六本木クロッシング2019展:つないでみる
2019.2.9(土)~ 5.26(日)(森美術館)
いつもながら、出張ついでの美術館巡り。
今週は面白い展覧会がいくつもあり、限られた時間でどれを見るか迷ったのですが、結局「六本木クロッシング」に。
この手の実験的な大規模現代美術展は、私の場合だいたい半分くらいは「うむ?」と首を傾げ、そのうちのいくつかは全く分からない、ということが多いのですが、今回の六本木クロッシングはどの作品も、表現すべき対象とその美術的アプローチや手法が確かで、その内実が素直に入ってきて、見ていてこちらも充実した時間が過ごせました。
今回の六本木クロッシングは、「現代社会が、政治や経済の問題、宗教や世界観の違い、突然の災害などで様々な悲劇に満ちている」ことを共通の認識として、それら様々な「分断」の悲劇に美術的手法を用いて立ち向かっている作品(25組、60点)が集められたということです。
また今回、その「現代の困難を乗り越える最も確かな方法として、『つながり』」をテーマにしています。美術に限らず「つながり」は意味を生成する根本的なものだと思いますが、今回の展示では「テクノロジー」「社会観察」「異質なもの」による「つながり」を、美術的な方法によって表現したものになっています。
いっぱい作品がありましたが、その中で私の好きな2点を紹介します。
まずは、佐藤雅春の《Calling(ドイツ編、日本編)》。映像作品で、どれも人がいない場面がいくつか出てきます。例えば誰もいないドイツの朝の食卓、放課後の職員室、住宅地を走る電車、桜の舞い散る公園など。そこにそれぞれ携帯電話、iPad、公衆電話などが置かれており、それらがしばらく鳴り続けて止みます。それだけですが、呼んでも届かない思いは抑圧の塊のようにも思え、それが寂しく、悲しく響いてきます。
続いて、万代洋輔の《蓋の穴》。万代の一連の創作活動の結果を記録した写真の作品ですが、その活動とは、夜中に車で不法投棄の現場に行き、落ちている廃棄物を集めて、別の場所で組み立てて、明るくなったら撮影するという、彼自身によって決められた手順にそって制作するものです。なんとも無駄で無意味な行為ですが、それをやらざるを得ない人間の習性というか、儀式のような神聖さを感じました。
他の作品もみな中身が濃かったです。
飯川雄大
土井樹+小川浩平+池上高志+石黒博×ジュスティーヌ・エマール
青野文昭
林千歩
目
アンリアレイジ
竹川宣彰
佐藤雅晴
佐藤雅晴
万代洋輔
万代洋輔
杉戸洋
ヒスロム
米谷健+ジュリア(MAMコレクション)