- 投稿日:
-
2016年8月27日18:31
- | カテゴリー:
-
写真 , 展覧会 , 現代美術 , 芸術
- | コメント・トラックバック:
-
0件
広島市現代美術館
東松照明は原爆で荒野になった長崎のその再生の歴史や風土、催事などを50年にわたり撮影し続けた写真家として知られているが、この展覧会も1960年から2008年頃まで撮り続けた「長崎」に特化した写真展だった。
東松照明展
私は、写真畑の写真家というか、カメラが先にあって写真を撮っているような(こんな言い方は語弊があるかも知れないが)写真家、例えば(私の中では)東松照明も含めて、奈良原一行、森山大道、土門拳などを指しているのだけど、彼らの写真はよくわからない。というか、見ても心が躍らないというところがあって、どちらかというと苦手だなぁと思っている。
一方、同じ写真作品でも美術畑というか、美術の文脈から出てきて写真というメディアを使っているアーティスト、例えば(私の中では)ヴォルフガング・ティルマンス、ベルント&ヒラ・ベッヒャー、アンドレアス・グルスキーなど、写真が美術のメディアとして確立したポスト・モダン型の写真には、身も心もガンガン反応して十分堪能してしまう。
また写真家でも「わかる」と思えるような人もいて、荒木経惟は写真家と言うしかないと思うけど、自分を全面的に開放し、その上で作品を何かに委ねたような写真手法から、ホントやさしい人だなぁと、人間の根底に触れ合える喜びを持てる。植田正治は群像の形や存在感と砂丘などの空間、調子(光と影)の対比など、絵画的な造形理念と合致してしまうのでわかりやすい。
最近見た日本の若手、鈴木理策や川内倫子などは写真ベイスト写真家だろうが、その手法は写真で何かを表すのではなく、写真に写されたものの隙間に潜む生と宇宙の秘密的感覚をどこかに宿すような写真で、このような感覚は美術ベイストの私もよくわかる。
ということでつまり私は、写真そのものが求める形式と内容の関係、あるいは成立の原理というものは分かっていない(それも一つで括れるものでもないと思うし、ドキュメント-役割としての価値もある)のですが、今回の東松照明を見て、特に1970年代半ば以降の長崎の風物には見ていくうちにググッとくるものがあった。もちろん美的、造形的原理もなくはないのだけどそれに収束せずに、何でもないものを、意図までも廃し、つまり匿名的に淡々と写し、それでいて人間の生のかけがえのなさに思い至らせる力があるような気がした。とてもよかったです。
企画展は写真撮影禁止なので、常設の展示風景をいくつか。
それから写真がわからない私が現代美術館近くで撮ってしまった、いわば写真の埒外の写真を最後に一枚。(よく見ると猫がいます)
- 投稿日:
-
2016年8月26日8:31
- | カテゴリー:
-
音楽
- | コメント・トラックバック:
-
0件
2016年7月12日 大橋巨泉 逝去 享年82歳
中学生のころは結構体育系で、弱小ながらもテニス部の部活に熱中していた。しかし土曜日の午後だけは部活が終わるのが待ち遠しく、終わると着替えもそこそこに家に帰った。「ビートポップス」があったからだ。「ビートポップス」はテレビで初めての洋楽のランキング番組で、「ビルボード」や「キャッシュボックス」の情報をもとに毎週アメリカンポップスのトップ20を紹介していた。
司会は大橋巨泉。音楽評論家の木崎義二や、今ではよぼよぼのじいさんにしか見えない、振付師の藤村俊二などが出ていた。大橋巨泉はあのころから昭和のおやじギャグを連発していた。今でも覚えているのが「牛も知ってるカウシルズ、ウッシッシ」。カウシルズの「雨に消えた初恋」はすごいヒットだった(https://www.youtube.com/watch?v=SxuAKVNtxNQ)。
あのころ聞いた曲は今も忘れない。ビートルズやローリングストーンズ、モンキーズはもちろんのこと、ホリーズ(「バス ストップ」)、ゾンビーズ(「二人のシーズン」)、オーティス・レディング(「Dock of The Bay」)、メリー・ホプキン(「悲しき天使」)、ナンシー・シナトラ(「シュガー・タウンは恋の町」)、スコット・マッケンジー(「花のサンフランシスコ」)、ドアーズ(「タッチ・ミー」)、アニマルズ(「朝日のあたる家」)ウォーカー・ブラザース(「太陽はもう輝かない」)などなど。
それらの曲と時々流れるミュージックビデオは、同時期に見ていた「ルーシーショー」や「奥様は魔女」などとともに、見たことのない遠い国への憧れを募らせるに十分だった。
フロアーでは流れる曲に合わせてミニスカートの子が思い思いに踊っていた。ツィッギーがミニスカートはいて来日してすぐのことだ。みんなかわいかったけど、特に杉本エマと小山ルミが人気だった。私は断然小山ルミ派。
ある時、外国から来たアーティストにアナウンサーがインタビューしたことがあった。「What is you do …」的な変な英語をしゃべったアナウンサーに向かって大橋巨泉が「ばかだなお前、一つの文章に動詞は1つなんだよ。」と言ったのを聞いて、目の前から霧が晴れるような気がした。それは今思えば、構造が文章を作り意味を紡ぎだすものだということを初めて知った時だった。
大橋巨泉のその後の活躍の軌跡は多くの追悼番組でやっていた通りだ。『11PM』『クイズダービー』、セミリタイヤから海外での事業、参院選と辞職、癌との闘病生活など。多面的な人だったから人によって取り方が違うだろう。中にはふざけた奴だ的に見る向きもあるかもしれないが、巨泉のジョークや自分本位とも思える行いは、体制や権威に対する意思表示として一貫していたと思う。自由と自立を目指す生き方をパフォーマンスで示し、何よりも表現と言論の自由を最期まで訴えていた大橋巨泉の遺言を自分なりに受け継ぎたいと思う。