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2011年6月22日15:29
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展覧会 , 旅行 , 現代美術 , 美術館
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[雲を測る男]ヤン・ファーブル
今回は金沢21世紀美術館で私が見た3つの展示−「イェッペ・ハイン360°」展、「サイレント・エコーコレクション展1」、「恒久展示作品」についてレポートします。
近年、一つの美術館で複数の企画展示を催す美術館が増えてきました。東京都現代美術館や広島市現代美術館、新美術館などはどれも見応えのある企画展を同時期に複数開いています。とともに、自館の収蔵作品を、あるテーマに沿って展示するコレクション展が行われることも多くなりました。東京都現代美術館などは、膨大なコレクションを色々な切口でその都度新鮮で刺激的な展示をしているので、収蔵品展がいつ行っても楽しめます。今回の金沢21世紀美術館の「サイレント・エコー コレクション展1」もその種のものです。
残念ながら「無料ゾーン」だけしか写真撮影が許されていないので、「有料ゾーン」の2企画展は写真での紹介ができませんが、まず「イェッペ・ハイン360°」展から。
「イェッペ・ハイン360°」展
デンマークの若手作家の日本の美術館での初個展。
インスタレーション10点の展示。「回転するピラミッド Ⅱ」は壁に取り付けられた全面鏡の四角錐がゆっくり回転し、反射の光で周囲の光景が変わり、また鏡に周囲の断片が万華鏡のように映り込む作品。
「見えない動く壁」はほとんど気付かないくらいの速さで部屋の中に設置された壁が動く。自分のいた場所が変わったように錯覚するのでその空間が把握しづらくクラッときます。
また「変化するネオン彫刻」はネオン管でジャングルジムのような立体が作られており、2秒おきに点灯するネオンが変わって色々な立体彫刻が現れます。
などなど、鏡や光を使った理知的、工学的な作品でありながら、人間の精神の奥に響き、くすくすっと笑いながらそれぞれを体験できる幸せ感溢れる展示でした。
特におもしろかったのは「見えない迷宮」。ヘッドフォンのような赤外線受信機を頭にかぶって、全く何もない広い部屋に入ります。部屋の中を歩くと、所々でビビビビっと頭に信号が送られてきます。赤外線信号によって見えない壁が作られていて、鑑賞者は信号を頼りにその壁に沿って迷路を歩きます。何もない部屋なのに見えない情報で頭の中で建築が生まれてきます。感覚、意識の不思議さを考えさせられる作品でした。
「サイレント・エコー コレクション展1」
最初に書いた、コレクションをあるテーマに沿って企画化し展示したものです。今回は音楽家ツエ・スーメイの「エコー」という作品の収蔵をきっかけに、「身体、音、技術の融合や連鎖的なつながりの中で生み出される音楽」と同じコンセプトで作られた造形芸術を集めた展覧会だそうです。
ヴィック・ムニーズのチョコレートで描いた作品、中川幸男のつぶれた花の作品、他マシュー・バーニー、ジェゼッペ・ペノーゼ、杉本博司など11点の作品が展示してありました。
一番すごかったのはやはり、ツエ・スーメイの《エコー》。これはスーメイがそびえたつ山を前にしてチェロを弾く様子をビデオに取った、ビデオインスタレーション作品です。画像が変に鮮やかでキメが荒くどこか現実感がないのがまず気になります。壮大な山々に向かってスーメイがチェロを弾くとその音がこだまとなって返って来ます。何回か弾いているうちにそのこだまは思わぬ時に返ってきて、時には演奏していない時にも山から音が聞こえてきます。それはまるで山自体の声のように思えます。なんだか自然の意志を聞いているようでもあるし、人知の及ばない自然との対話をしているような感覚に包まれます。原初的であり、また未知の世界に連れて行かれるような感じがすごかった。
「恒常展示作品」
現在金沢21世紀美術館の内外に恒久設置されている作品は10点あって、そのうち6点はいつでも見られます。
このtopicsの冒頭に載せたヤン・ファーブルの「雲を測る男」、オラファー・エリアソンの「カラー・アクティブ・ハウス」(写真①)、ジェームズ・タレルの「ブルー・プラネット・スカイ」、マイケル・リンの「市民ギャラリー2004.10.9-2005.3.21」(写真②)など。いずれも今をときめくアーティスト達ばかりです。
(写真①)
(写真②)
ファーブルの「雲を測る男」は空に向かって定規を掲げている(素敵な行為です)男の像ですが、美術館の中央に1つだけある円筒形の部屋の上に展示されています。外からは意外と遠くまで行かないと見えません。ファーブルは、あの昆虫記を書いたファーブルのひ孫にあたるので(そのせいかどうかはわかりませんが)、よく昆虫を使った彫刻を作っていますね。ベルギー・アントワープ生まれなので、ブリュッセルの「ベルギー王立美術館」に、黄金虫で表面を覆った球体彫刻がありました(写真③)。
タレルの「ブルー・プラネット・スカイ」は直島の「地中美術館」で紹介したものと同じですが、あの時はずいぶん並んでやっと入れたのに、今回はいつ行っても誰もいなくて、なんとタレルの空を独り占め状態(写真④)。超贅沢体験でした。
チケットが必要なのは、レアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」(写真⑤)、ピピロッティ・リストの「あなたは自分を再生する」、アニッシュ・カプーアの「世界の起源」など。
上記のほとんどのアーティストはこのtopicsでおなじみです。
(写真③)
(写真④)
(写真⑤)
アニッシュ・カプーアだけは初出ですが、私がものすごく好きなアーティストの一人です。インド生まれのイギリス人。一昨年の「ロンドンアカデミー」での個展や、ロンドンオリンピックのモニュメントタワー制作などで今やイギリスを代表するアーティストです。「世界の起源」は傾斜したコンクリートの壁の上の方(手が届かないくらいの位置)に黒い楕円形の穴???がある作品です。よーく目を凝らして見てもそれが黒い壁なのか穴なのか、そしてそれがどこまで続いているのかわかりません。
いつもこの手でやられます。あのマットな黒い空間は「宇宙=無」そのものです。世界は「無」で出来上がっているんだと納得させられてしまう。そしてその「無」は寒々しいものではなくぞくぞくするほど神秘的で官能的です。
ということで、建築から現代美術の作品の質や展示・紹介の仕方、観覧者との交流など、どれをとっても納得できる素晴らしい美術館で素敵な時間を過ごしました。
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2011年6月14日16:52
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[金沢21世紀美術館]
5月末、季節外れの台風の中、松江から日本海側の山中や海沿いの一般道を9時間ほど走らせて金沢に行って来ました。
これ以上ないくらい悪い天気でしたが、はじめて走る北陸路はそれだけでも面白く、雨、霧にかすむ緑も美しいものでした。一日目は福井の友人宅に寄り道。何年かぶりで旧交を温めました。
雨に煙る東尋坊
翌日、金沢に着き、金沢21世紀美術館で「2011CAF.N金沢展」の飾り付け。5月31日〜6月3日が会期でした。
この展覧会の模様と作品は[Exhibition]と[Gallery]にアップしていますので、ぜひご覧ください。
今回はあこがれの金沢21世紀美術館レポートです。
まずはこの建築。
妹島和世&西沢立衛のユニットSANNA(サナー)によるものです。この二人の建築についてはこれまでロンドン、ニューヨーク、瀬戸内国際芸術祭で出会い、それぞれこのtopicsで紹介してきました。
ガラス張りの円形の外壁部(といっても全部ガラスですが)と、その中に高さの異なる円柱と立方体の部屋−19の展示室−が通路を隔てて並んでいます。このガラスの壁と箱型の部屋(仕切り)は今までも何度か見たスタイルです。
とにかく明るくて開放的。外から中の様子も見えますし、また中の通路スペースの角を曲がるごとに建物の中や外が見えたり見えなかったりして、歩き回ること自体がウキウキします。
小学生の団体や若いカップルが多く、人々の行きかう様子もガラス越しに目に入るので、否応なしに華やいだ感じがします。
開館以来5年間で入館者数700万人突破という記録的な数字をはじきだした21世紀美術館は、確かに金沢市長が自身の進退を懸け、長谷川祐子氏、北川フラム氏ら現代美術に関わる英知を集めて作っただけあって、鑑賞者との関係を総合的に創り上げる仕掛けがそこかしこに配されているすばらしい美術館でした。
実はすぐ近く、5分ほどのところに「石川県立美術館」があります。この美術館は昭和34(1959)年創設の落ち着いた趣のある建築(こちらは谷口吉郎の設計)なのですが、私が行った時には人がほとんどいませんでした。私はここの一階に入っている辻口博啓氏(「自由が丘モンサンクレール」の辻口!)のパティスリ−&カフェ「ル ミュゼ ドゥ アッシュ」のケーキが食べたくて行ったのですが、ここもシーンとしていました。
石川県立美術館
当日ここでは笠間日動のコレクションから「セルフポートレイト」展を企画展示していて、チョット絵の勉強をやっている方ならそれこそ垂涎ものの作品群が並んでいました。
安井曾太郎、梅原龍三郎をはじめとして、鴨居玲、林武、佐伯祐三、辻永、藤田嗣治、萬鉄五郎、脇田和というお歴々から、現在活躍中の奥谷博、松樹路人、堀研、深澤孝哉・・・まで質・量ともしっかりした素晴らしい展覧会でしたが。
たまたま天気の悪い日の夕方という時間(でも日曜日)なので閑散としているのか・・・それともやはり金沢21世紀美術館ができたせいなのか。その日の印象だけで結論付けるのは早計ですが、市の中心部、兼六園や金沢城公園に隣接し、散歩気分のまま気軽にうろうろできる21世紀美術館にすっかりお客さんを奪われたという印象を受けました。
金沢はそれだけ現代美術が浸透していると一見思えるのですが、そしてそうなら奇跡的にすごいことと感嘆するのですが、しかしことはそれほど単純ではないようです。
金沢の現代美術家に聞くと、地元では21世紀美術館はわけのわからないものをやっているところという認識の人が多く、愛好家は全然行く気にならないらしい。入館者は小、中学校の団体、観光客、若い人がやはり圧倒的に多い。
金沢もご多分にもれず日展系公募団体が強く、展覧会を開くと「次は日展ですね」と言われるという。むしろ漆や金箔などの伝統工芸の盛んな金沢は、芸術全般に伝統の踏襲意識のほうが高いのかもしれません。地元の現代美術アーティストはかなり肩身が狭く作品も発表しづらいらしく、CAF.Nが来てくれてありがたいといった反応が多かったです。
ここで本当なら何が現代美術かということを定義しなくてはなりませんが、長くなるので今はやめておきます。例えば「コンセプチャルな理念を基底としたインスタレーション等の形式」・・・とするとCAF.Nなどでも現代美術と言うより「比較的新しいタイプの作品」といったものが多い。しかしそれでもここでCAF.Nの作品はかなり現代的だとして当地のマスメディアに取り上げられました。
現代美術が地方において理解されないという問題は、なにも金沢ばかりでなく島根もそうですし、全国的な問題だと思います。しかもこれは地方と言っても関東地方でも多かれ少なかれあるものですし、ニューヨークだって現代美術ばかりではありません。
しかもやはり年配の、美術に対する固定概念を持った方はこのような場所には行きづらい感じ。だから美術の好きな方ほど却って拒否反応が強いような気がします。こんなことはいまさら言うまでもないという感じですが、逆に「瀬戸内国際芸術祭」などは、観覧者の多くが10代、20代前半くらいの若い女性群で、彼女たちは何の屈託もなく廃屋に設置されているモノやその場の雰囲気を楽しんでいます。彼女たちが現代の美術を引っ張って行きそうな期待感さえ持ちます。
21世紀美術館のことから話題が離れてきましたが、私はこのような問題に強く感心があります。そもそも現代における美術を考え制作し、そしてそれを鑑賞者と共有することを求めることは私の人生の柱になっています。それは今生きている私たちがその意味を問い、またその答えを今価値のある形式として創作し伝えることが自分のやるべきことであると思えるからです。
また現代の理念や形式は単にポッと出てきたものではなく、それこそ、美術に関わったすべての叡知の歴史の上に築かれたものです。そういう点でも現代美術はすべての人の精神に関わっていることを知って欲しいと思っています。
それではどうしたらこのようなことを伝えることができるでしょうか。
これ以上は長くなるので(長くなると読んでもらえないので)やめますが、いかに私たちが求めている美術のあり方を一般鑑賞者に伝えそれがまた共有できるかを考え、またその具体的方法を実践していきたいと思っています。その意味で金沢で過ごした3日間は刺激の多いものでした。
金沢21世紀美術館は美術を一般に浸透させる工夫の一つとして、「公園のように開かれた美術館」としてのデザインばかりでなく、例えば展示スペースを「有料ゾーン」と「無料ゾーン」に分け、「無料ゾーン」は閉館日でも見られるようになっています。
例えば無料ゾーンの一つに「長期インスタレーションルーム」というのがあって、ここはいつでも自由に見られます。この1年間はイギリスのアーティスト、ピーター・マクドナルドの「Visitor」という絵画作品を展示してありますが、それだけでとどまらずワークショップなどの企画を経て、地元の若者たちと共同で、他の展示室に「Disco」という壁画として新たな作品ができるそうです。
ピーター・マクドナルドの絵画作品「Visitor」
また他に託児所やキッズスタジオなどのスペースを設けるなど、建築デザインと一体となった開放化コンセプトが随所に見られます。
その展示の子細はまた次回にします。