瀬戸内国際芸術祭&直島探訪記 2010.9.15〜9.17(その2)

瀬戸内海の朝
(瀬戸内海の朝)

前回の「フジコ・ヘミングウェイ」の話を友人にしたところ、そういう言い間違えはよくあるよねと言って、自分の若き日の思い違いを披露してくれました。曰く「シニャック」を「シャニック」「ショスタコービッチ」を「ショタスコービッチ」。さすが私の友達。でてくる人物がみな芸術家です。
彼はまた私が「オランジェリー美術館」と言うのを聞いて「『オランジュリー美術館』だろう。『オランジェリー』ではなまめかしくないか。」と言っていました。
これって向田邦子の『眠る盃』現象ですよね。向田邦子は「モディリアーニ」のことを「モリディアーニ」と覚えてしまったそうです。うーん、ありそう。人名ならそれだけのことですが、「荒城の月」の歌詞「巡る盃」を「眠る盃」と聞き間違えたことから、酔いつぶれた父親の記憶が蘇る。これは聞き間違えがその人独自のイメージを作るわけで、深いと言えなくはないなと思ってしまいました。

では前回の続きです。

地中美術館の後、ベネッセハウス内の敷地(ベネッセアートサイト)をブラブラし、そこの野外作品群を見ました。

海岸沿いの広大な敷地に18の作品があります。
そのいくつか紹介します。

まず大竹伸朗の「シップヤード・ワークス 切断された船首」(写真①)
大竹はガラクタを際限なく貼り続けるコラージュがよく知られてますが、船も作品として結構使ってますよね。
大竹は船を切るのが好きですね。
ここ直島と密接な関係を持って制作活動をしている作家は安藤を筆頭に多くいますが、大竹もその一人で、またあとで紹介しますが、「直島銭湯 I♥湯」や家プロジェクトの「歯医者」など、精力的なというか、とんでもなくナンセンスで真面目な、と言うかナンセンスであることを超真剣にと言うか・・・ホントすごい作品が見られます。

ニキ・ド・サンファールの作品が5点あります。(写真②)。
日本でもお馴染みのニキ・ド・サンファールですが、彼女が2002年に亡くなり、ニキの収集家である増田静江さんも昨年亡くなりました。那須のニキ美術館も今は閉館していますね。私は1980年代から増田さんにはお世話になっていたのでさびしいかぎりです。

海岸の岩に杉本博司の有名な写真作品「タイム・エクスポーズド」シリーズ(写真③)が見られます。岩の上!?写真を風雨の激しい自然の中に置くということですが、これはどうかなぁ?
杉本博司も直島と密接な関係を持っている作家のひとりです。杉本の作品はベネッセミュージアムや家プロジェクトでも出てくるので、その時また。

大竹伸朗の作品
写真①(大竹伸朗の作品:クリックで拡大)


ニキ・ド・サンファールの作品
写真②(ニキ・ド・サンファールの作品:クリックで拡大)
杉本博司の作品
写真③(杉本博司の作品:クリックで拡大)

草間彌生の「南瓜」(写真④)。もうこれは有名すぎて。直島のシンボル的作品となってますね。
直島の宮浦港には「赤かぼちゃ」もありますが、こちら(黄色)の方が存在感があります。
若い女の子たちがひっきりなしにキャーキャー言いながら写メしています。私もしました。写真撮りたくなるんですよね。
草間彌生は私が見た限りでも、1998年のMoMAでの個展、2004年東京国立近代美術館他での大回顧展での扱いの大きさはもちろんのこと、越後妻有のモニュメント、「ヨーロッパ研修旅行②」で紹介したロンドン・ヘイワードギャラリーの「WALKING IN MY MIND」展、大阪の「絵画の庭」展、果ては今名古屋で開催されている「あいちトリエンナーレ」まで中心アーティストとしてポスターなどに必ず取り上げられています。今では大きな芸術祭にはボルタンスキーなどと並んでなくてはならない存在です。
しかし上の2つの個展はホントすごかったですが、ヘイワード・ギャラリーのところでも書きましたが、作品によってはやけに楽しくなってしまっていて、こちらに脅迫的に迫って来るものは衰えているように思えます。こういうモノって作家の「生」の切実さによるのではないかと思いますが、創作の源泉だった統合失調症や躁鬱の感情障害は治ってしまったのでしょうか。
草間の多くの作品がペンダントやハンカチ、Tシャツ等のお土産になっているということもあります。既成のかわいらしさとはチョット異質な模様の繰り返しが却って受けているところでしょうか。しかしそれがあまり出回るためあのドットもアウラを発揮するどころか品のいい意匠となってしまっている感じ。大衆的人気を博している運命でしょうか。
草間は初期のコラージュあたりから、大がかりなインスタレーションも、環境作品も、ハプニングも、ビデオアートも、大画面の絵画もすべての創作に同等の質を持って提示できる稀有な才能を持っているアーティストだと思っているのですが(私が言うのもなんだけど・・・・・)。

草間彌生の作品
写真④(草間彌生の作品:クリックで拡大)

他にはウォルター・デ・マリア、片瀬和夫などの作品がありました。

夕方になりベネッセハウスミュージアムに行きました。ここは夜9時までやっているので夜でもゆっくり見られます。

この美術館(+ホテル)ももちろん安藤忠雄の設計で、直線的でシンプルな構造なのに非常に豊かな空間を感じさせる建築です。
撮影禁止なので写真はありませんが、いくつか紹介します。

須田悦弘「雑草」。2Fのコンクリートの壁の隙間に点々と雑草が生えています。と言ってもご存知のように丹念に作られた木彫作品です(ここはコンクリートの隙間もコンクリートなので雑草が生えているはずはありません)。よく見ないと、と言うか注意して探さないと見つかりません。多分半分くらいの人が気付かず通り過ぎていると思います。須田の作品はいつもそうで、原美術館の作品もパイプ管の上の方にポツンとあって気付かないですよね。
須田は家プロジェクトの「碁会所」の畳に椿の花を散らしています。これはすぐ気付きます。

柳幸典「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」
柳の代表作のひとつ、砂で描いた世界中の国旗の中を蟻が這い回り国旗が少しずつ崩れていく作品。
国旗というデザインなのにそれが蟻によって侵食されていく様子は、ボーダーレスという概念に質量を感じさせます。ホントに柳の政治的批評性は鋭いです。
柳は他に「バンザイ・コーナー」(万歳する大勢のウルトラマン?ウルトラセブン?)など2点有ります。
柳はこの芸術祭で犬島に旧銅精錬所施設を使った「精錬所」アートプロジェクトを行っています。犬島には行かなかったので見られませんでしたが、柳が何よりもすごいのは、このプロジェクトのためにここに来たのではなくて、1995年以来ほぼ犬島に住み着いてこのプロジェクトを進めていたということです。あれだけ世界的に名声を博したアーティストがなお自らの制作のために小さな島に住む・・・・そのアイデンティティの強固さ。
まぁでもよく考えれば今はどこにいても世界的な活躍はできますね。大竹も宇和島にいるし。そういう行動にあこがれるのは自分の軟弱さの裏返し?

先ほど岸壁に掛かっていた杉本博司の「タイム・エクスポーズド」シリーズの写真作品がここでも建物の外に展示されています。このミュージアムも地中美術館同様自然の光を採り入れていますが、そのため結構ガラスの壁面が多い。外に突き出たコンクリートの壁面に杉本の作品が10点ほどかけられているのがそのガラスを通して見えます。もちろん外にも出られますが。
ご存知のようにこの「タイム・エクスポーズド」シリーズの作品は世界各地の水平線を長時間露光して撮ったものです。ただ画面の中央で海と空が分かれているだけですが、その海はそれが人類発生以前の太古からずっとあったものであることを実感させます。この作品のすごさはもう言うまでもないでしょう。
問題はこの作品がわざわざ外に展示されている点です。
作品を海の日光や風雨にさらすというのは杉本本人の提案だと聞きますが、実際には作品の保護能力がすごく、あまり黄変や劣化はしていません。
よく見ると作品の水平線が壁の合間から見える瀬戸内海の水平線と同じ高さにあります。世界の海がここのreal seaと続いているということでしょうか。
ロマンティシズム?私にはいささか観念的に思えました。
そうすることでこの作品の価値と言うか意味が豊かになるのでしょうか。
よくわかりませんが、私が思うのはなぜ写真作品だけではダメなのだろうかと言うことです。
話を一般化してみますが(というかどうしても自分に引き付けて考えてみてしまいますが)、例えば絵画として制作したものを絵画として見せてはいけないか?何らかのサイトスペシフィックな要素がないとインパクトを与えられないのでしょうか?
絵画を含め伝統的な形式が力を失ってきた経緯はイヤというほど見てきました。インスタレーションや環境作品が魅力を持った形式だということもわかります。しかしそれらが絵画より優れた形式だとするのはやはり多元的な価値を認めない偏狭な批評でしょう。
絵画としての伝統的な形式はどれだけのことが可能なのか、それとも環境とのかかわりをどう取るのか・・・・そんな問題にいつも向かい合うのが平面的作家(?)の今日この頃です。
私としてはいいかげんそんなことをふっ飛ばすような圧倒的な平面作品が見たい。そこで写真というジャンルの威力を圧倒的に体現している杉本作品は堂々と見せて欲しいなぁと思ってしまった次第です。

B1Fの広い円形のスペースにブルース・ナウマンの「100生きて死ね」があります。
ブルース・ナウマンというと私は自分の身体を使ったパフォーマンスやビデオアートがすぐに頭をよぎりますが、ネオン管を使ったコンセプチュアルなインスタレーション作品もたくさんあるとか。
その代表作で、様々な色のネオン管で「○○して生きよ」というのと「○○して死ね」という文字が次々を浮かび上がる作品。例えば「SLEEP AND LIVE」とか「EAT AND DIE」
とかいったフレーズです。全部で100あって(「100生きて死ね」ってタイトルだから)それらがランダムに点滅し最後は全部点く。ここも天井から自然光が差し込むので時間とともにだんだん暗くなります。夕方暗くなった部屋に様々な光色の100のフレーズが浮かび上がる様子は結構ぐぐっときます。

他にデイビット・ホックニー、リチャード・ロング、ヤニス・クネリス、ジェニファー・バートレッドなどなど。

また長くなってしまいました。
前回の比ではないな。
もう少しでこの日の分を終わらせます。

その日はベネッセハウスの別館「オーバル」というホテルに泊まりました。美術館のある建物から宿泊者専用のモノレール!(写真⑤)で高台まで登ります。そこには6つの部屋が楕円形(オーバル)の池の周りに配置され、(写真⑥)それぞれの部屋から地中海じゃなかった、瀬戸内海が見えます。ここも安藤忠雄の設計なので屋根の上が地上で草や木が生えています。翌朝、その屋根の上の大地から撮ったのがTOPの写真です。
各部屋にはここに泊まったアーティストが直接壁に描いた作品があるのですが、私のところはリチャード・ロングの版画でした(写真⑦)。直接描いたものではないですがかわいい。

宿泊者専用のモノレール
写真⑤(宿泊者専用のモノレール)


ベネッセハウスの別館「オーバル」
写真⑥(ベネッセハウスの別館「オーバル」)
リチャード・ロングの作品
写真⑦(リチャード・ロングの作品:クリックで拡大)

続きはまた次回に。

瀬戸内国際芸術祭&直島探訪記 2010.9.15〜9.17(その1)

ベネッセハウスカフェから望む瀬戸内海
(ベネッセハウスカフェから望む瀬戸内海。
野外にジョージ・リッキーの作品。遠くには大鎚島と瀬戸大橋)

やっと暑さも少し収まったかなと思える9月の中旬、瀬戸内海の7つの島で開催されている「瀬戸内国際芸術祭」と、その中心となっていてすでに安藤忠雄の地中美術館などで有名な直島を3日間に渡って探訪してきました。
アーティスト、作品、建築、自然、島の歴史、地域の人々・・・その壮大なコラボレーション、美術を通した個と社会、そして自然の融合を全身で体感し堪能しました。
今回はその様子と作家・作品についてレポートします。

以下のような日程を計画し、ほぼその通り回れました。
それでもかなりの人出で、整理券で入場時間を決められたり、予約が取れなかったりしたので、8月の夏休みは大変だったのではないかと思います。

9月15日/李禹煥美術館、地中美術館、ベネッセハウス周辺の野外作品群、ベネッセハウスミュージアム
16日/瀬戸内国際芸術祭 豊島、男木島、直島銭湯「I♥湯」
17日/家プロジェクト

まずは1日目です。

今日回る施設(地中美術館、李禹煥美術館、ベネッセハウスミュージアム等)は全部安藤忠雄設計による建築で、安藤が個々の作家や作品あるいは直島の自然との関係を通して構築した集合体です。その意味で壮大な安藤ワールドを体験すると言ってもいいかもしれません。

昼過ぎに直島に着くとすぐに地中美術館のチケットセンターに行って整理券をゲット。40分後からの入場だったので、無料の循環バスで5分ほどの李禹煥〈リウファン〉美術館へ行きました。

李禹煥美術館は韓国人アーティスト李禹煥の個人美術館。もちろん安藤との緊密なコラボ関係で作品が置かれています。まずは遠景から野外に置かれた2つの作品を見ます。この美術館はこぢんまりとしていますが、野外作品は広々とした空間に李お得意の大きい石や鉄板が配置され、周りの景色を一気に緊張で包み込んでいます(写真①②)。
そこを過ぎると今度は安藤らしいコンクリートで仕切られた壁を右左に進んで屋内の展示へ(写真③)。
ここでも一部屋一部屋が綿密に計算され李の作品の根源性、内省性と呼応しています。(この先撮影禁止)

李禹煥美術館
写真①(李禹煥美術館)
李禹煥の作品「関係項-点線面」
写真②(李禹煥「関係項−点線面」:クリックで拡大)


李禹煥美術館
写真③(李禹煥美術館)

例えば部屋の壁の材質や天井の形態も一つとして同じものはなく、作品の様態とぴったりコラボしています。
李の作品でおもしろかったのは、岩に光があたりその影の部分に空や水の映像が映る作品。それはなんとも清新で神秘的でいつもの李の作品に見られない柔らかさを持っていました。
私にとって李禹煥は1970年代のもの派を代表する作家として30年以上に渡りさんざん見てきた既知のアーティストであり、これから見るであろう瀬戸内国際芸術祭の地域・社会連携型作品の弾け方と比べると厳格でおとなしめなので、最初は正直ワクワク感はなかったのですが、これだけ見事に建築と作品が一体化した世界を見せつけられるとやはりすごいなぁと感心せざるを得ませんでした。

それから地中美術館へ。

この美術館は安藤の初期の傑作でしょう。例によって入口からコンクリートの壁に導かれグルグル回りながら美術館内部に入ります(写真④)。
ここから先は写真撮影禁止(基本的にベネッセ関係の施設内部は全部撮影禁止です)なので資料写真はありません。
この美術館は3人のアーティストの作品しか展示していません。モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの3人です。

地中美術館
写真④(地中美術館)

まずモネ。
晩年(1914〜1926)の《睡蓮》5作品が展示されています。この島で近代作品が見られるのは私の知る限りこのモネとベネッセハウスフロントのジャコメッティの2点だけ。この睡蓮はオランジュリー美術館のあの壮大な睡蓮と同時期の作品で、かなり朦朧、抽象化したやつです。その様相が、よく言われるように近代の客観的視覚作品を超えていることも事実だとは思いますが、近代作品がここに置かれて違和感がないのは、白い光りを放つ回りの壁と床、つまりこの部屋によるものです(と断言しちゃう)。安藤はモネの作品があたかも光の海に浮いているがごとく見えるよう、天井から自然光を巧みに採光しています。(実はこの美術館、光はほとんど自然光なのです!)また床は白い大理石のキューブを敷き詰めてあって、これもまぶしい光を放っています。李と同じように私にとってモネも見慣れたものなのですが、これも李禹煥美術館と同じように安藤のマジックなのでした。ここのモネはまさに光の池にあるようで新鮮でした。

次にジェームズ・タレル。
タレルはそれこそ光の作家として有名で、私も写真ではよく見ていたのですが実際に見て、いや体験しておったまげました(失礼)いや驚きました。
〈オープン・スカイ〉はくり抜かれた天井から空を見上げる作品。この作品はLEDとキセノン・ランプが使われているそうですが、昼間だったのでその効果がどうなのかはよくわからず、自然光が注いでいるようでした。大理石と漆喰の白い壁と床に囲まれて、なんとも言えない淡い光が溢れる部屋に座り空を見ていると、異質の世界にしんと佇むような感覚を覚えます。くり抜かれた天井に厚みがないのがすごい(どうなっているんだろう)。白い部屋と薄い天井によって客観的に見るという感覚がなくなり体感する感じになります。
次の〈オープン・フィールド〉では入り口でしばらく待って、8人ぐらいずつ暗い部屋に入ります。壁に階段がありその上に青白く光っている四角いものが掛けられています。と思った瞬間そこから人が出てきました。エッ、ビックリ!そこは四角く開けられた次の部屋に入る入口で、前に入っていた人たちが出てきたのでした。私たちも階段を上がりその光が靄のようになっている部屋に入りました。斜めに傾いた床を朦朧とした青白い光の中を歩くと、遠近感がまったくわかりません。ここがどこなのか把握できない無限の空間にいる感覚です。心細いような至福の光に包まれているようななんとも不思議な気分でした。

そしてウォルター・デ・マリア。
ここでも入り口で少し待ってから部屋に入ると、広々とした階段の部屋の中央にものすごく大きな黒い花崗岩の球体-直径2.2mだそうで-があるのが目に入ります。ともかく広い、大きい。周りのコンクリートの壁には金箔の貼られた木製の彫刻が並んでいます。天井から入る自然光も相まって何やら厳かで静謐な雰囲気に包まれていました。石の玉なのに。

<地中>美術館をよく<地中海>美術館という人がいます。特におばさんが言ってしまいがちです。まぁ私も先日「フジコ・ヘミング」のことを「フジコ・ヘミングウェイ」と言ってしまったのでたいして変わりませんが。この島のどこからでも見える瀬戸内海はとても美しく、地中海と勘違い?してしまうのもわからないでもありません。事実、豊島で「心臓音のアーカイブ」という世界各国約1万人の心臓音を集めたインスタレーションをしているご存知!クリスチャン・ボルタンスキーも、ここは地中海によく似ていると言っていますから。けれど地中海の美術館ではありません。建物のほとんどが地中に埋められているのでこの名がついたのは周知のとおりです。環境を壊さず共生するこの建築は、でも観覧者も全体像をというかそれどころか一部の外観も見ることができません。外から建物(と言っても空からの画像では草木の生える大地に採光用の矩形の屋根あるいは穴?がいくつか見えるだけですが)を見ることができないのです。1か所、カフェからだけ外に出られますが、そこからは瀬戸内海の島々が見えるだけです(写真⑤)。これも美術館を体感するためでしょうか???

瀬戸内海の島々
写真⑤(瀬戸内海の島々)

あっ、イカン。ずいぶん長くなってしまいました。まだ直島に着いて2時間くらいしか経っていない。なんでも知ったかぶりしてしゃべりたくなる私の悪い癖だ。今回はこれくらいで終わりにします。あまり長いと誰も読んでもらえない。
続きはまた今度。

 
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