最近のあれこれ

セゾン現代美術館
セゾン現代美術館

○軽井沢セゾン現代美術館(5月5日)

久しぶりに長野の義理の実家に帰ったついでに、軽井沢まで足を延ばしてみた。
連休中ということでどうかなぁと思っていたが、予想以上の混雑。小諸で高速を降りてすぐ動かなくなってしまった。予定していた旧軽まではとても辿り着けず、妻と娘の要望で仕方なく昨年開館の「千住博美術館」へ。千住博は直島の「家プロジェクト」や羽田空港などで結構見てはいるが、実は大嫌いで、どうってことない旧套的な作品があれだけもてはやされているのがホント困ったものだと思っていた。しかしながらこの美術館の設計がSANAAの西島立衛ということから一度は見てみたいなぁと、複雑な心境。入り口のところで中を覗く。断固入らない。多くのガラスと、丸くくり抜いた天井を用いた解放的な空間は、さすが西沢らしかった。それから付設のベーカリーカフェ、「ブランジェ浅野屋」へ。ここのパンは有名なので寄らなくては。確かにおいしかった。
実は軽井沢に行くということで密かに考えていたことがあった。それは中軽のセゾン現代美術館に行くこと。同乗者の反対を押し切って、渋滞を避け、わき道をくねくねと廻りながらセゾン現代美術館に到着。セゾン現代美術館へは確かイリヤ・カバコフらが出品していた、1991年の「境界線の美術」展以来22年ぶり。
姉妹館の西武セゾン美術館(池袋西武デパート内)とともに私の青春期と美術への傾倒に少なからず影響を与えてくれたこの美術館、特に私が修論で扱ったジャスパー・ジョーンズやアンディ・ウォーホルなどのポップ・アートの収蔵が充実していたこの美術館がものすごく懐かしくて、入り口の若林奮(写真1)の作品のある小路を歩いている時などわくわくドキドキ。

軽井沢セゾン現代美術館
(写真1)

企画展は「千紫万紅」展。セゾン現代美術館収蔵(プラス旧西武セゾン美術館収蔵)の現代美術と、鎌倉や江戸など様々な時代の曼荼羅、陶磁器などとを組み合わせた展示になっていた。しばらくはよく知っている近・現代美術作品を懐かしみながら楽しんでいたが、次第に物足りなくなっていった。それらの作品は思い出に浸るにはいいけれど、それだけで新しい刺激がないのである。展示で新しいところといえば日本の現代美術家の中村一美、堂本右美、石川順恵などで、彼らも1990年代くらいにずいぶん見ている。それ以降の新しい収蔵がない。最初のわくわくはどこへやら、見終った時にはかなりのがっかり感に支配されていた。これが西武の現状なのか、やっぱりな。私たちの知っている70年、80年代の西武はこんなんじゃなかった。
私と同年輩の方ならよくご存知だろうが、70,80年代の西武セゾン美術館・セゾン現代美術館は、今までの百貨店の宣伝と販売(利益)目的としての展覧会とは全く異なった、文化の発信基地としての機能を有したものだった。それはセゾングループ総帥の堤清二の意向を受けたものであり、またその活動はその後バブルの頃に流行したメセナの先駆けでもあった。現代美術の展示、紹介に特化したその戦略は、人々の西武に対する認識を一新させ、百貨店の文化運動の価値を飛躍的に高めた。しかしバブル崩壊後の経済悪化にはやはり耐えられず、西武は方針を転換せざるを得なかった。西武セゾン美術館は閉鎖され、現代美術館もこの状態ということであった。今の西武が乗っ取り騒動で揺れているのがなんとも象徴的だが、ここでこの現状を見て確かになと、変に納得してしまった。
久々の軽井沢は懐かしさとともにほろ苦い一日だった。

○滋賀県立近代美術館(6月16日)

〔exhibition〕で紹介しているように、6月に大津でのCAF.N展に参加したが、その間を縫って滋賀県立近代美術館に行って来た(写真2)。天気も良く中庭の緑(とカルダー作品)がまぶしい美術館だった(写真3)。

滋賀県立近代美術館
(写真2)
中庭の緑とカルダー作品
(写真3)

旅行や学会等で地方に行くと、できるだけそこの美術館を訪れるようにしている。これまでも三重県立美術館、熊本現代美術館、石川県立美術館、静岡県立美術館、愛媛県立美術館、福岡市立美術館、兵庫県立近代美術館、愛知県美術館、埼玉県立近代美術館、群馬県立近代美術館、栃木県立近代美術館などなど訪ねてきたが(しかしどうして近代と名が付く美術館がこう多いのか)、どの美術館も特徴と趣があり楽しめる。これは私の勉強というよりも趣味となっている。
私が地方の美術館に行って楽しんでいるのは企画展よりも常設展だ。つまりこの美術館はどのような作品を収蔵しているかに興味がある。地方の公立美術館ではだいたいどこもが近代日本画、郷土ゆかりの美術、外国の近・現代美術を幅広くという感じで集めているが、その中でも収集方針に特徴があるし、この作家はここの出身かとか、以前図版等で見たあの作品はここにあったのかという感じで対面した時にはとてもうれしくなってしまう。
滋賀県立美術館は、私の記憶では、60年代以降のアメリカ現代美術の収集に定評があるということだ。マーク・ロスコ、モーリス・ルイス、クリフォード・スティル、ケネス・ノーランド、バーネット・ニューマンらのカラーフィールドペインティングや、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、クレス・オルデンバーグ、ジェームズ・ローゼンクイスト、トム・ウェッセルマンらのポップ・アート、またフランク・ステラ、アンソニー・カロ、アド・ラインハート、カール・アンドレ、ソル・ルイット、ドナルド・ジャッド、リチャード・セラらのミニマルアートなど、この時期の美術をこれだけ網羅しているのは珍しい。
残念ながらこれらの作品の多くは国立国際美術館で開催中の「美の饗宴 −関西コレクションズ−」展に貸出しされていて見ることは出来なかった。ロスコとモーリス・ルイスの大きい作品見たかったなぁ。
それでもこう旅行がてらのんびり美術館をぶらぶらするのは楽しい。梅雨の晴れ間のぶらり美術館散歩だった。

○太田治子著「明るい方へ −父・太宰治と母・太田静子−」

太田治子著「明るい方へ」
「明るい方へ」

今回のCAF.Nびわこ展でのイベントの一つが、作家でエッセイストの太田治子氏の講演会だった。内容は現在執筆中の浅井忠と二葉亭四迷の為人(ひととなり)等の雑談に近いトークだったが、その中でも父・太宰治のことがちらちらと出てきた。多くは太宰に対して批判的な内容で、太宰に影響を受けた一人として興味深く思い、講演会の後、太田氏の著書「明るい方へ −父・太宰治と母・太田静子−」をサインをしてもらって購入。
この本は太田静子と太宰治との間に交わされた手紙や母の日記の分析を通して、二人の出会いから別れまでを丹念に記録したものだが、読んでみて驚いた。太宰と太田治子の母・静子との間にこんなことがあったとは。
太宰の愛人と呼ばれている太田静子は、女学生時代にファンである太宰に会いに行ってから3年間は手紙のやり取りだけで会っていない。しかも会ったのは合計しても十数日にしかならない。しかもしかも太宰が静子と付き合ったのは、太宰が静子に書くように勧めた日記が目当てだった。太宰はその日記をもとにあの「斜陽」を書いただけでなく、その文章のかなりの部分は静子の日記に書かれているままだった等々。
かなりショッキングな内容なのだが、太田の文章は母や太宰に対して冷静な目と優しい愛情を絶妙な割合でブレンドしていて、程よい距離感で書かれ実にすがすがしい一冊となっている。
太宰のことを「性格が八方美人的で、戦争へも、迎合するような文章を書いている」「孤独に耐えられない作家」「何かに巻き付いてものを書く作家」「極度の自己中心性」と、男としての狡さなども容赦なく見据えながら、しかしその最後は母を「捨てた」父・太宰を受容する心境に辿り着く。
また—-こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます—-といった母(「斜陽」のこの有名な最後の文章は静子の日記に書かれているままである)に対しては全身からの愛しさを込めて書いている。
父・太宰とは一度も会うことがなく、また生まれる前にその父の小説のモデルになった人生とは作者しかわからない感覚だろうし、著者が父母二人のことを書くことはまさしく自分自身の人生を見つめることだったであろう。
最後にそんなずるがしこい太宰の弁護をするならば、太宰治にとっては人生=作品であった。作家であろうと苦しんでいたことはよくわかると同時に、そのことに真剣になるあまり、女性に対してずるいおとこになっちゃたのかなぁという印象・・・・・・やっぱりそれでもダメなものはダメか。

 
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