美術館&ギャラリー巡り 2010.11.12-11.15(その1)

横浜・山下公園通りのイチョウ並木
(横浜・山下公園通りのイチョウ並木)

泉太郎はすごい!

2010CAF.N展開催中([EXHIBITION]欄に掲載)の11月12日から15日まで東京に行ってました。
いつものようにいくつかの美術館とギャラリーを回りましたので、できるだけ紹介したいと思いますが、まずは横浜県民ホールギャラリーの泉太郎展「−こねる−」。

もぉーすごかったです!
なんともすごくて、面白い。何がこんなにすごいのかずっと考えているのですが、よくわからない。ともかくこんなの見たことない、というかなんだろう、このふわふわーもやもやーな感じ。どの作品もみんなナンセンスでものすごくばかばかしいのだけど、大笑いした後なんともほぉーと力の抜けた感じの「幸せ感」がずぅーと続くのです。

こう言っても全然わからないので、会場で撮った写真とともにまずは説明してみます。入口に「どんどん写真を撮ってブログ等で紹介してください」というようなことが書いてあったのでこちらとしては紹介しないわけにはいかないです。

まずは巨大な会場空間を使った巨大スゴロク「靴底の耕作」(メインタイトルの「こねる」をはじめ彼の作品タイトルはあまり気にすることないと思います。「あっそぉ」って感じで受け流すといいです。)。(写真①②)

巨大スゴロク「靴底の耕作」
写真①巨大スゴロク「靴底の耕作」
巨大スゴロク「靴底の耕作」
写真②同左

これは手作りの実物大スゴロクです。黒く塗った角材を並べてスゴロクの道や「目」を作って行き、その中をクマのぬいぐるみを着た泉本人がプレイします。1〜6の数字が書かれた丸いサイコロを回してはその数だけ進む。止まった「目」に書かれている「ヌグ」「ナゲル」だとか「ヌルヌル」「アオ」だとかの文字にしたがって、ぬいぐるみの手を脱いで投げたり、青いペンキをかぶったりしながら進んでいき、最後にはグチャグチャ、メロメロになったクマが出来上がります。

この作品、実際にその場でパフォーマンスを行ない、それを上から映像に取り、それをまた同じ場所で映像として流しています。そして実際に使った角材やバケツなどもそのまま置かれています。設定としての場で、その場での行動の痕跡としての映像と、その場にあった「なれの果て」としての実物が同時に置かれていて、私たちはその3つを同時に見ることになります。
他の作品もそのような提示をしていて、これがどうやら泉の仕掛けなのだなとは思ったのですが、これがどういう作用を及ぼすのかはわかりません。
映像は繰り返し流されているので、その際限のない「過去」と、モノ(ガラクタ)は置きっぱなしになっているので、その結果としての「現在」が同居していて、その時間や空間のズレが何とも不思議は「場」を作っていることは事実です。

巨大スゴロクを作っていく過程が20場面くらいの映像で繰り返され、それぞれの場所でそれぞれの「クマ」が「約束」に従っていろいろなことをしている(だいたいはヒドイ目にあう、そして他の作品もそうですがだいたい汚くなる)。それをずぅーと見ているうちにあちこちに注意が行き、次々と新しい興味が生まれて飽きることがない。そのなんとも雑然としたモヤモヤが私をどこか別の場所に連れて行ってくれたのだろうか?
ホントにわからないのですが、「こんなことしてホントバカだねぇ」とか思いながら、この人は聖書にある「右の頬を打たれたら左の頬を」的な感じで(というのはかなり大げさだけど)自分がペンキまみれ、ゴミまみれになりながら私たちを救っているのではないかとさえ思えてくる。そのくらい気持がホォーっと楽になります。
少なくともこの徹底的な無意味の行為は無私の精神に結びついてはいるのだろうと思う。

他の作品も紹介します。
モニターの前に水の入ったビンが置かれている「フィンランド」(???)(写真③)。
モニターに映る風景の中を泉本人が歩いて横切ります。水の入ったビンの位置あたりにくると突然泳ぐような(水を掻き分けるような)動作をし、ビンから出るあたりの位置に来るとまた普通に歩く・・・・・。
まさに「・・・・・・ホントにもぉー」といった感じ。このふざけたパフォーマンスがモニター上のいろいろな場所で繰り返されます。

「フィンランド」
写真③「フィンランド」(クリックで拡大します)

もう一つ。
本人が毎日会場に来てやっているパフォーマンス「生き埋め」(???)
一人ずつ部屋に入って体験できます。
行ったときにちょうどやっていたのでチャンスと思って並びました。
部屋に入ると本人はどこにも見当たらず、ただいろいろな柄のカーペットが敷きつめらているだけです。その部屋の斜め向こうの側の壁にモニターがかかっています。(写真④)
そこには人が(これが多分泉本人)後ろ向きになっていて電子ピアノのようなものが置いてあります。(写真⑤)
どうしていいかわからず、まずはそのモニターをよく見ようとカーペットの上を進むとどこからか音がします。
最初はわからなかったのですが、歩いているうちにその音は私が足をカーペットに着けるときに鳴ることがわかってきました。そして、なんと!よく聞くと柄の違うカーペットを踏むごとにその音色が変わるのです!

パフォーマンス「生き埋め」
写真④パフォーマンス「生き埋め」
パフォーマンス「生き埋め」
写真⑤同左上

実はこの部屋は何台ものカメラで映されていて、それを別の部屋で泉がモニターで見ながら私の足の動きに合わせて電子ピアノで音を出していたのでした。
それがわかった時、私は面白くなって部屋を斜めに横切ったり、ちょっとずついろいろなカーペットを踏んでみたり、踏む真似をしてみたり、遊んでしまいました。
すごいことに泉は見事に私の足についてくるのです。カーペットごとに音を変えて。
うーん、結構難しいと思うのだけど(カーペットの数が半端なく多い)、練習したのかな?
ともかく楽しんでしまいました。そして部屋を出るとき、「私の足に音を付けてくれてありがとー」という気持ちで最敬礼してきました。

今回結構多くの美術館とギャラリーを回ったのですが、最後のこの展覧会ですべてぶっ飛んでしまいました。
映像とパフォーマンスとインスタレーションという材料を使い、笑いを誘う作品を制作している作家として、私は田中功起と小金沢健人を思い出します。(写真⑥−小金沢健人、画面の端で折れ曲がる飛行機雲の映像作品−「あれとこれのあいだ」展、神奈川県民ホールギャラリー、2009.11)

小金沢健人、画面の端で折れ曲がる飛行機雲の映像作品
写真⑥小金沢健人:画面の端で折れ曲がる飛行機雲の映像作品

この3人のアーティストは無意味な行為によって笑いを誘い、その中にそれぞれ日常に潜む人間の在り処をさりげなく示す。そこには無条件の人間肯定(「そうであってもいいんだよ」と言っている感じ)、根底としての諦観(「わからなければそれでもいいや」と言っている感じ)があるように思えます。
もちろん3人を一緒くたにするのは本人たちに悪いですが、そうでなくてはこの「身も心もほぐされ」感は出てこないでしょう。

瀬戸内国際芸術祭&直島探訪記 2010.9.15-9.17(その3)

直島から豊島に向かう
(直島から豊島に向かう)

2日目から再開します・・・・・が、この記事だらだらと書いているうちにとうに瀬戸内国際芸術祭は終わってしまいましたー。
あの時はまだ暑かったんだよなぁ。こんなに涼しくなってしまって。9月からこつこつ書いてはきたけど、これから書き続ける意味あるのかなぁとは思いますが、もともと私自身としては書くこと自体に意味(ボケ防止的な?)があるので、読む方(がいるとして)の意味については関知できませんです。

2日目は「瀬戸内国際芸術祭」の6つの会場(島)のうち豊島と男木島に行って来ました。
それぞれの島の間は20分程度で行けるのですが、何しろ便が少なくて(日に3便程度)、またどの島への便もあるわけではないので1日に2島回るのが精一杯です。
直島からは豊島、男木島、犬島の3島に行けますが、そのうちの豊島、男木島に行きました。

宮浦港(写真①)から出発です。
この宮浦港のターミナル「海の駅なおしま」、チョット面白い建築です。岸壁や水平線とシンクロする屋根と、垂直に立つ細い柱。妹島和世と西沢立衛のコンビSANNAの作品です。SANNAはこのTOPICSでこれまでもよく出てきていて、このスタイルはロンドン、サーペンタインギャラリーのパビリオンなどでもよく見たものです。
2人はこの芸術祭ではここ以外でも西沢は豊島に内籐礼美術館を、妹島は犬島に個人宅(家プロジェクト)を設計しています。

宮浦港
写真①宮浦港

まずは豊島に着いてすぐ歩いてトビアス・レーゲルガーの「あなたが愛するものはあなたを泣かせもする」(写真②)に行きました。タイトルがいいですね。カフェになっています。

トビアス・レーゲルガーの作品
写真②トビアス・レーゲルガーの作品

豊島は歩くのには大き目でしかも作品が数か所に点在しているので、芸術祭のために無料で循環しているバスを利用して巡りました。
最初に来たバスが東回りだったので、そのまま東回りで1時の出港までに見られるだけの作品を見ました。

最初に着いたのが森万里子の「トムナフーリ」(写真③)
受付でチェックを受けてせまく急な山の斜面を10分ほど登ると、竹林の中に緑の水草で覆われている池が見えてきます。その真ん中に森万里子の「トムナフーリ」があります。
「トムナフーリ」とは古代ケルトの伝説で「霊魂転生の場」のことだそうです。このオブジェはあのノーベル賞を受賞した小柴昌俊教授の研究で有名な「スーパーカミオカンデ」とコンピューターで結ばれていて、超新星が爆発すると光る!
超新星ってなんだ?−星の進化の最終段階における大規模な爆発現象(広辞苑)−だそうです。

森万里子「トムナフーリ」
写真③森万里子「トムナフーリ」(クリックで拡大します)

それにしても地中美術館のところで紹介したウォルター・デ・マリアが1977年に行った大規模なランドアート「稲妻の原野」(ニューメキシコ州の広大な原野に400本のステンレスの棒−避雷針−を立て落雷を呼ぶ作品)に僕らは驚いたものでしたが、偶発的、瞬間的な自然現象を目に見えるようにして宇宙の根源との交感を図るという点で、同じコンセプトを持つと思われる作品でも、超新星に比べるとデ・マリアの稲妻の方はずいぶんアナログに感じるなぁ。
20分ほど池脇に佇んでこの不思議なオブジェを見ていましたが、結局はひかりませんでした。
しかしこれが優れてコンセプチュアルな作品だとすると、何も光るところを見なくても、その作品の構造を知っただけでも、十分に作品として成立すると考えても良いかもしれません。
その瞬間を見なくても、鑑賞者の頭の中で概念としての「宇宙」は生まれるのですから。
例えば河口龍夫の「dark box」という作品は、見たところ単なる鉄の箱がボルトで留められているだけですが、その中に例えば「1997年」(それぞれの年代がついた箱があるので何年でもいいのだけど)の「ある日あるところの闇が入っている」という認識によって、とたんに「闇」が生々しく存在として迫ってきます。
あまりいい例じゃなかった?ともかく「存在と認識と概念」はとてもスリリングな関係にあります。
しかし、この作品の光はただ電球のように光るのではなく、「怪しく揺らめく」ようであるというのを聞くと・・・やはり見たかったなぁ。

東回りのバスに乗り次に着いたのは青木野枝の「空の粒子・唐櫃」(写真④)
青木のいつもの鉄の作品ですが、青木のこの細い構造はどの計算式にも組み込まれない形と空間の現われ方をしていて何とも素敵です。構造としてあるのに人知をするっとすり抜けていく。今回神社のそばなのでなんとなく神様的な雰囲気を感じました???
コメントがいい加減になってきたか?

青木野枝「空の粒子・唐櫃」
写真④青木野枝「空の粒子・唐櫃」

藤浩志の「藤島八十郎をつくる」(写真⑤)。これは架空の人物「藤島八十郎」の家の展示です。実際には存在しない人ですが、そこには彼の日々の生活を示す様々なものが見られます。読んでいる本や趣味の大工道具、台所の漬物の多さやパソコンでの仕事ぶり、挙句は本人宛の手紙がたくさん届いています。目いっぱいおかれているそれらのものを見て回っていると本人の思想信条や暮らしぶりがとてもリアルに伝わってきます。
(この芸術祭の展示は屋内のものはほとんどが廃屋を利用しています。この作品など廃屋を見事にそのまま使っています)

藤浩志「藤島八十郎をつくる」
写真⑤藤浩志「藤島八十郎をつくる」

「関係性さえあれば存在する」ということでしょうか。すべての存在の根拠は関係性なのだと言っているように感じられました。逆に言うと関係しなくなったら存在もない。生きることはすべて関係性に置き換えられます。個と社会、個と世界、個と自然、自と他・・・・。
李禹煥の立体作品のすべてのタイトルが「関係項−」と言うのも頷けます、というか当たり前すぎるくらい。
まぁ自己の確立と社会との関係は根本的に人が皆考えながら生きていることでありますしね。
この年になっても自我があやふやで、かと言って結構勝手気ままに生きて来たので社会への帰属意識も薄い、という私のような人はどう生きていったらいいのでしょう。
こういう作品を見るとわが身が心配です。
話はチョットそれますが、よくデッサンをする時最初はそのものの形しか目に入らないのですが、ずっとやっていくとモノとモノやモノとバック・・・「存在」や「空間」の関係に気が付くようになります。その時初めて「絵画」の内容に入れたのだと私は思います。関係性を求めることこそそのものの本質や実態に向かう一歩でしょう。

結構歩き疲れてふらふらと海に向かって降りていくと棚田の合間に建築中の「内籐礼美術館」が見えました(写真⑥)。これは最初に書いたように宮浦港ターミナルを設計した<NASSA>の一人西沢立衛の設計です。その時はまだ完成しておらず(10月17日開館予定)入れませんでしたが、今はもう当然開館していますね。この美術館は内籐の代表的な作品<母型>の水滴の形からイメージされています。
(写真ではよく見えないかもしれない。緑の合間の丸みのある白い構造物です。)

内籐礼美術館
写真⑥内籐礼美術館(クリックで拡大します)

内籐礼はファンが多いですが、私もかなりのファンです。例えば2008年横浜トリエンナーレ三渓園「茶室」の、細いひもがゆらめく作品や、昨年神奈川近代美術館の個展での、なみなみと水が入っているビンがただ置かれている作品など、ホント痺れます。そこではなんでもないものが愛おしいものとして生まれ落ちる奇跡のような瞬間に立ち会えます。
(神奈川近美の個展タイトルがよかったですね。「すべての動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」−でも人間はなかなかそうはならないんだよなぁ)
内籐本人が言っています。

「そこで生まれてくる形や揺らぎやきらめきは私がコントロールできるものではありません。私が<恩寵>と呼んでいる・・・・(中略)・・・・・。目の前で起きている生成が、自分のなかの生気や生成であると気づき、地上の生と世界との連続性が感じられるとしたら、それは一つの幸福だろうとおもいます」(「瀬戸内国際芸術祭2010」美術手帖2010年6月号増刊、美術出版社)

内籐礼もこの「ベネッセ芸術島」との関わりの深いアーティストで、安藤、大竹、杉本に次ぐくらいではないかな。順番を付けてもしようがないか。家プロジェクトの「きんざ」は予約が取れないので有名です。1日に24人程度しか入れないので、かなり前に予約しないと見られません。ここに内籐礼の美術館ができるのはすごいことです。どれだけの人がくるのでしょう。今後は直島に行ったらその足を豊島まで伸ばすということになりそう。

まだ回り切れないうちにタイムアップ。この他ジャネットカーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの「ストーム・ハウス」(写真⑦)や、戸髙千世子の「豊島の気配」(写真⑧)なども見ました。私の大好きなクリスチャン・ボルタンスキー、塩田千春等の作品が見られなかったのは残念。

ジャネットカーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの作品
写真⑦ジャネットカーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの作品
戸髙千世子「豊島の気配」
写真⑧戸髙千世子「豊島の気配」

また長くなりそうなので、とりあえずここで切ります。
乗りかかった船なので、いつになるかわかりませんが最後まで書ききりたいです。

美研のあれこれ(その1)

エゴン・シーレのポプラ
<エゴン・シーレのポプラ>

島根大学構内メインストリートのポプラです。見事に紅葉し一部の葉はもう散りかけています。
この時期のポプラを見るといつも瞬間的に「あっ、シーレの(描いた)ポプラだ!」と思います。シーレは何点か木の作品を描いています。私の記憶にある作品がポプラかどうか定かではありませんが、この細い枝ぶりとちらちらきらめく葉々やその間の空はまさしくシーレだと思ってしまいます。
他にもどこかで目にするものが、例えばピサロのような田園風景だとか、ゴヤのような悪い天気だとかいうことはよくあります。見たものを比喩として言うのではなく瞬間的に感じるのです。
これはもちろん、そのものの「典型」(本質的なものを端的に)を捉える偉大な芸術(家)のなせる技でしょうが、本物の風景・事物を見るたびに絵を思い出すというのは幸福なのか、不幸なことなのか。
自分の目で世界を見ていると思っていても先人の見方に規定されているということ・・・・。
ただ高校の時に絵描きになりたいと思い、40年近くを経た今でもそれを全うしたいと考えている私にとって、それは本望だと言う以外にありません。

現在私の所属している組織は、「島根大学教育学部芸術表現教育講座」という長ったらしい名称です。また学生の組織は「美術専攻」というので、教員の組織と呼び方が違います。
昔は全部「美術研究室」と言っていて、略して「美研」が定番でした。懐かしい響きです。
今回は私の所属している組織内(教員も学生も)のトピックスを書こうと思いますが、それを「美研のあれこれ」としました。
このHPは私の個人のものなので、公式の呼び方ではないですが馴染みの深い「美研」を使ってもいいでしょう。

○小谷充准教授の著書「市川崑のタイポグラフィ」好評発売中

その旧美研、島根大学教育学部芸術表現教育講座の同僚、デザイン担当の小谷充准教授が今年7月末に本を出版しました。(写真①)
「市川崑のタイポグラフィ –『犬神家の一族』の明朝体研究」(水曜社)です。
すでに9月26日付けの読売新聞の書評で「本書は『犬神家の一族』を中心に、そのクレジットなどに使われた『明朝体』の謎を解き明かした画期的な書である–」と取り上げられたのをはじめ、「キネマ旬報(2010.9月下旬号)」「朝日新聞(2010.9.26)」「図書新聞(2010.9.11)」「映画芸術(2010年433号)」などの書評で次々と紹介されています。
市川崑映画のタイポグラフィに焦点を当てた書籍は本書が初めてだそうで、小谷先生の綿密な調査と考察によりその「謎」が解き明かされていくスリルに満ちた書です。
ぜひご一読を。

小谷充准教授の著書「市川崑のタイポグラフィ」
写真①小谷充准教授著「市川崑のタイポグラフィ」

○卒業研究中間発表

10月6日、恒例の卒業研究中間発表会がありました。(写真②)
発表者は4年生6名(絵画専攻3、デザイン専攻2、美術教育専攻1)。
この中間発表では、3年後期から約1年間ゼミなどで研究してきた卒業制作(論文)の概要を全専攻生と教員に発表します。
来年2月の発表会及び美術館での展覧会が最終発表の機会になりますが、研究段階としては、この時期までに研究作品のコンセプトとスタイルの確立とその内容を保証する技量の獲得が求められます。

卒業研究中間発表会
写真②卒業研究中間発表会

絵画専攻生(私のゼミ生)の3人はそれぞれ次のような研究をしています。
I 君は「作品自体が主体となりえる」作品を研究し、その理念に基づいた作品制作をして来ました。
絵画作品の主体は一体何なのかを研究する中で、それは私個人の個性とか制作者ではなく、作品そのものでありそれが鑑賞者に与える感覚そのものなのだと言う結論に至りました。
フォーマリズムの絵画批評としてミニマルアートなどに見られる理念ですが、彼はそれを歴史からではなく自分の制作体験から導きだしたところが、研究としては価値があるところです。
彼は画面を鑑賞者が自身の全知覚で受け止めるときに作品が成立すると考えたのです。
実際の制作は石膏やジェソ、墨などを使い、手で何度も塗りつける作業–個人の意思を乗り越える作業–を繰り返していますが、発表会で先生方の批評が集中したように、その画面の質が問われることになります。(写真③)
彼が考えたように、鑑賞者が既成概念や記憶を捨て去り、身体を全知覚として感じとるような状態に導ける力を持つ画面空間が築けるのか、これからのますますの精進を期待しています。

I君の作品
写真③ I 君の作品

Hさんは「日常をテーマ」として「見慣れたもののはずなのにどこか心に沁みるような、見る人それぞれにある記憶を誘うような」作品制作を試みています。(写真④「毎日・2」)
「見る人それぞれにある記憶を誘う」ことがポイントで、一点の作品で鑑賞者それぞれが自分の中にある真実にたどり着くようにするということでしょう。
その場のリアリティからは離れ、といって概念化(典型化)するのではなく、あくまでも一人ひとりの個別の記憶に結びつける作品の様態とは?
モティーフの選択、描き込みと省略、バック面の規定と曖昧さ、チョットだけ彩度の落ちた色などいろいろな問題の他に技術も必要で、彼女の奮闘は続きます。

Hさんの作品
写真④Hさんの作品「毎日・2」

Mさんは「現実の奥底にある本質を暴き、感情や記憶の底にあるものと繋がる可能性がある」抽象作品で、「寂しいようでそうでないような」淡々とした雰囲気の作品を制作したいと言います。
そのため、「何かなのだけど何かわからないような」「記憶と結びつくようで結びつかないような」形体と空間を「物の影」からできる形で作ることを試みています。(写真⑤)
この研究は「○○のような、○○でないような」という曖昧さが信条です。
何か知っているもの、わかるものに辿り着きそうで辿り着かないことがポイントであり、それが鑑賞者を魅了する秘訣となるでしょう。
鑑賞者の概念化を宙吊りにするような画面はできるのでしょうか。
そのためには綿密な計算とともに自分自身を感覚的に開放することも必要!?
彼女もこれからもっともっと頑張って欲しいです。

Mさんの作品
写真⑤Mさんの作品

こうしてみると、3人とも作品の意味がもともと作品自体にあるのではなくて、鑑賞者が作品を見ることによって、作品とコミュニケーションをとることによって発生するものだという点が共通するでしょうか。
現代の作品のあり方としておもしろいと思います。

○日本教育大学協会研究集会発表

10月16日(土) 日本教育大学協会の研究集会が、島根大学が当番校として、「サンラポーむらくも」と「島根県民会館」を会場に開催されました。
私が代表をしている島根大学教育学部学部長裁量経費による共同研究「教科内容学研究の開発と推進」プロジェクトも参加し、「『内容構成研究』授業の成果と今後の課題」というテーマで発表しました。(写真⑥)

日本教育大学協会研究集会発表
写真⑥日本教育大学協会研究集会発表

私たちのプロジェクトは教員養成を目的とした授業の在り方–特に教科専門教員による–を「教科内容学」研究として昨年から進めています。
その中で具体的には、私たちの学部が2004年から実施している「内容構成研究」授業に焦点を当てて研究を進めました。
「内容構成研究」授業は島根大学教育学部が教員養成学部として特化した2004年から導入・実施されている教科内容学的授業–教科専門授業を学校教育の教科内容や実践と結びつけた授業–です。
今回の発表は、今まで教員が各々自分の創意工夫で独自にやっていたこの授業について、昨年教員アンケートをとり、その実態を把握しその成果と問題点、今後の課題をまとめたものです。
アンケート結果の要旨としては、
①授業内容は教材研究(55%)・模擬授業(20%)・教科書の内容解説等の実践的授業、演習・実習・実験等を織り込んだ授業が多い
②教育実践を視野に入れた授業をしている教員が多い。 またその内容は多様であり、各自がそれぞれにこの授業の趣旨を解釈・工夫をして授業している。
③実践的内容を持つ授業により、現場での授業に有効であろうとする意見が多い。また効果をあげているという肯定的意見が多い。
④自分の専門授業と内容構成授業の関係はあると考えている教員が多いが、その内容については様々である。
などをあげました。
自由記述から「専門」の意義や本質的内容を教科書や教材の中に見出す、関連付けるという目的を持って授業をしている教員が多いことがわかりました。
また今後の課題としては、①この授業の共通の理念を構築できないか ②カリキュラム上の位置づけができないか。③教育実習と関連付けられないか。④教科教育教員と教科専門教員との組織的・定期的な話し合いが持てないか、などをあげました。

私が思うのはやはり学生の専門の力が弱いということです。授業実践において何よりもその授業の中核となっている内容(美術という芸術が生徒の創造性と生きる楽しみや力を与えられるその秘密)を確実に頭に置いて授業ができているだろうか心配になります。
専門内容–美術のすばらしさ–を授業のなかに活かせるよう自分自身の内容構成研究授業では授業内容を工夫したいと思っています。

12月には学部内で上記の課題の1,2をもとに「教科専門教員はどのような目的・内容で『内容構成研究授業』を行うか」「専門授業と内容構成研究授業をどのように区別するか」をテーマとして授業発表や討論をする研修会を計画しています。

○新任教員紹介

今年度お二人の先生が「美研」に加わりました。
4月からは藤田英樹准教授(写真⑦)。一昨年、転勤された彫刻の石上先生の後任になります。
専門は木彫。人物をモティーフに人間存在の不確かさや脆さを主題にした人間の内面性を表出する彫刻作品を発表。また数体の彫刻・オブジェを配したインスタレーション作品も手掛けています。
藤田先生は昨年まで信州大学に勤めておられました。専門の研究や大学での授業はもちろんのこと、学会の事務局、学生指導、実習指導、美術館等のワークショップなど豊かな経験を持っていて、国立大学法人の美術の関係者のなかではすでによく知られた存在です。
こちらに赴任したてですが学部内ではもうすでに実習部会委員などの仕事もこなし、また我々の講座でもワークショップ実習等中心的な仕事をしていただくなど頼もしいかぎりです。

藤田英樹准教授
写真⑦藤田英樹准教授
有田洋子講師
写真⑧有田洋子講師

10月から美術科教育の有田洋子講師をお迎えしました(写真⑧)。
なんとまだ20代の若さです!学部の教員で最年少になります。
私たちの講座の美術教育担当佐々有生教授が今年4月から附属3校園(幼稚園、小学校、中学校)の校長となり、実質的に学部の授業などができなくなったための後任となります。
有田先生の専門は鑑賞教育。日本画を中心に、鑑賞において意識的に言語を介在させる方法論や、それを発展させ感情と表現内容を明確化する指導方法を研究し、すでに何本かの先鋭的な論文を発表されています。
赴任当初から授業、実習指導に精力的に励まれています。
教科教育は私たち教育学部にとってやはり基幹となる分野です。今後若さを生かして学生の実習指導などに中心となっていくと期待しています。

お二人を加えて講座は5+1(佐々教授)の充実した体制となりました。
これからますます学生教育、地域への美術貢献など勢いを増して頑張って行きたいと思います。

○門脇伸治君の死を悼む

それは突然の訃報でした。

学生からH.16年度大学院を修了した門脇が亡くなったと聞いたときはまさかと思いました。
門脇は私のゼミで修士課程を修了し、美術の先生を目指して講師やバイトをやっていました。30歳でした。

彼はついこの夏のSEED展にも100号の作品を2点出品しています。
10月15日の朝突然逝ってしまったということで、お葬式はもう終わっていました。
ご両親に連絡をとり、23日(土)美研の卒業生・在校生14名でご焼香に行って来ました。
前の日に寝たままの安らかな寝顔だったそうです。急性心不全ということでした。
ということは本人は自分が死ぬこともわからなかったのでしょうか。理不尽すぎます。
またあまりに突然のことでご両親もどう受け止めていいかわからなかったと思います。
ご両親の気持ちを思っても胸が痛くなります。

門脇は本当に実直で頼りがいのある頼もしい男でした。
気は優しくて力持ち。何があっても怒らないで、辛抱強く自分の仕事をコツコツと果たしていました。
ですから講師をしていた中学の生徒にはずいぶん慕われていたようです。
私たち美術研究室卒の近くの者が14名も集まった他に、ここ10年程の卒業生40名から香典が集まりました。
寡黙な男だったので、ご両親は本人が外でどんな様子だったか知らなかったようで、私たちの語る彼のエピソードにひとつひとつ「へぇ、そうですか」と言って目を潤ませていました。(SEED展に来ていたかわいい女の子はずっと話をしていましたよ。)

遺影のある部屋には門脇が描いた、大学のアトリエに一人立つ自画像、枯れ葉の落ちているコンクリートの道、今年のSEED展出品作。みな見覚えのあるものでした。
制作中だった作品が本人の部屋にあるというので見せて頂きました。100号の画面に白い石膏とアクリルメディウムで厚くマティエールが作られていました。もちろん途中ですがとても美しかった。彼は3年後のSEED展も考えていたのでしょうか。

彼は早朝の漬物屋のバイトも、老人ホームのお年寄りの世話も、いくつかの中学校での講師も、倦むことなく、誤魔化すことなくすべての物事に誠実に向かっていました。
言うまでもないことかも知れませんが、彼のような若者が本当の意味で社会を支えているのだと思います。
私は彼の指導教員でもう何年も多く彼より生きていますが、それでも正直これでいいのだろうかと不安な気持ちになることも多いです。
そんな時は門脇のひたむきな目を思い出すことにします。
彼はいつも私たちの心の中にいます。

門脇伸治「地」
(門脇伸治「 地 」アクリル、ミクストメディア 162×393cm
H.16年島根大学芸術研究科修了制作作品)
 
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