美術館&ギャラリー巡り 2014.9.
六本木ヒルズ ルイーズ・ブルジョアのママン
このTOPICSの記事ももうずいぶん書いていませんでした。
今年の2月以来ですね。美術館探訪記は去年の9月の「あいちトリエンナーレ」を最後に更新していません。「足が遠のく」というように「筆が遠のく」、何かそんな感じでTOPICSから遠のいてしまいました。昨日やっと前期の最後の授業、発表会が全部終わったので、このところ書けなかった1年間分の美術展の報告、というか記録を取っておこうと思います。
・・・・・・とここまで書いたきりまたまた時間が立って、夏休みも残り少なくなってしまいました。この夏は珍しく学会誌論文を書いていて、それに時間を取られました。夏らしくない悪い日が続いて、あまりどこへも行かず地味に文章を書いていました。それが終わったので再度このtopicsに挑戦です。
昨年の9月に「あいちトリエンナーレ」へ行った帰りに、実は「養老天命反転地」に寄っています。荒川修作は学生時代から好きで、「意味のメカニズム」(ギャラリーたかぎ発行)もその頃から持っています。荒川が記号を使ったコンセプチュアルな平面から、身体に揺さぶりをかける装置の制作に移る契機だった国立近代美術館の個展(あれは何年だったか)にも行ったし、奈義町現代美術館(岡山県)の「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」も見ています。1995年頃以降の荒川の活動や著作、作品(装置)も分からなくはないのだけど、やはりあの矢印や記号、文字、図形等を使った「図形絵画」が私には最もぐぐっと来るものでした。理知的であり、またシニカルでとぼけたユーモアもあり、そしてあの一見冷たい平面に情熱的な観念の飛躍がある。学生時代、荒川の絵画にはあこがれたものでした。
いつかこの「養老天命反転地」に寄ってみようと思っていたので、名古屋帰りは絶好の機会でした。しかしその「養老天命反転地」は、いたるところ朽ちかけて、ペンキは落ちているしシートは破れているしで、全くガッカリさせるものでした。これが荒川が晩年目指していた「死なないための」空間だったのかと思うとさみしくなりました。(写真①②③)
その荒川も2010年に亡くなり、またびっくりしたのはつい先日(7月10日)、河原温が亡くなりました。同じ60年代初頭に渡米してニューヨークで世界的な活躍をした二人の日本人の死。私の青春も一つずつ棺に入っていくように思われました。
写真①
写真②
写真③
昨年10月半ばに東京都現代美術館で「うさぎスマッシュ」展と「吉岡徳仁」展、森美術館で「六本木クロッシング」展、国立新美術館で「アメリカンポップアート」展を見ています。
このコースは東京の美術館に行く時にはかなり定番になっています。よくもまぁ飽きずに同じ美術館に行くものだと我ながら感心してしまいますが。この他には東京国立近代美術館、原美術館が時々入ります。最近では東京オペラシティアートギャラリーや六本木のエスパス・ルイ・ヴィトンなどでも面白い企画をやっているのでうまく予定が合えば行ってみたいと思っています。銀座のギャラリーからはかなり足が遠のいてしまいました。一つずつ回る時間がなかなか取れないのが残念です。
吉岡徳仁は以前21_21デザインサイトでもやっていましたが、デザインの領域、概念をはるかに超えたアートとしての創造性のある仕事をしています。ここでの展示も素晴らしく雄大で圧倒されるものでした。(写真④)
「うさぎスマッシュ」展は「私たちがより能動的に世界と関わる方法を探るきっかけとなることを目指した」デザインの展覧会という触れ込みでしたが、イマイチピンときませんでした。(写真⑤マーニー・ウェーバー、⑥)
今年の森美術館の「六本木クロッシング」展は「アウト・オブ・ダウト」と名付けられ、社会通念や既存の制度への疑念(ダウト)からアートを通じて議論を生みだそうという試み。なので結構がしゃがしゃと物言う作品が多かったです。私の好きなのは、金氏徹平(写真⑦)、菅木志雄(この中では異質だったけれど)(写真⑧)、泉太郎(写真⑨)などでした。
国立新美術館の「アメリカンポップアート」展は私にとっては見なれた作品ばかりで、あまりウキウキする展覧会ではありませんでした。ともかくポップアートとは30数年前の大学院時代からの長い付き合いで、しかも18年くらい前にこのコンセプトと形式とは決別しました。私の初期制作の起爆剤としてあって、そしてそこから脱出することで新しい自分が開けた−制作が展開した−という因縁の関係です。こんなことの確認をしながら回ることになります。ただジャスパー・ジョーンズとアンディ・ウォーホルはやはり特別な存在です。(写真⑩)
(写真④)
(写真⑤)
(写真⑥)
(写真⑦)
(写真⑧)
(写真⑨)
(写真⑩)
今年3月には東京国立近代美術館、東京都現代美術館、上野の森美術館、森美術館を回りました。
東京国立近代美術館で「工藤哲巳」展と企画「泥とジェリー」展。
工藤哲巳も60年代の人で、昔から図版ではよく見ていたけど、よくぞこれだけ集めましたという感じの堂々とした回顧展でした。工藤は”フランスなまり”のロマンティシズムのようなものが甘く感じられてちょっとなぁと思っていましたが、今回の展示はなかなか迫力ありました。
「泥とジェリー」展は中西夏之と岡﨑乾二郎がお目当て。特に中西の清冽さと理知的なところは私の好むところです。(写真⑪東京国立近代美術館)
東京都現代美術館では「MOTアニュアル2014 フラグメント–未完のはじまり」展。
「MOTアニュアル」は日本の若手作家によるグループ展で、美術館が現代美術の動向を紹介するものとして毎年企画しているものです。今回のメンバーでは福田尚代、パラモデル、高田安規子・政子などが、本当に身近な些細なもの(消しゴムやトランプなど)から世界と繋がる新たな手掛かりを作りだす、独自の世界を開いていて興味深いものでした。(写真⑫パラモデル)
この時期にはVOCA展をやっているので、絵画の動向を知る上で行かざるを得ない。しかしVOCA展は年々つまらなくなっています。いくら「小さい物語」と言っても余りに些末的な委縮した世界は見ていて欲求不満になります。この”小さい”具象系絵画はいつまで続くのでしょうか。
森美術館の「アンディ・ウォーホル」展は「アメリカン・ポップ・アート」展と同じように見なれた作品を目でなぞるような鑑賞になってしまって新鮮味がありません。唯一バスキアとのコラボ作品が面白いものでした。会場に作られた「ウォーホル・カフェ」のハンバーガーは大きかった!しっかりキャンベルスープもついていました。(写真⑬⑭)
写真⑪
写真⑫
写真⑬
写真⑭
4月は大阪の伊丹市立美術館。
普段はドーミエなどの風刺画で有名な美術館ですが、今回の企画は「イギリスの現代美術−プライベートユートピア」展。近年ターナー賞を受賞したりノミネートされた作家の作品が多く、現代のイギリスを垣間見せてくれます。やはり特徴としてはイギリスらしいユーモアとアイロニー。どうしてこう皮肉っぽくなるんだろう。私は以前広島市現代美術館で見て大ファンになったマーティン・クリードが3点あったので満足でした。(写真⑮ライアン・ガンダー)(写真⑯デイヴィッド・シュリグリー)(写真⑰マーティン・ボイス)
写真⑮
写真⑯
写真⑰
5月は何と群馬県伊香保のハラミュージアムアークに行って来ました。
松江から中国道、名神高速、中央道、長野道、上信越道などを通って約900キロ。十数年ぶりに見るハラミュージアムアークは懐かしかった。その時は病気療養中の母を連れてきました。体調が良かった時です。これまたずいぶん時間が経ってしまった。いろんなものが後ろに猛スピードで流されているような気分です。そう言えばここの庭には宮脇愛子の「うつろい」があります。「うつろい」もいろいろな所で見ましたが、その宮脇もつい先日なくなってしまいました。
展示はアーニッシュ・カプーアや草間彌生のインスタレーションなど、相変わらず上質なものでした。アンディ・ウォーホルも昔のままです。(写真⑱ジャン=ミシェルオトニエル、⑲、⑳ウォーホル、㉑オラファ・エリアソン)
写真⑱
写真⑲
写真⑳
写真㉑
7月は東京国立近代美術館「現代美術のハードコアは実は世界の宝である」と東京都現代美術館「宇宙×芸術」「クロニクル1995-」展。
近代美術館にはゲルハルト・リヒターとグルスキーが見たくて行ったのですが、他にもロン・ミュエク、トゥンブリー、マーク・クインなど、なかなか見られない逸品がたくさんあって得をした気分でした。(写真㉒ゲルハルト・リヒター、㉓マーク・クイン)
東京都現代美術館は「宇宙×芸術」展とコレクション企画「クロニクル1995-」展。
「宇宙×芸術」展は文字通り宇宙的スケールの展示でした。宇宙と芸術、科学と表現、アートとエンターテインメントなど多様な要素を共存させ、なおかつそれぞれ高いレベルで見せてくれます。このような企画はつい科学系の説明や辻褄合わせになりがちですが、この展覧会はアーティスティックな内容もしっかり主張していて素晴らしい企画力だと思いました。
そしてお目当てはもう一つのコレクション特別企画「クロニクル1995-」展。名和晃平、田中功起ら現在の日本のトップのタレントが網羅的に見られました。現代美術館の常設は非常に豊かで、その時の常設での企画に合わせてすごい作品が次々に出てくるのがすばらしい。(写真㉔㉕㉖)
写真㉒
写真㉓
写真㉔
写真㉕
写真㉖
そして今年8月は私が参加したグループ展「CAF.Nびわこ展」に参加するため大津に行く途中で立ち寄った国立国際美術館の「Nostalgia & Fantasy」展。
現代日本の具象系作家10人が選抜されての展覧会。ノスタルジア&ファンタジーがどういうものかはよくわかりませんが、現代の具象系作品は良かれ悪しかれそんなところに落ち着くのかも知れません。具象で表わし得るものがそんな煙のような実態感のないものしかないように思います。北辻良英と淀川テクニックの作品には惹かれましたが、他の具象系の作品はVOCA展と同じように、世界や人生のつまらなさを表現しているように感じて、いたたまれないです。こんな作品から脱出できるのはいつのことなのか。
一方、同時に見た常設展ですが、国際美術館の常設も現代美術館に負けず劣らずすばらしいもので、展示も雄大で圧倒されます。桑山忠明ら70年代のミニマリズムからリ・ウーハン、サイ・トゥオンブリー、内籐礼などが各ブースでの個展形式で展示されていて、見応えのあるものでした。ただ企画展の作品を見た後の印象では、やはり時代−一昔前を感じてしまいなんとも複雑な気分でした。(写真㉗㉘㉙㉚)
写真㉗
写真㉘
写真㉙
写真㉚
と、1年分の鑑賞記録をつけてみましたが、やはり私は現代美術に惹かれ、この今を生きる感覚を吸い込み、また自らも生の在り様の一端を絵画として表現していきたいと思うこのごろです。