「廖修平と弟子たち展」台湾展&台湾美術館&観光(2023.9.22-9.29)

2023年9月22日から22日までの1週間台湾に行ってました。
台湾は3度目なので、今までに行っていない瑞芳、九份、迪化街などを回った。九份は「千と千尋の-」ばかりが先行している感じだったので、どうかなと思っていたけど、結構エキサイティングで面白かった。九份茶房というところで、ウーロン茶の入れ方を見せてもらった。
霊感など全くない私なのだが、龍山寺は最初に行った時に、なぜかビビっときてしまい、それ以来必ず行くようにしている。(ただちょっと前から線香が禁止になってしまい、もう霊感も働かないかも)
本来の目的は「廖修平と弟子たち展」台湾展のオープニング出席で、こちらは華やかに楽しく行われ、台湾の作家達との親交も深められた。
台北市立美術館は3回目にしてやっと開館時に行くことができた。スケール、空間ともに立派な堂々とした美術館。企画も内容が濃く素晴らしかった。
三階建だが、1階は台湾の名映画監督の楊德昌(Edward Yang)の全貌展示「A One and A Two: Edward Yang Retrospective」。2階は幼くて日本に渡り画家として活躍した何徳来の回顧展-「吾之道」3階は新進気鋭の4作家の映像インスタレーション。
日帰りで台中にも行って来た。お目当ては伊東豊雄設計のオペラハウス「台中国家歌劇院」と国立台湾美術館。
台中国家歌劇院は、どうしたらこんな空間が生まれるのかってくらいウチも外もものすごい。いやー素晴らしかった。
国立台湾美術館も広いスペースにスケールの大きな企画展が開催されていた。「全國美術展」は現代美術の全国コンクール。以前あった毎日現代美術展みたいなもの。台湾美術界を牽引してきた黄才郎の回顧展。新進気鋭の作家数名の映像インスタレーション展。
今回台湾美術を堪能したけど、ちなみに台北市立美術館は全部で30NTD(140円くらい)、国立台湾美術館は全部無料。日本の文化行政の酷さを憂える。

台湾風景
台湾風景
ウーロン茶の入れ方
九份茶房
台湾風景
台湾風景
台湾風景
台湾風景
台湾風景
廖修平と弟子たち展
廖修平と弟子たち展
廖修平と弟子たち展
廖修平と弟子たち展
廖修平と弟子たち展
台北市立美術館
台北市立美術館
台北市立美術館
台北市立美術館
台北市立美術館
台中国家歌劇院
台中国家歌劇院
国立台湾美術館
国立台湾美術館
国立台湾美術館
国立台湾美術館

ヨーロッパ2大芸術祭見学ツアーレポート(8/31-9/14)
④
Damien Hirst

「Treasures from the Wreck of Unbelievable」
ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画、話題のダミアン・ハーストの「Treasures from the Wreck of Unbelievable」を見ました。
まぁ何と言うかここまでやるか。
難破船から引き揚げられた財宝は、何千点もの古今東西の歴史的遺産。数百年海底に埋もれていたので、珊瑚や貝などがこびり付いている。この歴史的な発見は、引き揚げの一部始終がビデオで記録される。
よく見ると引き揚げモノの中に、珊瑚に埋もれたグーフィーやガンダムがある。
他にも、財宝の中にこんな歴史的事実はないだろうと首を傾げる様なモノも混じっている。
膨大な資金と時間と労力をかけた世紀の大ペテン。賛否両論あるようだけど、こういうバカバカしさ、ナンセンスは私は嫌いではない。
ハースト曰く、
「Somewhere between lies and truth lies the truth」
グラッシ宮とプンタ・デッラ・ドガーナの2ヶ所での展示だったが、ヴァポレットに乗りまくってヴェネツィアを楽しみながら回った。特にプンタ・デッラ・ドガーナは安藤忠雄の建築の現代美術館で、そうでなくても行きたいところだったので、展示とともに、内部空間の素晴らしさに感激。

ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展
ダミアン・ハースト展

ヨーロッパ2大芸術祭見学ツアーレポート(8/31-9/14)③

ヴェネツィア・ビエンナーレ

今年のヴェネツィア・ビエンナーレのテーマが「 VIVA ARTE VIVA」で、今時こんなノー天気なこと言っていいのかと思ったけど、体験してみて圧倒的に楽しかった。もちろん重いテーマも随所にあるけど、それも含めて人生の様々な様相が、美術によって彩られてもいいのではないかと思える展示だった。
ジャルディーノでは、日本館の岩崎貴弘も結構賑わっていて良かった。繊細な手仕事だけど、工芸的に閉じていないので、爽やかな印象を与える。
チョー人気のドイツ館は長蛇の列で、とても並ぶ気がせず、宙に浮かぶ人間のパフォーマンスを、外からガラス越しに見た。
他、イギリス、アメリカ、ロシア、イタリア、ラトビア、イスラエル、オーストリアなどの展示が面白かった。
アルセナーレでは、ともかく会場となっている造船所跡施設が、余りにも広く重く高く迫力満点な為、作品は否が応でもその空間との対峙を迫られる。(横浜bankARTの空間が凄いと思っていたけど、あの100倍位大きい)
エルネスト・ネトやガブリエル・オロスコなどはさすがに空間との対話が上手い。日本からはTHE PLAYと田中功起、島袋道浩が出品していた(菅木志雄は海の中だったので見逃した)。島袋も田中も日常の些細なことを、美術的な手法によって拾い上げ、ユーモアと優しさを持って人間の在るべき姿を語りかける、素晴らしい作家だ。だがこの巨大な空間の中では、よぉ〜く見ないとその良さが伝わらないのが残念だった。
かと言ってただ大きいだけでは底が割れてしまう。そんな作品も多かったように思う。その点、エディス・デイントのような思索に富む作品は会場がどこでもその良さを伝える力がある。
歩き疲れはしたが、総じて楽しくて素晴らしい体験だった。

ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ

ヨーロッパ2大芸術祭見学ツアーレポート(8/31-9/14)②

2019.9.6

カッセルから電車でミュンヘンまで南下しました。そして今日はそこから日帰りでザルツブルクに行って来ました。
朝、駅で往復切符を買う。海外旅行者用の割引チケットにすれば、超超安いです!往復で12ユーロくらい。

高校生の頃、勉強もソコソコに、夜な夜なクラシック音楽を聞いていました。ごく一般的な愛好家の域を出ていないので、有名な作曲家の曲しか知りませんが、一番好きな作曲家は何と言ってもモーツァルトでした。
軽妙で屈託がなく、計画や熟慮というような痕跡なく、まるで天から降りて来たように調べが溢れるモーツアルトの音楽。モーツァルトは音楽を作るのではなく音楽と一体化している。それが作る側も聞く側も至福の時をもたらすと思っています。

ザルツブルクと言えばモーツァルト。そのモーツァルトの生家と育った家に行けた格別な旅でした。
(旧市街、大聖堂前でシュテファン・バルケンホール、ザルツブルク市立美術館でウィリアム・ケントリッジに遭遇)

ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク

ヨーロッパ2大芸術祭見学ツアーレポート(8/31-9/14)①
カッセルドクメンタ

8月31日から9月14日まで大学のサヴァティカル研修をいただいて、カッセルドクメンタ、ヴェネチア・ビエンナーレに行ってきました。今年は10年ぶりでこの2大芸術祭が同じ年に開催されるということで、見逃さずに行けて幸運でした。
まずはカッセルドクメンタから。

丸2日かけてタップリ見て回りましたが、週末だったせいか、どの会場もかなりの行列で、待つ時間も多かったです。
ドクメンタは退廃芸術展が元になっていることもあって、政治的な関わりや歴史の検証を含んだ作品が多いので、少し前の作品も参照されるように並んでいるし、スケールの大きさで圧倒する様なものではなく、マイノリティーの問題や記録性を持った作品が多かった気がします。
このことについての賛否の意見もいろいろな批評で出ていますが、私が初めてここに来た感想としては、とにかくこの活気が楽しい。特に私より明らかに年上のおばさま方が多く、その皆がジーンズとスニーカーを着こなして颯爽と会場を歩く姿を見ると、じぶんももっと楽しまなきゃと思ってしまいました。

カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ
カッセルドクメンタ

ニューヨーク滞在日記(その5)

今回で最後になりますが、「思い出のニューヨーク巡り」の巻です。

私たち一家は1997年9月から1998年8月までの1年間、ニュージャージー州のフォートリーというところに滞在しました。
Seton Hall 大学の客員研究員としての肩書きでの滞在でしたが、実際には大学では個展と講演会をしただけで、大部分はニューヨークの24st. にあったPrint Making Workshopという版画工房に通い制作をしていました。
その研修の様子は[essay]の中で「NEW YORK HANGING AROUND」と題して載せているのでご一読いただけるとありがたいです。
そのエッセイに書いてあるように、マンハッタンの街角という街角を何かに執りつかれたように歩きまわりました。誰も知っている人がいない土地を歩いているとき、私はそれこそ誰にも取りつくろうことのない裸の私と向き合っていて、それは無力で弱く心細いものでしたが、妙にすがすがしい感覚があったのです。
特にローアーマンハッタンのソーホー、グリニッジ・ヴィレッジ、イースト・ヴィレッジなどの懐かしいようなたたずまいが本当に好きで、ただただ何度も歩き回りました。
12年後の再訪を機会にそのような場所をまた歩いてみました。また住んでいたフォートリーも訪ねました。今回は個人的な話題で恐縮ですが、そのレポートです。

まず上に述べたPrint Making Workshopですが、24st. の5th Ave. とブロードウエィの交差したあたりにありました。ちょうどその地点にはフラット・アイアン・ビル(写真①)がありそこからすぐのところです。[19 WEST 24th STREET]と書いてあるビルの9階にあって、窓からはエンパイア・ステート・ビルがよく見えました。渡米してすぐに行ってみましたが、今はなくなっていて入口のドアも開きませんでした。私たちがボブと呼んで慕っていたアメリカ屈指の版画家であり教育者である、オーナーのロバート・ブラックバーン氏が2003年に亡くなって、ここも閉じられていました。

フラット・アイアン・ビル
写真①(フラット・アイアン・ビル)

ニュージャージー州のフォートリーからマンハッタンに出る手段は、まずはエッジウォーターというところにある日本のスーパーマーケットの「ヤオハン」に行き、そこから出ているマンハッタン直行の小型バスに乗ることでした。そのバスは42st. のポートオーソリティ・バスターミナルに着き、そこから地下鉄や歩きでPrint Making Workshopまで行っていました。「ヤオハン」は今では韓国系の企業に買収され、かなり繁盛しているらしいです。今回フォートリーに行くのにそのバスは使えず、ニュージャージートランジットバスを使いました。
ポートオーソリティは巨大なバスターミナルで、その中にジョージ・シーガルの「Departure」という作品(写真②)があり、当時はいつもその脇をすり抜けて通りに出ていました。今回はそれを逆方向にたどり、159番乗り場(写真③)からバスに乗りました。リンカーントンネルでイーストリバーを渡り、マンハッタンを対岸に見て(写真④)、ヒスパニック系の移民の街を抜け、30分ほどで当時子どもたちが通っていた小学校Fort Lee School No.4が見えた時は感激でした(写真⑤)。下の2人の子が通っていた当時と全く変わっていませんでした。
そこでバスを降り歩いて、家周辺に行ってみました(写真⑥)。この辺りもまったく変わった様子はなく、記憶通りの元我が家でした。
歩ける範囲でしばらくぶらぶらしましたが、郵便局やガソリンスタンド、小さなパン屋やクリーニングはそのままあり、大きなスーパーやファーマシーはなくなっていました。

ジョージ・シーガルの彫刻
写真②(ジョージ・シーガルの作品)
バス乗り場
写真③(バス乗り場)


マンハッタンの眺め
写真④(マンハッタン)
小学校
写真⑤(子どもたちが通っていた小学校)


元我が家
写真⑥(元我が家)

滞在中、美術館に行った後に時間があるときには、思いつくままに私が好きだった場所を歩いてみました。
たとえばグリニッジ・ヴィレッジ(写真⑦)から、「ブルーノート」の通りを抜けて、個展をした「Cast Iron Gallery」のあったソーホーのマーサーストリート周辺(写真⑧)。グリニッジ・ヴィレッジはしゃれたブティックが多くなってはいますが、それでも閑静なたたずまいはいいものです。マンハッタンの地元はここという感じです。ソーホーは前に書いたとおり、もう買い物と観光の場所ですね。

グリニッジ・ヴィレッジ
写真⑦(グリニッジ・ヴィレッジ)
マーサーストリート周辺
写真⑧(マーサーストリート周辺)

帰る前日の午後も思い出のマンハッタンを巡りました。
まずはニューヨーク大学の近くワシントン・スクエア・パーク(写真⑨)。そこから少しあがったところにあるアスタープレイス(写真⑩)を右に曲がり、8th.st をトンプキン・スクエア・パーク(写真⑪)まで歩きます。この辺りが私が最も好きだったイースト・ヴィレッジ(写真⑫)で、画材屋やギャラリーに行くついでに、いつもぶらぶらしていたところです。今回のニューヨークは3月末だというのにいつまでも寒かったのですが、さすがに帰る前になって白い花がそこかしこにほころびはじめていました。イースト・ヴィレッジは日本のラーメン屋と寿司屋がやけに多くなって少しがっかりでしたが、トンプキン・スクエア・パークでボケーとしていると、寂しいような満ち足りたような・・・なんとも言い難い気分になりました。

ワシントン・スクエア・パーク
写真⑨(ワシントン・スクエア・パーク)


アスタープレイス
写真⑩(アスタープレイス)
トンプキン・スクエア・パーク
写真⑪(トンプキン・スクエア・パーク)


イースト・ヴィレッジ
写真⑫(イースト・ヴィレッジ)

そこから地下鉄でいつもマーケットが出ていたユニオン・スクエア(写真⑬)に。滞在中どこでもそうでしたが人が多くて大変なにぎわい。これほどまで多くなくていいのに。そこから23st. マディソンスクエア・ガーデン(写真⑭)に徒歩でぶらぶら。旅の最後にまたPrint Making Workshopのあった23st.に帰ってきました。昼によくハンバーガーやベーグルを食べたところです。ここでも何をするでもなくボーとしていると、首をもたげた先には最後になってやっと青い空が高く輝き、春の柔らかい光が降り注いでいました。(写真⑮)。

ユニオン・スクエア
写真⑬(ユニオン・スクエア)
マディソンスクエア・ガーデン
写真⑭(マディソンスクエア・ガーデン)


春の柔らかい光
写真⑮

ニューヨーク滞在日記(その4)

ニューヨーク滞在日記(その1)で書いたように、今回の滞在目的は3つありそのうちの美術館・ギャラリー巡りについては、(その1)〜(その3)で一通り書き終わりました。今回は後の2つ、

  1. 渡米の本来の目的であるSeton Hall 大学での展覧会とそれに伴う行事
  2. 12年前に家族で過ごしたFort Lee や、よく歩いたマンハッタンの場所(イースト・ビレッジなど)への個人的センチメンタル・ジャーニー

のうち1.のグループ展について書いておきたいと思います。

1.Seton Hall 大学での展覧会「Three Aspects of Japanese Contemporary Art」展

「Three Aspects of Japanese Contemporary Art」展(写真①展覧会ポスター)は、文化庁派遣の芸術家在外研修員制度のもと、Seton Hall大学に客員研究員として滞在(滞在年度は異なるが)した、宮山広明、澤田祐一(2人は版画家)と私の3人展です。Seton Hall 大学の図書館のある建物「The Walsh Gallery」で2010年3月15日から4月11日まで開かれました。(写真②)

展覧会ポスター
写真①
展覧会会場
写真②(クリックで拡大します)

この展覧会の開催にあたっては約2年間に渡り、ギャラリーのディレクターであるJeanne とメールで連絡しあい準備してきました。開催まで様々なことがあり時間がかかりましたが、いつも気さくで親切なJeanneと仕事ができたのは楽しいことでした。(写真③Jeanne、澤田と私)

Jeanne、澤田と私
写真③

関連するイベントとして3月25日に3度のギャラリートーク(the meet to authors periods と言っていた。2回はアジア学科の日本語クラスの学生、1回はローレン准教授の版画クラスの学生に)をしました(写真④)。みな非常に熱心に聞いてくれたのですが、その学生の真面目さに私の心配や先入観は吹っ飛んでしまいました。
午後にはローレンの版画の授業に出向いてコラグラフ版画の講義をさせてもらいました(写真⑤)。コラグラフの製版の仕方と一版多色刷りの方法を、私の版画の授業での学生作品を見せながら解説しました。学生や先生がいちいち質問や意見をはさむので、トークしながらの授業という感じで、楽しく気楽にできました。

ギャラリートーク
写真④


コラグラフ版画の講義
写真⑤

この日は盛りだくさんのスケジュールで、17時からはレセプション(写真⑥)。たくさんのよくわからない人達(多くは大学の先生ですが)や学生に来てもらって盛大でした。お礼のスピーチをしたり、副学長から楯もいただきました(写真⑦⑧)。この楯は「Japan Week」としてこの展覧会に協賛してくれたアジア学科のOsuka先生が用意してくれたものです。Osuka先生には12年前からずっとお世話になっています。
また美術学科の学生もたくさん来てくれました。彼らはパーティの食べ物目当てではなく、自分達の勉強のため、私たちの作品について質問をしたり感想を言ってくれたのにはびっくりしました。また後日Petraから彼女のアートヒストリークラスの学生が書いたレポートをもらった時は感激でした。

レセプション
写真⑥


レセプションでのスピーチ
写真⑦
レセプションで楯をいただく
写真⑧

夜はPetraとFen Dow夫妻主催の夕食会。ジャパニーズレストランでお寿司をたらふくご馳走になりました。(写真⑨ ホームスティでもお世話になったPetraとFen Dow夫妻)
素敵な1日でした。なお作品については[Exhibition]に掲載します。

夕食会
写真⑨

ニューヨーク滞在日記(その3)

前回までの2回で私が行ったニューヨークの美術館の紹介をしました。
今回はフィラデルフィア美術館とチェルシーのギャラリーです。

[フィラデルフィア美術館]

帰国の2日前、ペンシルバニア州のフィラデルフィア美術館に行って来ました。これはある日の夕食時に、Petraが自分のクラスの学生を連れてフィラデルフィア美術館で鑑賞の授業をしたこと、またそれはチャイナタウンから出発するチャイナタウンバスを使い、それがべらぼうに安いことを話すのを聞いて行きたくなってしまったからです。
ただ当日はものすごい暴風雨だったので、朝Petraは他の日に変えられないかと心配そうに言ってくれましたが、どうせどこかには行かなくてはならないのだし(私の性格から言って1日何もしないわけにはいかない)、バスで行くのだから却っていいかもと思い強行しました。
チャイナタウンバスはマンハッタンのチャイナタウンからフィラデルフィアまで片道10ドル!なので確かに安いです。大雨の中フィラデルフィアに着き(写真①)、美術館まで歩きましたが、歴史的建造物(写真②)も近代的高層ビル(写真③)も、ものすごい風と雨のため目に入らず、あのロッキーがランニングしたことで有名なフィラデルフィア美術館の階段(写真④)に着くころにはもうびしょ濡れでへとへとでした。

バスの窓からの眺め
写真①バスの窓からの眺め


フィラデルフィアの歴史的建造物
写真②歴史的建造物
フィラデルフィアの近代的高層ビル
写真③近代的高層ビル


フィラデルフィア美術館
写真④フィラデルフィア美術館

トイレに入りトイレットペーパーを靴の中に入れGパンを拭き、体温と根性で体を乾かしながら展示を見ました。
フィラデルフィア美術館は1876年、アメリカ建国百周年の際に建設されたメモリアルホールがその起源の由緒正しい美術館です。また所蔵品は30万点を数え、古代からコンテンポラリー・アートまであらゆる時代、地域、分野にわたっていて、所蔵品の質・量ともに、メトロポリタン美術館、ボストン美術館と並ぶアメリカでも有数の大美術館です。
特にロッキーなどより有名なのは、マルセル・デュシャンの作品群で、この芸術家の2つの最重要作品、「大ガラス」と「遺作」がここにあります!20世紀の美術界に多大な影響を及ぼしたデュシャンの全貌を知るうえで欠かせないコレクションなのです。
35年前に、東野芳明の痛快でなぞ解きの愉悦にみちた著作「マルセル・デュシャン」を読んで以来あこがれ続けてきた「大ガラス」(正確には「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」)と「遺作」(正確には「(1)落ちる水(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」)に会えたことは、それだけでも苦労してきた甲斐があったというものです(写真⑤)(写真⑥)。
またこの美術館はMoMAに劣らない作品群(写真⑦セザンヌの「水浴図」とゴッホの「ひまわり」とマネ)とともに、特定の作家の作品が一部屋に集められていて、いわば個展形式の展示になっていましたが、私の好きなジャスパー・ジョーンズやサイ・トゥンブリー(写真⑧)は一部屋丸ごと楽しめて、大満足でした。

デュシャンの大ガラス
写真⑤デュシャン「大ガラス」(クリックで拡大します)
デュシャンの遺作
写真⑥デュシャン「遺作」(クリックで拡大します)
セザンヌなどの作品
写真⑦セザンヌ「水浴図」など(クリックで拡大します)
サイ・トゥンブリーの作品
写真⑧サイ・トゥンブリーの作品(クリックで拡大します)


[チェルシーのギャラリー]

マンハッタンのギャラリーと言えば、今は何と言ってもチェルシーに行かないわけにはいきません。私が滞在した12年前はまだSOHOが一般的には有名でしたが、先進的なギャラリーはもうすでにチェルシーに移っていて、私も自分ではSOHOで個展をしましたが、チェルシーにもずいぶん足を運びました。
今ではSOHOはまったくブティック街になっていて多少残っているギャラリーも身の置き場がないといった感じ(写真⑨)。一方チェルシーは当時かなり寂れた倉庫街でしたが、今では洗練されたギャラリーがずらっと並び、やけにすっきりした印象でした(写真⑩)。
チェルシーのギャラリーは10Ave.と11Ave.間で、20st.から29st.間に360ほどあるといわれています。とても全部は見るわけにはいきませんが、私はまず24st.にずらっと並ぶギャラリー[ブライス・ウォルクウィッツ(写真⑪)、バーバラ・グラッドストーン、ペースワイルデンスタイン、アンドレア・ドーゼン(写真⑫)、チャールズ・コールズ、メアリー・ブーン、ガゴシアン(写真⑬)他]を見て、25st.に行ってマシュー・マークスなどを見、22st.に回ってマリアン・ボエスキー、303ギャラリー、マックス・プロテック(写真⑭)などを見ました。これらのギャラリーはみなすごかったです。でもその辺りを見ればだいたいいいかなと言う感じでした。結構商業的なギャラリーも多いし、あまりに多くてそれ以上は足が痛くて一日では回れませんでしたし。

SOHOの様子
写真⑨SOHO
チェルシー
写真⑩チェルシー
ギャラリー「ブライス・ウォルウィッツ」
写真⑪ギャラリー「ブライス・ウォルウィッツ」


ギャラリー「アンドレア・ドーゼン」
写真⑫ギャラリー「アンドレア・ドーゼン」
ギャラリー「ガゴシアン」
写真⑬ギャラリー「ガゴシアン」


ギャラリー「マックス・プロテック」
写真⑭ギャラリー「マックス・プロテック」

最後にSOHOのギャラリーを一つ。
ニューヨークで弁護士をしているOさんに紹介されて、日本人が経営しているISE GALLERYに行って来ました。ここはそれこそユニクロなどの新興ブティックが立ち並ぶSOHOのブティック街ド真ん中の地下にありましたが、なかなかユニークなギャラリーでした。その時は3Gの映像の展示をしていましたが(写真⑮)、ここは特に日本人の作家の展覧会するのではなく、キューレターから企画をコンペとして募集して、採用したものを展示するという方式でやっていました。また、毎年夏には全世界の学生の作品を集めてコンペをしているそうです。美大生は挑戦してみては。

ISE GALLERY
写真⑮ISE GALLERY

ニューヨーク滞在日記(その2)

前回MoMAの企画展示について書きましたが、最上級のマスターピースが、次から次へと出てくる常設展示も相変わらずすごいものでした(写真①、写真②)。しかもその中で「ピカソの版画」とか「モネの睡蓮」、「The Modern Myth: 現代のDrawing 」などの小企画をしていて、その作品がまた宝物のように輝いているものばかり(写真③ )。ホント溜息ものです。
しかし、展示がなんとなく窮屈な感じがしたのも事実でした。帰ってからホストファミリーのDr. Petra Chu と話していたら、彼女も今のMoMAの展示室はあまり感心しないという意味のことを言っていて、私の感じ方も観客が多かったためだけではないのではないかと思いました。そう言えばこのHPのエッセイの「NEW YORK HUNGING AROUND」でも触れているのですが、以前のMoMAのマティスの作品が並んだ部屋は、本当に夢のような空間でした。たしかソファもあったと思います。今回はそんな優雅さを感じられなかったのは残念でした(写真④)。

ピカソ
写真①ピカソ(クリックで拡大します)


ジャスパー・ジョーンズ
写真②ジャスパー・ジョーンズ(クリックで拡大します)
モネ
写真③モネの睡蓮シリーズ(クリックで拡大します)


学芸員によるマティス作品の説明を聞く小学生
写真④学芸員によるマティス作品の説明を聞く小学生

それに対してP.S.1(正確にはP.S.1 Contemporary Art Center)の展示空間はとても素敵でした。P.S.1とはPublic School 1のことで、廃校になった公立第1小学校の校舎を再利用して作ったアート・センターです(写真⑤、写真⑥)。この小学校の建物の残り部分と展示空間として構築したスペースがとてもマッチしていて、心地よい空間が生まれています。気取っていないのに(チケット売り場にある黒板に、展示説明図がチョークで書かれている!)品もセンスも清潔さもあるのはどうしてだろう。この空間にいる間ずっと気持がいいという感じでかなり気に入りました。
入るとすぐレアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」があったり、部屋の隅にフェリックス・ゴンザレス=トレスの「偽薬」がさりげなくあるのも憎い(写真⑦、写真⑧)。
企画は1階が「Between Spaces」2階が「1969」、3階が「100 Years」と、階ごとに分かれていて、それぞれにきちんとしたコンセプトを感じました。もちろんアート・センターなので企画がダメなはずはないですが、P.S.1は「間違いがない」ってとこでしょうか。例えば「100 Years」はこの100年間に生まれたパフォーマンス美術をビデオ、写真、音楽、文献で歴史的に検証したもので、そのビデオ資料の多さと網羅している範囲の広さに驚きました。
P.S.1はクイーンズにありますが、地下鉄でイースト・リバーを渡り地上に出た時のクイーンズの風景も、マンハッタンと違ってまたいいです(写真⑨)。

public school1
写真⑤P.S.1
public school1
写真⑥P.S.1
スイミング・プール
写真⑦裏側からの「スイミング・プール」
偽薬
写真⑧「偽薬」
クイーンズの建物
写真⑨落書きだらけのクイーンズの建物

またまたそれに対して「New Museum」は私にはそれほどおもしろく感じられませんでした。
New Museum はチャイナタウンにほど近いローアー・イースト・サイドに2007年に建てられた新しい美術館で、キューブを少しずつずらして重ねたような外観は異彩を放っています(写真⑩)。日本人のSANAA(妹島和代+西沢立衛)の建築によるものですが、彼らのロンドン、サーペンタインギャラリーのパビリオンも昨年見てきたばかりで、彼らの世界的な活躍は日本人としてはうれしいものです。
「Skin Fruit: Selections from the Dakis Joannou Collection」という企画でしたが、これはDakis Joannouという人のコレクションからジェフ・クーンズがセレクションをしたものでした(先ほどのSANAAのパビリオンを野外展示していたサーペンタインギャラリーがジェフ・クーンズ展をやっていたので、これはまぁ個人的にですが、おもしろい符合でした)。
展示は各階がかなり広いワンフロアーになっていて、多くの作品が各フロアーに所狭しと展示されています(写真⑪)。
ほとんどが90年代の「アブジェクション=おぞましいもの」と言われている作品でした
(その走りのジェフ・クーンズがキューレイションしたものなのでかなり徹底して「おぞまし」かった)。
松井みどりが名著「Art in a New World」で「(今までの理性的な社会観生活規範から排除されてきた)子供っぽいもの、理性では割り切れないもの」「抑圧を受けながら、抑圧されればされるほど強く、人間にとってそれが避けられないものであることをあらわにしてくる、自分(文明)の中の『闇』の部分」と言っていることを体現している作品ばかりでした。
具体的にはキキ・スミス、ロバート・ゴーバー、マイク・ケリー、マッシュ・バーニー、ポール・マッカーシーなどです。
「未熟=幼児性」「死」「不安や恐怖」「体液や吐瀉物」「エロ・グロ」などがそれこそ垂れ流しになっているような作品をこれだけ大量にみるのはかなりきついことではあります。
結構頑張っているユニークな美術館だとは思うのですが、何かもう一つ乗り切れませんでした。作品そのものが好きではないということもあると思いますが、何と言うか空間の異化の有り様がイマイチこちらに伝わってこないような感じもしました。

New Museum
写真⑩New Museum
New Museum
写真⑪New Museum会場入り口

グッゲンハイム美術館もいくつかの企画をしていました(写真⑫)。
 「アーニッシュ・カプーア」は一部屋に巨大な卵型の鉄のオブジェでした。部屋に入りきらない感じが、測りきれないものを存在させるカプーアらしい。
大きな企画は「HUNTED」と題した現代写真、ビデオ、パフォーマンスの展覧会でした。
「Contemporary Photography/Video/Performance」というサブタイトルがついていて、P.S.1の「100 Years」と若干かぶる感じですが、こちらは現代の写真やビデオが過去や歴史に囚われているという視点からの展示だったようです。
アンディ・ウォーホルから始まって、ラウシェンバーグ、ベッヒャー夫妻、シェリー・レビーン、バーバラ・クルーガー、ボルタンスキー、杉本博、シンディ・シャーマンなどの有名な作品をへて、例の展示空間をグルグル回りながら(写真⑬)、主に2000年代の写真、ビデオなど−アブラモビッチやフェリックス・ゴンザレス=トレスはどこに行ってもありました−を見ました。確かに質の良いものばかりでしたが、今の美術がビデオ、パフォーマンス中心になっていることは私には不満に思えるところです。

グッゲンハイム美術館
写真⑫グッゲンハイム美術館
グッゲンハイム美術館
写真⑬ グッゲンハイム美術館/グルグル展示

次にホイットニー・ミュージアムですが、行く前は一番期待していました。ちょうどホイットニー・ビエンナーレの時期だったからです(写真⑭、写真⑮)。2年に1度開かれる(Biennialだから当たり前か)このショウは日本のガイドブックにも紹介されているくらい有名なものです。
でもかなり期待外れでした。なんだかどれもおもしろくない。みみっちいというか、志が低い気がしてがっかりでした(写真⑯、写真⑰)。こんな作品が将来残っていくだろうかと心配になるほどでしたが、その点でもPetraと意見が合って、彼女も「そんなに騒ぐほどのことはないわよ」と言っていました。
その点5階で行われていた、「Collecting Biennial」という企画は過去のビエンナーレからコレクションしたものを展示していましたが、こちらはかなりガツンと手ごたえを感じました。ヤッパリ良いものは残るのだな。
私の好きなサイ・トゥンブリー、フィリップ・ガストン、リチャード・リーベンコーンばかりでなく、ロバート・ゴーバー、マイク・ケリー、マッシュ・バーニー、ブルース・ナウマンなどもやけに確かなものとして見られました。そのくらいビエンナーレの方は不確かだったということ?

ホイットニー美術館
(写真⑭)ホイットニー美術館
ホイットニー美術館
(写真⑮)ホイットニー美術館


ホイットニー・ビエンナーレ
写真⑯作品(ホイットニー・ビエンナーレ)
ホイットニー・ビエンナーレ
写真⑰作品(ホイットニー・ビエンナーレ)

またまた長くなりました。続きはまた次回に。

ニューヨーク滞在日記(その1)

3月23日から4月2日までニューヨークに行って来ました。

ニューヨークタイムズスクエア
写真①12年ぶりのニューヨーク、タイムズ・スクエア
エンパイアステートビル
写真② マジソン・スクエア・パークからのエンパイア・ステート・ビル

直接の目的は、ニュージャージー州のSeton Hall 大学の付設ギャラリーで、私を含めた3人の日本人作家による展覧会「Three Aspects of Japanese Contemporary Art」展を開催していて、そのレセプションやギャラリートーク(「meet to the author」 という言い方をしていた)への出席のための渡米でした。

展覧会DM.jpg
写真③展覧会DM

 

展覧会自体は3月15日〜4月11日までの会期でしたが、レセプション等の行事はほとんど3月25日に行われたので、その他の日はだいたいマンハッタンに出て、美術館を巡っていました。
 滞在先はSeton Hall 大学芸術学部研究科長で美学・美術史博士のDr. Petra Chuのお宅にホームスティさせていただきました。
 実はSeton Hall 大学は、私が12年前(1997-98)に文化庁派遣芸術家在外研修員として1年間ニューヨークに滞在したときに客員研究員として在籍していた大学で、Dr. Chuは私の受け入れをしてくれた教授です。
 Dr.Chu のお宅はニュージャージー州のSouth Orange というところにあり、そこから大学までは歩いて5分、駅まで歩いて10分。駅からはNew Jersey Transit という線(電車)でマンハッタン34st.のPennsylvania Station (通称Penn. ST) に30分で着きます。

Seton Hall大学
写真④Seton Hall大学
Penn.ST
写真⑤Penn. ST

今回の滞在は自分なりには次の3つの内容に分けられると思います。

  1. 渡米の本来の目的であるSeton Hall 大学での展覧会とそれに伴う行事
  2. ニューヨークの美術館巡り
  3. 12年前に家族で過ごしたFort Lee や、よく歩いたマンハッタンの場所(イースト・ビレッジなど)への個人的センチメンタル・ジャーニー

12日間、寒さと悪天候にもめげず、目いっぱい上記の3つの目的のため動き回りました。
前にこの[topics]でレポートした3週間のヨーロッパの旅でもそうでしたが、今回も観光とか楽しむとかいう感じではなく、ともかく貪欲に休むことなく歩き続ける旅でした。

3つとも書きとめておきたいですが、まずはニューヨーク美術館の観覧記から始めようと思います。
 行った美術館は MoMA、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館、New Museum、P.S.1、足を延ばしてペンシルヴァニア州のフィラデルフィア美術館の6館。それからチェルシーのギャラリーを1日廻りました。
 もちろん12年前にそれらのほとんどは1度ならず(特に木曜、金曜の夕方の無料時には何度も)行っていますが、今回それぞれの美術館の企画がすごく、どれもおもしろくて興奮しました。

まずMoMAですが、改装されてからは行ってなかったので楽しみでした。他の美術館のほとんどが休みの月曜日を狙っていったのですが、ものすごい混み様(写真⑥)。それはホイットニーやグッゲンハイムでもそうでしたが、どうしてこんなに混んでいるのでしょう??? 普通にこの列に並ぶと明日になっても入場できなそう。私は某フリーパスカードがあるので何とか待つことなくは入れましたが。
 館内もこの混み様(写真⑦)。おまけに企画の一つである「Tim Burton」のショーはすでに売り切れでした(まぁTim Burtonにはあまり興味がないのでショックは受けませんでしたが)
 他の企画は「Marina Abramovic : The Artist Is Present」、「William Kentridge : Five Themes」「Ernesto Neto : Navedenga」など。ネトの展示は一部屋だけの小規模なものでしたが(写真⑧)、アブラモビッチとケントリッジの展示は規模も大きく作品の迫力もものすごいものでした。

入場者の列
写真⑥美術館の外で並ぶ入場者の列


美術館内
写真⑦館内の様子
Neto
写真⑧ネトの展示

マリーナ・アブラモビッチは1946年、旧ユーゴスラビア生まれのパフォーマンスアーティスト。「The Artist Is Present」というタイトル通り、本人がMoMAの2階展示スペースで観客の一人と相対しながら椅子に座り続けるパフォーマンスを、何日も何時間にもわたって演じていました。そのスペースにみなぎるエネルギー−「人間の磁力」と呼んだらよいだろうか−が凄まじくまず圧倒されます。
 しかし6階でのヌードの男女のパフォーマンス、性的なビデオ映像、大量の骨のインスタレーション等による企画展示は(この場所は写真が取れなくて残念でしたが)凄まじいなんてものではない、なんと形容したらよいのか・・・・・「人間」というもののギリギリの姿、何もかも脱ぎ捨ててモノ同然まで裸にされた「人間」(まぁ実際に衣服を脱いでいるばかりでなく、裸体と骸骨が折り重なっていたりするのですから)という存在の、それでもそこにある(はずの)「尊厳」。もちろん身体的に衣服を剥ぐのではなく、その精神を容赦なく剥いだ上での、それでも本当に人間は尊厳を持ちえるのか?という切実な問い。人間に対する非情さと思い入れの悲しいばかりの交合・・・・と、私は感じました。まったくこの作家を知らなかったのですが、ホントものすごいものでした。

一方、ウィリアム・ケントリッジの展示も素晴らしかった。
ウィリアム・ケントリッジは1955年南アフリカ共和国生まれのアニメーションビデオ作家。途方もない時間をかけて手作りした「動くドローイング」とも呼べるアニメーション・フィルムの制作で知られています。偶然(!?)ですが日本でも彼の大規模な展覧会が開かれています。「歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動きはじめた」というタイトルで今年1月から国立近代美術館で、3月からは広島市現代美術館で開催されています。確かに彼のドローイングアニメは増殖し続け動き続けます。それを見ているとドローイングの動きとともに、自分の頭の中が常に動いているような気がしてきます。何かが頭の中でグルグル回っている感じ。アレハ・・・コレハ・・・・何ナノダロウ。何だかわかるようなことが起こっているのに何もホントはわからないというような感じ。人間の行動や外界との関係について常に考えることを強いるようなアニメでした。

ドローイングアニメーション
写真⑨ウィリアム・ケントリッジの展示

アブラモビッチもケントリッジも初めて目にする作家でしたが、2人とも人間の存在が何であるのかという根源的な問いを非常な緊張感の中で突きつけてくる展示でした。

ずいぶん長くなってしまいました。今回はこれくらいで終わりにしておきます。
 MoMAの他の話題や他の美術館観覧報告はまた次の時に。

 
Copyright©2008-2023 Tomoo Arai All Rights Reserved.
E-mail:arai@edu.shimane-u.ac.jp