民族学博物館など (2021.11.8)新着

11月上旬の穏やかな日、用事と観光を兼ねて車でちょっと遠出をしてきました。
国立国際美術館がこちらにあったときにはよく来ていた大阪万博公園。民族学博物館も久しぶりでした。膨大な展示資料。形体的な面白さにももちろん惹かれるけど、その中に長い人類の歴史と広がりがあるので、単なる日常品がどれも貴重で確かなものに思える。世界の各地域を見回った後、最後に日本の展示がありますが、自分がこうだと思っている日本(他の国と比べて割とさらっと静かとか)の感じではなくて、どこかおどろおどろしい異国的な呪術感を覚えた。あれはなんだろう。

民族学博物館
民族学博物館

六甲山にある「風の教会」に行ってみました。安藤忠雄の初期作品です。今だけ六甲ミーツアート関連で内部公開しています。天井に束芋のアニメーション作品が映し出されていました。冷たいコンクリートの壁に内蔵的な生き物がうごめいていて、教会的な清廉さと人間の本性っぽい対比がとても良かった。

六甲山
風の教会

それから神戸ゆかりの美術館まで足を伸ばして「ミロコマチコ」展。こういう時期(と言ってもコロナも長いですが)には、あまり観念的な難しいものより、体感的に直接受け取るようなものが観たくて。画像等では観ていたけど、本物はより体の隅々まで入ってくる感じで良かった。最近の作品は動物でも人間でもない、不思議な形(精霊のようなもの)を描くようになっている。

「ミロコマチコ」展
「ミロコマチコ」展

2021 個人的墓碑銘

若山 弦蔵(わかやま げんぞう)5月18日没 88歳

日本の声優、ラジオパーソナリティ、ナレーター。
独特な低音の声がものすごく素敵だった。ジェームズ・ボンドを演じるショーン・コネリー、スパイ大作戦のピーター・グレイブス、テリー・サバラス、リー・マーヴィンなどの吹き替え。
○ひょっこりひょうたん島の海賊ガラクータ。それからなんと言っても1968年からのTBSラジオ『パック・イン・ミュージック』。よく聴いた。

エリック・カール(Eric Carle)5月23日没 91歳 アメリカの絵本作家

自分で色をつけた紙を切抜き、貼りつけていくコラージュの手法が特徴。
『はらぺこあおむし』など。
○レオレオニとエリック・カールは美術形式の意味を汲んだ絵本作家として双璧。

ダニ・カラヴァン(Dani Karavan)5月29日没 90歳 イスラエルの彫刻家、環境芸術家

○確か20年ほど前に倉敷の児島寅次郎記念館で個展を見たのが始めて。2017年に奈良「室生山上公園芸術の森」の広大な環境作品を見た事が忘れられない。

ダニ・カラヴァン

B・J・トーマス(B.J.Thomas)5月29日没 78歳 アメリカのポピュラー歌手

1969年映画『明日に向って撃て!』の主題歌「雨にぬれても」(Raindrops Keep Fallin’ on My Head, バート・バカラック作曲)。1970年ビルボード・ホット100チャート1位。
○映画も曲もすばらしかった。

高橋 健二(たかはし けんじ)7月13日没 83歳

1962年-ジャッキー吉川とブルー・コメッツのベーシスト
○中学生の頃よく聴いていたブルー・コメッツの曲-青い渚、青い瞳、北国の恋人、マリアの泉

クリスチャン・ボルタンスキー(仏: Christian Boltanski)7月14日没 76歳

フランスの現代アーティスト。
○最初に見たのは2003年の越後妻有大地の芸術祭の「夏の旅」。すごかった。それから2016年の東京都庭園美術館で「アニミタス-さざめく亡霊たち」、2019年国立国際美術館での大回顧展「 Lifetime」など。彼の作品の一つに彼が今まで生きてきた時間を秒数としてカウントしている赤いネオン管の作品がある。その数字は、彼の死とともに止まる事になっているけど、いくつで・・・。パートナーがアネット・メサジェだったのは始めて知った。でもうなずける。

ボルタンスキー

高橋 三千綱(たかはしみちつな)8月17日没 73歳 作家

1974年 「退屈しのぎ」で第17回群像新人文学賞受賞
1978年 「九月の空」で第79回芥川賞受賞
他、「シスコで語ろう」1971年、「グッドラック」1977年
○どの作品も青春の書として素晴らしかった。

高橋 三千綱

ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)9月6日没 88歳 フランスの俳優

主な主演作品 『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール監督)、『暗くなるまでこの恋を』『ボルサリーノ』
○中学の頃映画好きの友人とよく高崎の映画館に行っていて、そこで見ていた映画によく出ていた。顔に特徴があってすぐに覚えた。アラン・ドロン作品もよく見たけど、顔は対照的なのに、なぜかかっこよかった。

大久保 一久(おおくぼ かずひさ)9月12日没 71歳 ミュージシャン、フォークシンガー

1973年―75年フォークグループ「猫」1975年―79年伊勢正三とのフォークデュオ「風」
主な楽曲 「あの歌はもう歌わないのですか」「海岸通り」「22歳の別れ」
○喜多條 忠もそうだけど、ちょうど大学生の頃。よく聴いた。

白土 三平(しらと さんぺい)10月8日没 89歳 漫画家

『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』他
「忍者武芸帳」や「サスケ」は貸本屋の単行本で読んだ。連載で読んでいたのは少年マガジンの「ワタリ」と少年サンデーの「カムイ外伝」で、毎週発売日が待ち遠しかった。1967年頃。切れ味鋭いタッチで描かれた白土の絵は宝石のように輝いていて、毎日のようにまねをして描いていた。また1964年にテレビで白土原作の「少年忍者 風のフジ丸」が始まったときのウキウキ感はいまだに忘れられない。

瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう)11月9日没 小説家、天台宗の尼僧。俗名:晴美(はるみ)。

○その波瀾万丈の生き方や尼僧としてのありがたい言葉が話題だが、私にとっては小説家としての瀬戸内がいればそれでいい。
「ここ過ぎて」や「かの子繚乱」など一連の史実もの。取材に基づきながらそこに込めた物語性が鮮やかで、700ページくらいあっても読み切るのが惜しくなるほど面白い。「求愛」や「わかれ」などの短編類は妖艶。言葉の密度が半端なく、深く官能的なイメージの世界に誘われる。近年の「死に支度」「命」などは軽妙ながらも、小説としての構造と内実を失っていない。決して軽い読み物などではない。根っからの小説家。

瀬戸内 寂聴

喜多條 忠(きたじょう まこと)11月22日没 74歳 作詞家

主なヒット曲  かぐや姫「神田川」「赤ちょうちん」「妹」
○かぐや姫の作詞家として有名だが、私の好きなのは、アグネス・チャン(後に柏原よしえ)「ハロー・グッドバイ」、梓みちよ「メランコリー」、キャンディーズ「アン・ドゥ・トロワ」、中村雅俊「いつか街で会ったなら」、吉田拓郎「風の街」

新井 満(あらい まん)12月3日没 75歳 著作家、作詞作曲家、歌手

歌手として 1977年(昭和52年)『ワインカラーのときめき』
作家として1987年(昭和62年)、『ヴェクサシオン』第9回野間文芸新人賞受賞。
1988年(昭和63年)『尋ね人の時間』で第99回芥川賞受賞。
作詞作曲家として『千の風になって』を作曲。
○当時、強い主張をしない環境音楽風の小説として注目した。

マイク・ネスミス(Mike Nesmith)12月10日没 78歳

アメリカ合衆国のミュージシャン。ザ・モンキーズのメンバー、ギターとヴォーカルを担当。
他のメンバーでは、デイビー・ジョーンズ:(Davy Jones)は2012年2月、ピーター・トーク (Peter Tork)は2019年2月に亡くなっている。
主なヒット曲 1966年『恋の終列車』1967年『アイム・ア・ビリーバー』
○1968年最初に買った洋楽レコードが「D・W・ウォッシュバーン」だった。(「すてきなヴァレリ」だったかもしれない。)『ザ・モンキーズ・ショー』は音楽バラエティ+シットコムとして最高に面白かった。

安西水丸展 世田谷文学館 (2021.8.18)

いつもは一応美術家として展覧会を見ますが、これだけはほとんどファン心理です。ただただ見たい。
ペンの細いスミ線と明快な色面(パントーン)のスタイル、その後の下手っぴ風な色鉛筆の直描きイラスト、村上春樹や嵐山光三郎らとの交友、俳句、お酒や旅などのエッセイ、どれも好きですが一番好きなのは小説です。
「手のひらのトークン」などの淡々としたニューヨークものもいいですが、「アマリリス」などちょっと隠微な恋愛ものも結構あって密かに好きです。
多才多趣味で余裕があり、優雅に人生を楽しむ人という感じですが、ある意味孤高の人ではなかったか。「孤愁」といった雰囲気を感じるのです。
展覧会会場は広くはないですが、資料の多さと工夫された展示構成、アットホームな雰囲気でとても楽しめる展覧会です。
安西水丸展会期 2021.4.24-9.20

安西水丸展
安西水丸展
安西水丸展
安西水丸展
安西水丸展
安西水丸展
安西水丸展
安西水丸展

出版物のご案内(2021.9.21)

『教科内容学に基づく教員養成のための教科内容構成の開発』
日本教科内容学会編 あいり出版  定価3300円

「教科内容学」とは、大学の教員養成学部での専門授業のあり方のことで、学問や諸科学の専門内容を教育実践における教科内容として再構成して体系的に教授することです。
簡単に言うと、教員を養成するためにどのような専門教育を行ったら良いかを研究する学問です。
この本では各教科についてその教科内容構成と実際の教授内容について提案しています。
私は美術担当で、美術という教科の成立の基本原理や、美術を構成する教科内容の体系等の仮説をもとに、具体的な授業シラバスや実践報告、また学習指導要領の検討等をしています。
興味のある方は是非お手にとってみて下さい。アマゾンにもあります。

『教科内容学に基づく教員養成のための教科内容構成の開発』
『教科内容学に基づく教員養成のための教科内容構成の開発』

島根大学教育学部美術教育専攻卒業制作展 2021.3.3-3.8
島根県立美術館ギャラリー1室

私が昨年3月まで教えていた学生の卒業制作展がありました。

ここ20年ほどの間、教育学部の教員養成課程一本化、教員採用との需給関係是正などから、何回かの学部改組とそのたびの定員削減があり、今年の卒業生はたったの4人。
それぞれ絵画、彫刻、デザイン、美術教育の各ゼミでの卒業制作・論文発表でした。昨年は自習やゼミもあまり行われず大変だったと思いますが、よくここまで辿り着いたと思います。
この4月からは4人とも各出身地の中学校教員として出発します。

島根大学卒業制作展
島根大学卒業制作展
島根大学卒業制作展
島根大学卒業制作展
島根大学卒業制作展
島根大学卒業制作展
島根大学卒業制作展
島根大学卒業制作展

皆川明展「ミナペルホネン つづく」兵庫県立美術館 2020.11.1

難しいコンセプトや斬新なスタイルがあるわけではない。しかしなぜか心に沁みる。古くて新しい。新鮮で滋味深い。自由で開かれている。だから心に風が吹くような晴れやかな気分になる。
皆川のコンセプトは「長年着用できる普遍的な価値を持つ『特別な日常服』」だそうで、だからある種の凡庸さの中に、それを着る人だけが特別感を感じられる服になっているのだろうか。
「ずっとあなたの人生に寄り添いますよ」と言ってくれているような気がする服たち。
田根剛による展示構成も素晴らしく、気持ちの良い展覧会だった。

皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展
皆川明展

安藤榮作展「天の所有物」ギャラリーNishiIma25
2020.10.18 岡山県津山市

10月18日、秋晴れの日に岡山県津山市で開催中の安藤榮作展「天の所有物」を見に行ってきました。会場は古民家を改装したギャラリーNishiIma25と元米倉だった倉庫で、その2会場に30数点の作品が展示されています。
数も多く内容も多彩な展覧会で、安藤さんの代表作である大作の「鳳凰」、「天と地の和解」、「光のさなぎ」、「2千体の人型」の他に、いくつかのシリーズ-「ゴロッとした塊」シリーズ(私が勝手に呼んでいるだけです)。ただそこにあるだけで存在の価値を持つ、抽象という理解が始まる前からあるような彫刻。その逆の「空気の狭間」シリーズ-外界の空気の圧によってできあがった板状の存在(これは安藤さん自身がそう呼んでいます)。こどもの造形のような動物シリーズ、直角に曲がる人型シリーズなどが築200年の旧家にインスタレーション展示されています。
荘厳さとユーモアが同居し、抽象と具象などといった境を軽々と飛び越え、思いもよらぬところから生み出される自由自在さが安藤彫刻の魅力の一つだろう。この自由さは安藤さんの人間や宇宙に対する理解の深さによるものであろうが、それとともに彫刻に対する理解でもあると思う。
安藤さんの作品は斧1本だけで削る、ある意味単調な制作によって作られる木彫ですが、できた作品はものすごく豊かで人間の根源的存在性を感じさせます。それは彫刻という伝統的で厳密な形式の価値ややっかいさの諸々を深く受け止めて初めて、この自由で柔軟な表現ができるのだと思う。
彫刻であるべき必然性、つまり彫刻の芸術的可能性に対する深い洞察と理解なくしては出現し得ない作品だと感じました。

安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展
安藤榮作展

ピーター・ドイグ(国立近代美術館)、オラファ・エリアソン(東京都現代美術館)展 (2020年10月4日)

先日、東京滞在時に本務とは別にどうしても行きたい展覧会があって、行ってしまった。ピーター・ドイグ(国立近代美術館)とオラファ・エリアソン(東京都現代美術館)。
幸いなことに両展とも当日発券があり、開館前に並んで入れました。
以下、個人的な感想です。

ピーター・ドイグは、結局よくわからない。個人的、地域的なテーマを扱っているのだろうけど、それに思い入れや個性があるのかと言えばそうでもなさそう。近代的な文法を引用しているところもあるけど、逆に美術の埒外に出そうな危うい雰囲気もある。それで結局これは何?って言ってもよくわからない。みんな頭に?マークを付けながら見ているのではないか。それがいいんだろうな。わからないことが危険な誘惑になってみんな見に行っているのでは。

ピーター・ドイグ
ピーター・ドイグ
ピーター・ドイグ
ピーター・ドイグ
ピーター・ドイグ
ピーター・ドイグ

オラファ・エリアソンもすごい人気だった。若い女の子がキャッキャして写真を撮っていた。ある観念や事象(それもみな人間として大事なこと)を気づかせる装置としてのインスタレーションが多く、それが視覚的にも楽しい。森美術館でやっていたレアンドロ・エルリッヒの楽しさとはタイプも違うし深さも違う。
人間の良質な部分と言うか、向かうべき人間性というか、そういうものを美術という形式で見事に実現している。日本も世界も人間の見にくい部分ばかりが目に付いて、いい加減イヤになってしまう昨今では本当に救われた気分になる。
それにしても、こんな楽しい展覧会がたくさんあるのに、見に行きづらい現状はやはり悲しい。

東京都現代美術館
オラファ・エリアソン
オラファ・エリアソン
オラファ・エリアソン
オラファ・エリアソン
オラファ・エリアソン
オラファ・エリアソン

B-galleryでの個展が終了しました(2020.9.21)

B-galleryでの個展「キオクノウツワ」(2020.9.8-9.20)が終了しました。
(展覧会の様子は「exhibition」の個展 第21回/B-gallery(2020.9.8~9.20)をご覧下さい)

この時期にたくさんの皆様にご来廊いただきありがとうございました。
この3月に退職後、松江城に近い新しいスタジオで制作を開始し、コロナで身動きがとれなかった中、5ヶ月間描きためたものを発表することができて、とても幸運でした。
個展はその展示空間全体が1つの作品であり、B-galleryさんの明るくカジュアルながらも、清潔な空間で展示できたことは喜びでした。また自分としてはその中に身をおくことで完成を見るというか、やり終える事ができると考えているので、多少不安がありながらも上京できたことは本当に良かったと思っています。
今回、高校・大学の同窓、元職場の同僚、教え子達も駆けつけてくれて、楽しい時を過ごすこともできました。
在京中、松江は何回か大雨が降り、帰松すると季節が移っていました。
今は次のグループ展の制作をしています(「exhibition」のグループ展2020 CAF.N展(2020.11.4-11.15)
これからまた籠ってこつこつと制作の日々です。
また皆様にお会いできる日を楽しみにしています。ありがとうございました。

B-galleryでの個展
松江
新しいスタジオ

いくつかの書評&追悼(2017.12-2021.2)

2021年2月28日
会田誠「げいさい」

自身の作品では、美術そのものを疑い、そして物議を醸す作品が多いが、「げいさい」は文学の制度内で実にオーソドックスかつ王道的な小説だった。時空の設定や人物造形なども、美術作品では一ひねりも二ひねりもするのに、気持ち悪いくらい素直。
予備校生当時の自身の実体験であると思わせる(かなりの部分本当にそうであろうが)リアリティを武器に、美術を志すものの心持ちや予備校、受験作品などの細部を描きあげていて、それは納得以外の言葉がないが、経験的・個人的な出来事にかこつけて、実は美術大学、美術予備校(いわゆる研究所)、現代美術、美術批評などの定点的位置を示したいではないかと思えるくらい、客観的に的確に美術というものを捉えていると思った。
私は会田誠のいくつかの作品(というか、結構多くの作品)は好きではないが、このような美術に対する解釈や姿勢を持っていることがわかるので、作品に信頼感は持てる。
そして全体ではこの小説は大いなる恋愛小説として読める。面白かった。

会田誠「げいさい」

2020年8月11日
村上春樹『一人称単数』

それはどこを取っても村上春樹だった。短編集なので「騎士団長殺し」よりも軽いけど、「女のいない男たち」とそんなに変わらない気がする。いつものようにちょっとした奇譚だけど、それが短編だけに、重くなく、言ってみれば爽やかだ。
ともかく面白くは読める。
ちょうどいい程度の謎や問いかけを残し、そのまま空中分解する。人生って不思議だけど、そうした理解できないところで世界と自分の関係があるって、そうかもしれないよねと思わせる。
しかしどこを取っても村上春樹と言うのは褒め言葉だろうか。もうかなり長く村上春樹をやっているような気がする。初期三部作のように、僕の人生に決定的な影響を与えるというようなことはもうないだろうな。そろそろ村上春樹でない村上春樹を期待したいけど、それは無理な注文か。

村上春樹『一人称単数』

2020年8月7日

「劇場」をPrime Video で見てびっくりした。小説は読んでいたから、最後沙希が田舎に帰って終わりだなと思ったらあの展開。 永田の(というのは又吉の)演劇論の多くがカットされていたのは残念だったけど、最後の「屋体崩し(というのか)」は「劇場」を恋愛映画として成立させていたんじゃないかな

「劇場」

2020年7月17日
「あちらにいる鬼」井上荒野

小説家の井上光晴と瀬戸内寂聴の不倫関係を、井上の娘である荒野が描いた小説。時代を追って寂聴と井上の妻の双方の視点から話を進めていて、スリリングだ。
事実を下敷きにしているのは確かだが、これは全くの小説だ。
実際あったというリアリティや、本人しかわからない事実などというものにその小説成立の根拠を頼っていないという点において小説としか呼びようのないものだ。
そして文章はいつものように虚無と諦観が通奏低音のように流れていて、惚れ惚れするくらいうまい。
これは荒野などというとんでもない名前をもらってしまって、またその父親と同じ生業に就いてしまったものの覚悟と矜恃なんだろうな。

「あちらにいる鬼」井上荒野

2020年6月28日
「口笛の歌が聴こえる」嵐山 光三郎

1964年主人公の栄介(嵐山光三郎自身)が大学(國學院大学)3年生時から、1969年平凡社の編集者として活躍するまで。混迷する1960年代末の日本を、次から次へと実在の人物(唐十郎、三島由紀夫、永山則夫など数百名の有名人)と交差しながら自由奔放に駆け抜ける自伝小説。
ともかくすごい。政治に文学に演劇に音楽に美術、酒に喧嘩に恋愛等々どれも命がけで熱くて自由で無責任でヤバイ。私は嵐山より10数才下だが、この時代を駆け抜けた破天荒な若者たちの一人ではあった。この熱さはなんとなく記憶がある。ともかく人間的な時代だった。
ちなみに、登場人物のうち美術関係者は、中西夏之(コンパクトオブジェを7千円で買う)、赤瀬川原平(村松画廊の個展に行く)、池田満寿夫(銅版画を買う)、ジャスパー・ジョーンズ(ポスターを買う)、横尾忠則(太陽の特集で取材)、安西水丸(ニューヨークに行く)、東野芳明、加納光於など

「口笛の歌が聴こえる」嵐山 光三郎

2020年6月3日
「私をくいとめて」綿矢りさ

何気ない日常を送る、30代で一人暮らし、センシティブな女性の心の機微を、瑞々しく、また温かい眼差しで描いた「私をくいとめて」綿矢りさ。60歳過ぎたオッサンとは真反対の主人公だけど、と言うか、だからこそか、楽しめる小説だった。

「勝手にふるえてろ」綿矢りさ

こちらはいつもの綿矢の毒が結構効いている。何気ないに日常に狂気が走る。映画では松岡茉優が好演していた。

「勝手にふるえてろ」綿矢りさ

2020年5月29日
「人間」又吉直樹

「人間」(又吉直樹)は三部作になっていて、それぞれが独立した完成度の高い小説として成立する。一、二部は表現者を目指す自意識過剰な若者たちが、グズグズと人間や世界、芸術について思弁的に語り合いながら、ある種の挫折に帰結する物語。
「火花」「劇場」と設定や文体、コンセントは同根だと思うが、時空が前二作よりかなり妖しくなっていて良かった。
第三部は主人公の沖縄の両親、特に父親の話。これは一、二部が登場人物に語らせることによって小説を構築しているのに対して、ほとんど父親の行動だけを通して原初的、土着的生と死を伝えていて、より小説的エネルギーに富んでいる。面白かった。こんな表現も出来るんだ。

「人間」又吉直樹

2020年4月27日
「パック・イン・ミュージック」「ぴったしカン・カン」…小島一慶さん死去

パック・イン・ミュージックでは野沢那智、白石冬美、愛川欽也ももういない。「ヤングミュージック1010」でアシスタントのsophomore(当時は何のことか分からなかった)リリー・チェンの声がかわいかった。レターメンのSealed With A Kissをよく聴いた。

 

2019年2月20日
「ここ過ぎて」瀬戸内寂聴

瀬戸内寂聴の「ここ過ぎて」は北原白秋の2番目の妻、章子の話だが、それに時々詩人の山本太郎が出てくる。昔好きだった山本太郎は白秋の妹、家子の息子だった(父親は山本鼎)のか!と思っていると、今日たまたま読み直していた高野悦子の「二十歳の原点」の中に、彼女が自殺する2日前の日記で、「山本太郎詩集が私を招いている。」と書いているのを発見。そしてそこからの記憶で、高校3年時、愛読していた旺文社の「蛍雪時代」のある号で、山本太郎が選者をしていた「高校生詩壇」の第3席に、美術部の親友の名前を見た時の何とも言えない心持ちを思い出してしまった。

「ここ過ぎて」瀬戸内寂聴

2018年8月20日
「ビニール傘」岸政彦

社会学者、「断片的なものの社会学」著者の小説。
短いのですぐに読めるが、何度読んでもそこがどこなのかも、登場人物が何人いるのかもわからない。人や時空の関係性があいまいで、結びつかないのだ。それが、最後まで読んでもネタ晴らしのようにどこかに収束するということもない。わからないまま終わるが、これは作者が意図的にやっていることで、そのまま読むのが良いのだ。どうやらこの作者は、「これはこういうことだ」と断定する(あるいは結論付ける)ことを徹底的に嫌う人だ。
断片を繋ぎ合わせたものだけが世界だという感覚-それはどこへも収束しないのだ。社会学は科学である限り、ある種の普遍性、一般性へと人間の行動を還元化していくものではないのかとも思うのだが、この人の態度はその対極にあるように思える。分析を拒む社会学者というのも面白い。

 

2018年8月19日
「短歌の友人」穂村弘

生協にサイン本があったので思わず買ってしまった。現代短歌界の旗手、バリバリの歌人が現代短歌を評すること、それは評論家によるそれでもなければ、自歌の解説でもない。その両方を踏まえた上で、自省的に全体像を捉える目がなければできないことで、それが彼の場合ものすごく際どくまたダイナミックでそれがこの評論の魅力だ。一行の文章、一首の引用も彼にとって命がけの行為である。その全部が「お前はどうなんだ」という問いを背負っている。その責任を持ちながら、これだけ短歌の芸術性と本質的な意義の上で、持論が展開できることが彼の歌人としての高い資質を感じさせる。 それにしても、穂村の評論を読む限り、良くも悪くも世界と個が分断され、取り付く島のない無重力的な状況が、短歌界を覆っているのがひしひしと感じられ、その中での破れかぶれ的現代短歌スタイルは、人間の悲惨さを超えてある種カタルシスを覚える。

「短歌の友人」 穂村弘

2018年6月11日
「苦役列車」西村賢太

日雇いの話である。どうしようもなく自堕落な日常、面白い展開があるわけでもなく、そこからヒューマニティや概念化できる世界観も生まれない。しかし、読んでいてなんとも面白い。 太宰もびっくりの、いつまでたっても句点を打たない長々としたセンテンス……。
この小説を面白くしているのは、自虐的ながらも飄々としたユーモアのある、この狂言回しのような文体である。現代の私小説とか言われているが、透徹したリアリズムとはあまり縁がない。いくら実生活を基にしていると言っても、小説であるからにはイメージの世界でありその点でセクハラ的だとか、不快だとかいう倫理的な読み方は間違っている(女性がどう感じるかはわからないけど)。日常を描いていても、読者体験としては脱日常であるのが文学。 そんな感じだから、後半めでたく友人ができて会話文が多くなると、面白さが半減したような気がした。

 

2018年5月18日
「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリアンス」滝口悠生

東北への原付バイク旅、高校時代の美術準備室、絶対だった房子の存在、ジミヘンの真似して焼いたギター・・・・本当にそれらはあったのか。こうであったかも知れない記憶、なったかもかもしれない記憶。過去のそれらの出来事は今の自分にどう結びついているのか・・・・
過去と現在が互いに影響を与え合い、なんとも不確かだがそれが愛しむべき人生の時間なのだ。だけど最後にそれが宙に浮いたまま、でも何となくそうなんだよなと納得して終わるのは難しい。その部分では「死んでいない者」のほうがよくできているのかも。

 

2018年5月11日
「死んでいない者」滝口悠生

故人の子孫一族郎党合わせて27人も出てきて、家系図を書きながら読まないと誰が誰だか分からない。死者の通夜一夜だけの物語。それぞれが普段共有してない日常と価値観を持ちつつ、だけどそれぞれの色々な思いや事情が絡み合って、個と集団、生と死の堺がぼやけていくのが、なんとない文章の中からじわじわ伝わってくる。 平凡な、記憶にも残らないようなこと、本人でさえも忘れてしまうようなことを、まさにそれ故に人間の真相として、この人はどうしてこれだけうまく書けるのだろう。 何でもないから何ともすごい。そして文章がとても優しい。

 

2018年4月30日
藤枝晃雄氏死去

厳格なフォーマリズムの批評家で、その立場からの攻撃的な論調や文体は、そこまで言わなくても、と思うくらい徹底していて怖いほどだった。読み物としてユニークな東野芳明と対照的。「現代美術の展開」(1977)もものすごく難解で、ラインを引きつつ何度も読み返した。懐かしい。

「現代美術の展開」藤枝晃雄

2018年4月22日
「百年泥」石井遊佳

洪水の後発生した泥から掘り上げられた数々のモノから私の記憶は蘇り、またひょんと他人の思い出に入りこむ。それは次第にいつのことかわからなくなり、最後は誰の記憶かも判然としなくなる。そして様々な記憶の総体として、またすうっと橋の上で泥を見ている自分に戻る。読書の愉悦。

 

2018年4月7日
「おらおらでひとりいぐも」若竹千佐子

こんなすごいとは思わなかった。島田雅彦の選評の通り、「自分を構成する要素としてのコトバ、家族、自然、時間などを巡る考察」であり、思弁的かつセンチメンタルな「自分探し」の物語。論理的で暖かい。

 

2018年3月12日
「マチネの終わりに」平野啓一郎

美男美女、才媛と才能ある芸術家。そんな取り合わせは好みではなかったけど、しかし、思わぬことで関係が崩壊した(結構ベタだけど)後の二人の心情と行動は、人間の精神性の理想とリアリティが、硬質な叙述で見事に表現されていた。最後の数ページは鳥肌が立った。

 

2017年12月3日
「ザ・フォーク・クルセダーズ」はしだのりひこさん死去

フォーク・クルセイダースは時代の精神を体現しているグループだった。「悲しくてやりきれない」「イムジン河」。解散後はシューベルツ時代の「風」。中学生だった。

 
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