳や植木茂の木彫作品の、ボリュームを持ちながら、削ってできる窪みや穴などの虚空間を生かしている彫刻的原理が、この題材の発想の元になっています。
割と簡単に削れるので子どもも楽しく制作していました。
2015.8.4
夏休みに入った途端に講習会ラッシュ。最近は資料作りの日々で、おかげでパワポの資料作成技術が上達した感じ。
先日の講習は「まつえ市民大学美術コース」の講座で、「抽象絵画に挑戦しよう!」というのをやった。1時間半くらい話をした後、トーナルカラーなどを使ってコラージュで抽象作品を制作。平均年齢65歳の一般の受講生にいきなり抽象はどうかなと思ったけど、結構面白い作品ができた。
それにしても受講者の制作を見ていると、女性はいとも軽々と、しなやかに感性の遊びを楽しんでるのに、男は頭ガチガチで観念から解放されない。これではやはり女性の方が人生の楽しみを味わえるし、長生きもするわなぁ(>_<)。
2015.6.14
山口大学出張の翌日。
泊まりは湯田温泉の旅館、西村屋。中原中也が結婚式を挙げた旅館です。おーー、ここに中也も泊まったのか!(^−^)。朝一番で近くの中原中也記念館へ。高校時代、中也からは青春の憂鬱と郷愁をいっぱい吸い込みました。吸い込み過ぎてずっとクラクラしていた。
その後、萩に移動して萩焼の窯元、兼田昌尚のところへ。彼は大学の同級生でマージャン仲間、彫刻科の出身。大学院終了後萩に戻り、今は八代目天寵山窯を襲名している。窯を見せてもらった。すごいなー。窯元の息子なのに彫刻をやったってところがミソ。彼の作陶技法はろくろを使わず、「刳貫(くりぬき)技法」と言って、板で土の面を打って成形し、中を刳り貫いて作る彫刻的な造形志向の強い技法です。
彼に松蔭神社や萩城跡など、「花燃ゆ」コースを案内してもらって、俄然大河ドラマに興味を持つ。
益田のグラントワに寄って帰りました。
2015.5.1
ガブリエル・オロスコの国内初の大規模個展。東京都現代美術館。
さりげなく世界の成り立ちを想起させる機知に富んだ切り口。何よりも限りなく優しいそのまなざしにグッときます。
<私の手は私の心臓>
<テーブルの上の砂>
<レモン・ゲーム>
2015.3.1
出張帰りにその地方の美術館に寄るのをひそかな楽しみにしてますが、今回は徳島帰りの丸亀・猪熊弦一郎美術館。ここへはエルネスト・ネト展以来、数年ぶり2回目。
猪熊は大好きだけど、ここの企画はいつもいい。
今は「鈴木理策写真展」で、タイトルが「意識の流れ」。最近「意識」という言葉が妙に引っかかる。鈴木の写真も「今、ここ」を写しながら、観る側の意識や記憶でどこか特別な時空に連れ出される。かといってどこに辿り着くかはわからない。
鈴木も「イメージが意味を生成する手前のところを示す」と言っている。
(写真は猪熊の作品です)
2014年10月20日
ヨコハマトリエンナーレ2014(横浜美術館 新港ピア)、創造界隈拠点連携会場(BankART Studio NYK 黄金町バザール)、神奈川芸術劇場KAAT(曽谷朝絵パブリックビューイング)
1日堪能しました。横浜美術館では、アーティスティックディレクター森村泰昌解説の音声ガイドを借りてみた。森村独特の鋭い切り口で、それを優しい言葉で語っていて良かった。チケット購入時に200円で借りられます。
今回のヨコトリは森村の性格か、かなり筋の通ったキチンとした展示だった。ただちょっと古い作品が多いのが気になったけど。
BankART Studio NYK も相変わらずすごいです。主会場より迫力あるかも。必見です。
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2014年12月30日11:19
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ワークショップ , 島根大学 , 教育 , 研修 , 美術館
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大原美術館
前回のtopicsが美術館巡りを半年分まとめて記録したのと同じように、今回「美研のあれこれ」もこの夏からの半期分をまとめて書くことになってしまいました。
もっとこまめに書かなくてはと思いつつ・・・・まぁ今年中に間に合っただけでもいいとして。
1.オープンキャンパス(8月7日)
島根大学教育学部は8月7日(木)にオープンキャンパスを開催しました。
午前中の全体説明に続いて午後は各専攻で個別入学体験が開かれました。
「美術専攻」では教員による専攻の説明(下の①②)と学生による授業の説明や交流(下の③④)、教員による持参作品の講評(下の⑤)という内容で実施しました。
専攻・コース入学体験 「ようこそアートの世界へ」
① 美術専攻4年間の学びについて
美術の各分野の紹介のほか、パワーポイントでカリキュラムの特徴・学生生活・実習や専攻別体験などを説明しました。
②推薦・前期入試について
推薦入試の内容と前期入試について説明し質問を受けつけました。
③絵画室などの施設と学生作品見学
学生が絵画室、彫刻室、デザイン室などの施設とそこに展示した授業作品を紹介し、授業の内容などを説明しました。
④在学生との交流会(写真①)
在校生15名ほどが絵画室で参加生徒と交流を持ちました。授業のこと、課題のこと、学生生活のことなど和気あいあいと話をしました。
⑤「持参作品の講評」
参加者が持参したデッサン、水彩画、油彩画、彫刻・工芸作品、ポスターなどのデザイン作品等を専攻の教員が講評・アドバイスをしました。
写真①
③の学生による施設や授業作品の解説はとても好評です。学生自身の口から大学生活のことや入試のことなど直接話を聞けるので、参考になりまた親近感がわくようです。
また私たち教員は特に⑤の「持参作品の講評」に力を入れています。たくさんの高校生の作品を見、またそれを通して高校生や先生方との交流を深められたら幸いです。
また島根大学教育学部美術専攻について興味のある方、質問等のある方は新井までメール(arai@edu.shimane-u.ac.jp)にてご相談ください。
なお美術専攻のデジタルパンフレット2014年版が、島根大学教育学部ホームページの以下のサイトでご覧になれます。
URL http://www.edu.shimane-u.ac.jp/ より「専攻分野」→「美術教育」→「美術教育専攻パンフレット2014年度版はこちら」
また、私たち教員スタッフについては同じく島根大学教育学部ホームページ「教育研究スタッフ」→「美術教育」でご覧になれます。
2.美術館ワークショップ(8月9日〜12日)
今年も島根県立美術館で子ども向けのワークショップを開催しました(写真②)。
これは3年生の専攻別体験学修の一環で、前期の「造形授業構成研究」授業の中で企画、題材設定、演習等をし、夏休みに美術館で実習を兼ねてワークショップを開くものです。
このワークショップで学生は美術題材の設定から実際の説明・指導ばかりでなく、様々な参加者との対応までを体験し、すぐ後期に控えている教育実習への基礎を築くものとなります。
今年は8月9日から12日の4日間、同時期に企画展として開催されている、「浮世絵」展とリンクして、「めざせ版画職人 色を重ねて浮世絵ランプ」と題して、木版の印刷を重ねた作品を使ってランプを作るワークショップを開催しました。(写真②、③パンフレット)
(写真②)
(写真③)
あらかじめ作ってある木版を多色刷りして、ランプシェードにするものです。とても複雑な手順なので時間もかかり、その分創作の時間が少なくなったのが残念だったですが、3年生8名の説明や事前の準備、また息もぴったりで気持ちの良いワークショップになりました。
3年生はこの経験を生かして9月から教育実習をしますが、学校教材の場合は、ワークショップの題材と違い、受講者が自らの独創での制作活動を多く入れなくてはいけません。またその時にすぐできてしまうのではなく、悩んだり葛藤したりする中で自分なりの造形物となるような活動を保証する指導が必要になります。そうした美術活動の本質を取りこんだ題材、授業案を創ることが教育実習では必要になってきます。
3.教育実習 (8月28日〜9月30日)
3年生の教育実習Ⅳが附属中学校で行われました。
8人の学生が4人ずつ1年生と3年生の担当になって授業題材を考え、1か月間の実習に取り組みました。
1年生は「抽象作品を作ろう−オノマトペをいかして−」。
ニョキニョキやビヨーンなどのオノマトペから連想されるかたちを土粘土で抽象作品として表現する制作です。抽象は中学生にとって難しい題材ですが、擬音のイメージをもとにすることで、形を立体的な抽象として表わすことにうまく結びつけました。制作の要点として①ボリュームを持つこと②動きを作ること③バランスを見ることの3点を説明して、純粋形態としての抽象に生徒の感覚が向かうように指導しました。充実した実践で面白い作品が生まれたと思います。(写真④⑤⑥)
(写真④)
(写真⑤)
(写真⑥)
3年生は「針金で創ろう立体アート」。こちらも立体の抽象作品制作です。針金という線材を直線、曲線などいろいろな形に変形することで、動きを持った抽象作品制作を行いました。こちらは、制作の要点を①線の動きで空間を作る②線のつながりで面を感じる③全体のバランスを作る、の3点として、やはり感覚的な抽象制作への目を生徒に持たせるようにしました。(写真⑦⑧⑨)
(写真⑦)
(写真⑧)
(写真⑨)
今回、1,3年とも題材が抽象の立体作品制作となりましたが、両学年とも立体としての造形要素とをきちんと取り入れ、既成概念でできる説明的、観念的な形にしないで、形そのものの面白さ、美しさを創造し感じるよう指導できたことが成果だと思います。
4.島根大学公開講座 −シルクスクリーンでオリジナルプリントを作ろう−
(10月30日〜11月13日)
毎年秋恒例の島根大学生涯学習講座、今年は「版画講座」−シルクスクリーンでオリジナルプリントを作ろう−と題して3週に渡って実施しました。
この講座、はじめのころは油彩画をやっていましたが、最近は版画講座シリーズで、一昨年の木版リトグラフ、昨年の厚紙版ドライポイントでした。今年はシルクスクリーン。
自分だけのオリジナルマークをデザインして、それをシルクスクリーンのカッティング法で製版します。できたら皆でTシャツやハンカチ等の布にプリント。
最後はみんなで寄せプリントをしました。(写真⑩⑪⑫⑬)
このシルクスクリーンのカッティング法は、制作手順が変化に富んで面白く、しかも初心者でもそれぞれ自分の構想に合わせて皆うまく作れるので、楽しくそして達成感のある制作になります。
(写真⑩)
(写真⑪)
(写真⑫)
(写真⑬)
5.「教員養成モデルカリキュラムの試行的実践と改善 第2回シンポジウム」
(於:鳴門教育大学)に討論会評価者として参加しました。
2014年12月3日、鳴門教育大学にて「教員養成モデルカリキュラムの試行的実践と改善 第2回シンポジウム 『学生に教科の本質をどう伝えるか −中学校教員養成における教科専門科目のあり方−』」(写真⑭)が開催されました。
(写真⑭)
このシンポジウムでは鳴門教育大学が長年取り組んでいる、教員養成教育のためのカリキュラムや教科内容授業研究の成果の発表と、またそれに対して協議が行われました。
今回、そのシンポジウムでのテーマとして「中学校教員養成における教科専門科目のあり方」に関する発表と討論会が行われ、私はそれを受けて最終評価をしました。
教員養成大学・学部の教科専門教員の行うべき授業については、2004年の在り方懇の答申以来、教科内容学研究という形で研究が重ねられてきました。現在鳴門教育大学を中心にそのテキスト化が進められていますが、今回のシンポジウムは、教科専門教員の授業内容を、教員の実際の発表をもとにしてもう一度検証しようとしたものです。
私は何人かの教科専門教員の授業実践報告と討議の後で、現在の教科専門教員の立場と課題を、○専門教育に対する教員の意識の転換、○専門内容の教育実践の立場からの再構築、○教科内容の構成原理としての学問研究のメタ化と「専門的視座」の獲得、学問史修得 などの点を中心にまとめました。(写真⑮⑯)
今や、教員養成大学・学部の教科専門教員の授業に関するこのような論議は避けては通れないものとなっています。
(写真⑮)
(写真⑯)
鳴門教育大学は島根からはかなり遠く6時間以上かかります。シンポジウムの翌日、島根に帰る途中、倉敷に途中下車し大原美術館に行きました。
ここに来るのはもう6回目か7回目になります。おなじみの作品と再会しました。
ゴッホからセザンヌ、ピカソ、マティス、モディリアー二、クレー・・・高校生のころ、毎晩図録や画集を喰らいつくように見ていた作品たちです。これらの作品との出会いから私は美術に夢中になり、いつの間にか絵とともに歩む人生を選んでしまうことになってしまった。近代美術との出会いは私にとって運命だと思います。
大学を出てからは、自分の絵画探求上の方向として現代における絵画の在り方を追求する中で、近代美術は超克すべき存在となりました。近代の個人主義、人道主義、造形主義を乗り越えないと今の自分の絵画を確立できないものとなりました。
それからは展覧会でもずっと現代美術を追い続け、最近では知らないアーティストの新しい作品を求めて、ガツガツと展覧会を回っていますが、その日ばかりは近代絵画を懐古しました。たまにはいいでしょう。
ところで、大原美術館の分館は日本美術の専門館で、やはり懐かしい作品がたくさんあります。その地下を行くと現代美術が展示してあり、その一番奥には、あまり知られていないけど、今をときめく作家の作品−東島毅、堂本右美、津森みゆき、会田誠・・・・−がひっそりと展示されています。いいものばかりです。ここに来るとさすがに血がさわぐ。
ということで今年も年が詰まったところで慌てて「美研のあれこれ」をまとめて書きました。
来年はきちんと報告できるようにしたいです。
よいお年を!