美術館&ギャラリー巡り 2015.12

村上隆 五百羅漢図の1点
村上隆 五百羅漢図の1点

もう去年のことになるけど、川口での個展の搬出後1日だけ時間が空いた。東京で時間があれば美術館かギャラリーに行くのが私のとっては毎度の楽しみで、その日が月曜日だったことから必然的に六本木に向かうことになった。
日本の多くの美術館が月曜休館であることは、美術鑑賞が好きな方なら大体知っているでしょう。だから私のように遠方から来たものには、月曜日に時間があっても少し困ることになる。そんな時の六本木。新美術館や21_21デザインサイトは火曜休館、森美術館やサントリー美術館は、会期中は無休のことが多いのでこんな時には重宝するのです。(ちなみに私の居住地の島根県立美術館は数少ない火曜休館)
そして見たのが「シェル美術展」(2015.12.9-21新美術館)、「DOMANI明日展」(2015.12.12-2016.1.24 新美術館)、「村上隆の五百羅漢図展」(2015.10.31-2016.3.6 森美術館)の3つ。特別な理由はなく(村上は絶対に見てやろうとは思っていたけど)、私が現代美術系が好きで、それらの展覧会がその時たまたま同時に行われていたので見たわけなのだが、今回その感想を書いているうちに、何だかアーティストの身の振り方というか、立ち位置というか、そんなことに思いが向かってしまった。

シェル美術展(2015.12.9-21)新美術館

若手の登竜門として伝統と権威のあるコンクール。なんと1956年に始まっている。私たちが挑戦していた頃(1980年頃)には、100点に一点しか入選できないと言われていた。たしかシェル石油が昭和石油と合併した時に一旦応募を停止したのだけど、その後シェル美術賞として再開して現在に至っている。今もかなり激戦のはずだ。
しかし最近はどちらかというと見るのを避けてきた。VOCA展もそうだけど、最近の若手の具象系絵画は意識も技法もチマチマしていて小粒。どれも「私の絵はこんなんです。それでいいんです。」と言っているようなものばかりで見る気がしなかった。今の絵画がそれぞれに「小さな物語」を求めていることはわかってはいるけど、ホントにこんな委縮した絵画でこれから大丈夫なのだろうかという暗い気持ちになってしまう。それもイヤだったし。
今回久しぶりに観てみた。入選作53点の1点1点、作者のコメントも丹念に読みながら観たけど、意外なことに面白かった。作家ひとりひとりがとても誠実に自分の生き方と絵画に向き合い、こつこつと自分なりの表現を生み出している。それは私が以前感じたような投げやり、引き籠り的なものではなく、声は小さいけどしっかり語りかけてくる、信頼と希望を宿したもののように思えた。結構共感できたというか、むしろこの人たちに愛しさを感じた。
今の世の中、創作活動をする若い人たちにとって、現実生活はで経済的にもタイヘンだろうし、付き合いもちょっとしたキャラをかぶったりしなくてはならなかったりでタイヘンだろうなぁと思うのだけど、絵画をハッタリや逃避の道具ではなく、自分を見つける方法として真摯に取り組んでいる。がんばれ若者!って応援したい感じだった。

シェル美術展
写真①
シェル美術展
写真②
シェル美術展
写真③

DOMANI明日展(2015.12.12-2016.1.24)新美術館

その後同じ新美術館のDOMANI展に移動。「DOMANI明日展」は「新進芸術家海外研修制度」のもとで海外研修を終えたアーティストによる展覧会。今回で18回目になる。今回は「表現と素材、物質と行為と情報の交差」というテーマで、2002年から2013年までの研修生のうちの13名(ゲスト作家1名)による展示だった。
「新進芸術家海外研修制度」とは、以前は「文化庁芸術家在外研修制度」と呼ばれていたもので、1967年に始まり、それ以来、美術,音楽,舞踊,演劇,映画,舞台美術等,メディア芸術のなど多様な分野の芸術家が研修に従事してきた。その数3000名を越し、その後国内外で活躍しているアーティストも多い。
研修期間は,1年,2年,3年,特別,短期などいろいろある。アーティストならば一度はこの制度で海外研修をしたいと考える人が多いだろう。しかし、黒田、安井、梅原の時代ではない現代、海外に出て新しい美術思潮に出会えるわけではなく、また美術において行くべき特別な場所、あるいは普遍的に意味のある地域などというものもない。かといって行ければどこでもいいというわけではないだろう。またせっかく研修を得ても、何のために何しに行くのか明確でなく、海外にまで行っても閉じこもっていつもの自分の絵を描いているだけなどというもったいないケースもあると聞く(懐かしい「文学部唯野教授」にはもっとひどいケースがでてきますが)。自分がどこに行けば果たして成果のある時間が過ごせるのかは難しい問題になっている。
しかし、自分にとってはここが行くべき場所だという、何らかのつながりを持つ地はあるのではないかと思う。それは新しい美術を体験するなどという専門に特化したことではなくて、それぞれ自分の内面が求める何らかの関係性が感じられるところというようなものになっているのかもしれない。したがって渡航先もその人次第で、最近はかなり散らばっているし、アジアやヨーロッパの小国などを研修先にする者も多くなっている。
それにしても、ともかく海外に飛び出して1年なりを過ごすことは、多様な意味でその人の精神、考え方、成長に影響を及ぼすことは確かであると思う。頼るべきものがない場所では、自分の非力さや価値のなさが、客観的にというか、ひしひしと身に沁みて迫ってくる。今までの実績などその地では何の意味も持たない。何物でもない自分をそれでも信じてやっていけるか、やっていくしかないのである。自分が単なる無能力な一人のよそ者でしかないということを自覚し、格好悪くてもなんでも、一つ一つの事態を何とかしなくてはならない。その時の必死さが自分を創っていくのだと思う。それは私自身の経験でいえば、きついことではあったけど、妙にすがすがしいことでもあった。
その経験とともに、自分が一人の日本人として何が作り出せるのかを考えることが、ある意味、研修の意義でないかと思う。ただ受け取るのではなくそこから自分が変わること、研修をそのきっかけにしてほしいと思う。
今回の展示・・・ここ10年の間でたぶん200名以上の美術関係者がこの制度で海外研修を行っていると思うが、なぜ、どのようにしてこの13名が選ばれたのかは不明だが、力を持っている新進作家の素晴らしい作品が並んでいると思った。
漆喰、タイルほか硬質な物質で埋め尽くした巨大な壁を作った木島孝文(写真④)、真綿がエロチックな物質感と空間を醸し出す線幸子(写真⑤)、鉄や粘土でユーモラスだがどこかグロテスクでアニミスティックな人物形象を作る松岡圭介(写真⑥)などが面白かった。
このアーティストたちはこの海外での経験を生かし、今後どこまで飛躍することができるのだろうか。興味深い。

DOMANI明日展
写真④
DOMANI明日展
写真⑤
DOMANI明日展
写真⑥

村上隆の五百羅漢図展(2015.10.31-2016.3.6) 森美術館

そして新美術館から森美術館に移動し、村上隆を見た。
今回の展覧会については、見る前から多くの情報や期待が行きかい、逆に露出の過剰さや興行臭さなどから、批判的な声も聞いたりと、なんとなくどうかなぁと構えて行ったけど、まぁ感想としては、やっぱり圧倒的だ!というのが一番だった。こそこそした批判など物ともしない、「どうだ、見りゃわかるだろう」といった堂々たるショーだった。
私としては2001年に現代美術館で初めて大量の村上(「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」)を見たときの衝撃のほうがすごかったが、あのシルクスクリーンで作ったテッカテカのドットが、虚像に爆発的な質量を与えて、その威圧感は世界に向いていることをはっきりと物語っている。ただ、今回目玉の五百羅漢図はさすがに大き過ぎて、美大生が頑張ったのだろうけど、その質量を保ちきれてはいないような気はしたが、他の作品はやはりすごかった。
村上が現在世界で活躍する日本人アーティストのトップを走っていることは間違いない。世界で活動するということを、村上はあらゆる面において戦略的にやってきた。日本文化の独自性、歴史とサブカルチャー、キャラ、忌避をないまぜにしながら、クリティサイズし、いい感じにソフィストケイトして、スタイル化し、そしてシステム化して見せた。これは世界を相手にするために必然的にとった手段であり、ともかく最初から世界を相手にしたところは他の日本のアーティストではできない芸当だった。

村上隆の五百羅漢図展
写真⑦
村上隆の五百羅漢図展
写真⑧
村上隆の五百羅漢図展
写真⑨

思えば世界に認められる、日本を代表するアーティストはかなり少数だ。私たちの世代では、20世紀後半の河原温と荒川修作がその代表としてすぐに名前があがる。とても優れたアーティストだった。しかしイズムの終焉とともにコンセプチャリズムを代表する彼らも亡くなってしまった。
同じ世代の草間弥生は未だに世界的スターだ。私の数少ない海外旅行でも、その先のギャラリーや美術館で必ず草間のショーに出会う。すごいことだと思う。草間はイズムに捕らわれていない。自分の内面と対話しているだけだ。しかしそれが草間の場合、内部がぐにゃっと反転してそのまま外に出てきてしまったように、内面世界がそのまま表現になっている。つまり我々は−特にインスタレーションでは−草間の内面に囲まれたような状態にいる錯覚を覚える。普通内面に沈み込むと、外部のことはどうでもよくなり、どう世界で見せようかなどとは考えなくなるものではないかと思うのだが、草間はそれが奇跡的に一体化しているために、世界で見せられるだけの質が備わり、世界的な活躍が可能になったのではないか。
現在では、他には奈良美智のほかに塩田千春、田中功起、森村泰昌、宮島達男、加藤泉(今、ちょうどニューヨークで個展中)などだろうか。彼らは世界で認められているが、もちろん才能あるし、また作品の質を維持するための努力を怠っていないように見える。世界的なレベルを維持するのは彼らにとっても大変なのではないか。また村上、奈良、草間、加藤などは絵画から出発して、立体やインスタレーションなどへの展開やキャラクターの発展的増産など、似たような展開により活動のエネルギーを維持しているようにも思える。
ともかく世界で活躍するのは大変なことなので、これだけの圧倒的展開力で世界に挑んでいる村上は、それだけでもまぁすごいと言っていいかなと思う。

村上隆の五百羅漢図展
写真⑩
村上隆の五百羅漢図展
写真⑪

3つの展覧会を回って、なぜだか作家の立ち位置に思いが及んだ。これらの展覧会の作家はそれぞれ芸術的な立ち位置がかなり違う。シェルに出品している若者に、村上のような活動は無理だと思わざるを得ない。彼らにはそのような野望はないように思える。彼らが絵画を描く大きな目的は自分との対話であり、自分と絵画の折り合いがついたとき、求める絵画も出現し目的もほぼ達成される。あとはそれを誰かが「いいね」と言ってくれればいいのだ。しかし、「それの何が悪い?」
DOMANI展の彼らは世界を見てどう考えるであろう。ともかく世界(自分が行った国)と自分は違う。その抵抗感から何らかの表現に向かうのだと、私は思うのだが。その表現が世界に通用するものになれば日本の美術もある意味で開かれるのかもしれないし、研修制度の意味もあるのかもしれない。以前の奨学生であった奥谷博や絹谷幸二のように、公募団体のドンになるようなその後の活動ではあまり意味がないが、塩田や田中もこの制度の奨学生であり、彼らの活躍には期待が持てる。でもそれもその人次第で、世界を見たからといってその後皆が世界に出ていくものではないだろう。
もちろんこれは人間としての態度、あるいは生き方の問題である。制作作品に特別な評価を求めず、生きる営みの一部として美術を考える、あるいは一体化しているという態度ももちろんある。作品が問題なのではなく行為が問題なのだ。もっと言えばその行為を形作る意識や精神が問題で、そういう態度は自己完結するべきものなので、その作家にとっては世界も日本も公募団体の会員もコンクールの受賞も全く問題にはならないはずだ。
ただこういう種類の作家、例えば大久保英治が、旅先でふと目に止めた花を摘んで枝に並べたとして、そんな些細な行為も、美術の文脈で見ればかなり創造性の強い、あえて言えば自己顕示的な行為に思えるから不思議だ。態度でいえば大久保や内藤礼と村上隆は一見対照的に見えるが、美術に対する思いはそれほど変わらないのではないか。どちらも究極的には美術とともにあり、また美術に対して貪欲なのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、おまえはどうなんだという声はやはり聞こえてくる。私は評論家ではないので、この文章がどんなに批判されても痛くも痒くもないが、制作者としては自分なりの生き方を見つけなくてはならない立場ではある。
しかし、ここまで書いてきてなんなのですが、私にはまったくそんなこと考えたことがなく野心というものもなかった。ただ絵が描きたいだけ。絵を描くことは私にとって唯一のまた純粋な自己実現の方法だった。私には経済的な観念や事業の才能がまったくと言っていいほどなく、好きなことがやりたいだけの単純な人間だったので、私が私であるための手段として美術が唯一のよりどころとなっていた。幸いなことに教えることもとても好きで、絵が描けて美術が教えられてそれで生活ができた。高校の頃石膏デッサンをしながら、近代の画家に夢中になって以来、美術とともに生きてこられたことはまったくの僥倖だと思っている。私にとっては私の尊敬する画家たちが作ってきた美術の歴史の中に入って生きられることがありがたいことで、これ以上の幸せはない。
自分の制作を云えば「ああ おまえはなにをして来たのだと・・・・/吹き来る風が私に云う」と中也的トホホ感はありますが、まぁここまで来てしまって、もうあまり代わり映えはしないのだろうなぁ。良くも悪くも今までに自分がやってきたこと以上のとんでもないことはできない。それは一部諦観かもしれないが、そんな悲観的なものではなく、自分を自分と認めてその中で、もう少し努力すればもう少し違ったいいものができるかもしれないと思っているところで、まあ楽しみもあるわけです。

 
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