美研のあれこれ⑤

ハロウィングッズ集合
ハロウィングッズ集合

1.卒研中間発表会(10月5日)

今年もまた恒例の卒業研究中間発表会がありました。(写真①)

発表者は4年生8名(絵画専攻2、デザイン専攻1、彫刻専攻2、工芸1、美術教育専攻2)。

この中間発表では、3年後期から約1年間、演習 Ⅱ 授業やゼミなどで研究してきた卒業制作(論文)の概要を全専攻生と教員を前にして発表します。
来年2月の発表会及び美術館での展覧会が最終発表の機会になりますが、研究段階としてはこの時期がもっとも大切で、この発表会までに研究作品のコンセプトとスタイルを確立し、どのような卒業作品となるかを示さなければなりません。

卒業研究中間発表会
(写真①)

今年も絵画ゼミ生の研究経過をちょっとだけ紹介すると、
Fさんは、不安や虚無感などのネガティブな感情が、弱くて脆い人間の真実だと感じ、その不安定な感覚を、自分が幼少期から経験してきた記憶–蝶や虫の羽、植物の葉などとの関連–から形象化しようとしています(写真②)。
Fさんのような、若く元気なお嬢さんがこのような感覚を内に携え、それを作品化しているところが今日的?と言えるでしょうか。ウエットだけど軽く、曖昧だけどキュートで、鑑賞者の心にシンと沁み入るような形体と空間は生まれるでしょうか。
Hさんは一般の人が何とも思わない、あるいはかわいいとかおいしいとか感じるもの、例えば人形とか苺や桃などのくだものとかに不快感を覚えていました。今ではトラウマとなっているそのような気持ち悪さを画面にぶちまけることにより、理解され難い個人の感覚を作品化することをテーマとしています(写真③)。
多量のメディウムや油彩絵具を使い、抽象化させた画面はかなり迫力が出てきました。ただ画面を気持悪く見せればいいのではなく、いわば捨て鉢な叫びのようなものが、個人のものでしかないものを「ふーむそういう感覚あるかも」と思わせることができるかがポイント。
あと2カ月!2人のこれからの精進が期待されます。

Fさんの作品
(写真②)
Hさんの作品
(写真③)


2.公開講座-版画講座(10月13日~11月10日)

生涯学習センター主催の一般向け講座ですが、今年も昨年に引き続き「ドライポイントプレートで凹凸版刷りを楽しもう」と題して版画の講座(全4回)を開きました。(写真④)
基本的にはドライポイントですが、版に厚紙を使いそれにニードルやビュラン、ルーレット等の道具で線描する(いわゆるドライポイント版画)の他に、紙や布などのコラージュを施して様々な表現効果が楽しめます。(写真⑤)

また1つの版で凸版刷り、凹版刷り、凹凸版刷りの3種類の印刷をすることで、それぞれ違った表情の作品ができ、刷りも楽しめる版画です。(写真⑥)

たくさんの作品ができました。できた作品を飾って発表会です。(写真⑦)

版画の講座
(写真④)


版画の講座2
(写真⑤)
版画の講座3
(写真⑥)


版画の講座発表会
(写真⑦)

3.教科内容学研修会 「増井三夫氏講演会」(11月9日)

私たち教育学部教員5人で共同研究している「教科内容学研究の開発と推進」プロジェクトも3年目を迎えました。
今回の研究会は聖徳大学児童学部教授、増井三夫氏による講演会と討論会を行いました。
演題は「教科内容学の現状と課題内容構成研究」。
増井氏は長年にわたり教科内容学の研究を進められており、現在内容構成学研究において先導的役割を果たされている方です。
「教員養成における教科内容学研究」(日本教育大学協会特別研究助成事業)、「教科専門と教科教育を架橋する教育研究領域に関する調査研究」(文部科学省先導的大学改革推進委託事業)等数々のプロジェクトの中心となって多くの著書や論文を発表されています。
今回の講演会では教科内容学研究の歴史や現状、また現在の論点やご自身の立場などをご講演いただきました。
その後の質疑応答では、教科内容研究は「学」と成り得るか、教科専門教員による教科内容授業の在り方とはといった問題が出され活発な議論がなされました。
島根大学教育学部で2004年から行われている「教科内容構成研究」授業を進めている私たちにとって、今回の講演会は教科内容学について初めて網羅的に把握できたばかりでなく、私たちの授業が全国的趨勢の中でどのような位置にあり、どのような意義があるのかを知り、また「教科内容構成研究」授業の在り方を省みる絶好の機会となりました。(写真⑧)

教科内容学研修会 「増田三夫氏講演会」
(写真⑧)

【柴田鑑三展 Hello-G◎Dbye —その時は忘れた頃にやってくる—】2011.10.29
手錢邸・神門の家/北のハウス

手錢邸
手錢邸庭園と手錢記念館

10月29日(土)、学生を連れて、出雲市にある手錢邸に「柴田鑑三展 Hello-G◎Dbye –その時は忘れた頃にやってくる–」を見に行ってきました。
手錢邸はそのすぐ隣にある手錢記念館の所有者、手錢家のお屋敷(だと思います)。手錢記念館は江戸時代に建てられた米蔵と酒蔵を改装した美術館で、主に島根県出雲地方の美術や伝統工芸などを展示しています。
今回の柴田鑑三展は江戸時代に建てられた手錢邸と、大正時代の建築で出雲大社の神門通りにある「神門の家/北のハウス」の2か所での現代美術の展示でした。
この地域でしかも伝統工芸を扱っている美術館主催の現代美術の展示はとても珍しく、とても興味を持って楽しみにして行きました。この企画は美術、文化、伝統について再考することを目的に「つづくこと・なくなること・くりかえされること」とタイトルされて、2008年から続いているそうです。
柴田は1981年生、東京芸大の彫刻科出身のアーティストで、今回の手錢邸の作品は写真①、②のようなものです。

柴田鑑三作「私のうつわ」
(写真①)私のうつわ-虹の人-(クリックで拡大します)


柴田鑑三作「うつわのうつわ」
(写真②)うつわのうつわ-抹茶茶碗-(クリックで拡大します)

どちらも市販の色紙を細く丸め、それを積み上げたもの。それぞれのタイトルが示すように「私」と「茶器」の外形に沿って丸めた色紙を重ねて貼ってできた形です。いわば実体の形から色紙の長さだけはみ出たぬけ殻、あるいはその分だけ虚となった形。色の部分を内側にして丸めているので、透けて見える色によって素材感が変わって見え面白い。
「うつわのうつわ」はカチッとした感じでの実体のネガとして強固な感じを受けるが、「私のうつわ」は、足の部分は足の様相を保っているが、上部に上がるに従って得も言われぬ奇怪な形に変貌している。これは自分の足の部分から丸めた色紙を付け始め、だんだん上に重ねていくときに、丸めた色紙の厚みの違いなどで次第に角度が変わっていきこのような形が出現したらしい。印象としては光によってゆがめられた影の怖さに似ていると思いました。
色紙という卑近で軽い素材を用い、しかも虚像として提示しているにもかかわらず、それが彫刻的な量感を示しているところが私にとって意外であり、作者の彫刻的資質なのかと思いました。
ここでは作家のギャラリートークに参加し、作家の気取らない人柄とともにフレンドリーなトークを楽しみました。
次に出雲大社の神門通りに移動して「神門の家/北のハウス」でインスタレーション「山寄りの谷、谷寄りの山」を見ました。(写真③、④)

柴田鑑三作「山寄りの谷、谷寄りの山」
(写真③)「山寄りの谷、谷寄りの山」
「山寄りの谷、谷寄りの山」部分
(写真④)「山寄りの谷、谷寄りの山」部分

先ほどの「うつわ」シリーズが最新作で、これは2007年の作。
これも写真では分かりづらいですが、10cmくらいの厚さの断熱建材(スタイロホームですね)を電熱線で細かく切りそれを前後に押し出して凸凹をつけたもの。家の入口付近の障子の桟の部分にそれを並べて吊るしてあります。
電熱線で切り取る形がものすごく細かい。森林の風景のようでもあるし、雪の結晶、顕微鏡で見た微生物などにも見えます。切った部分が電熱線の幅だけあき、部屋の内側から見るとそこからうっすらと光がさし込み何とも言えない幻想的な風景が現れます。どうしてだか分りませんが、その等高線のような凸凹のついた表面が粉雪のような感触があり、断熱建材の安っぽさとは完全に別物になっていました。(それが「うつわ」との違いで、色紙は別のものに変容しているようで、その安っぽさはまだこびりついていたと思います。)
これが既視感のあるおとぎ話しのような美しさで終わらず、鑑賞者の脳髄の愉悦を導く世界として広がっているところが作品として素晴らしいと思いました。

2つの会場の作品はかなり違うのですが、チープな素材を加工しある種の量感を創り上げるところは通底しているのかなと。私の個人的趣味としては「山寄りの谷、谷寄りの山」の抒情性が好きですが、自分の過去に引きずられずに自分の可能性を求め、しかも良い作品を作ろうとする純粋な魂だけで制作に向かっている姿は若者らしくすがすがしいものでした。
これからの展開も期待しましょう。
(柴田鑑三展は11月13日まで)

 
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