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2023年6月2日16:43
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展覧会 , 東京 , 現代美術 , 美術館
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レポートその③です。
国立新美術館「ドマーニ明日」展。
毎年この時期開催の、「新進芸術家海外研修制度(旧・文化庁派遣芸術家在外研修制度)」で海外研修をしてきたアーティストの成果発表展覧会ですが、以前、少なくとも旧・安田火災東郷青児美術館でやっていたときには、文字通り直近数年間の派遣研修員の選抜展でした。しかし最近は出品者の研修時期も年齢もバラバラで、人選やコンセプトがよくわからない展覧会になっているような気がします。
今回も伊藤誠や北川太郎の様なきっちり確実で評価も定まっていて、研修時期も古いアーティストから、人気作家で今回4回目の出品の丸山直文、2回目の小金沢健人、そして最近派遣された若手アーティスト数名という人選になっています。全体として共通のテーマがあるというわけではないようで、研修の成果発表としては4回は多すぎるし、人選の意図がわかりませんが、展覧会自体は、ひとりひとりの作品の質が高く見応えのあるものでした。

伊藤誠

北川太郎

丸山直文

大崎のぶゆき

石塚 元太良

小金沢健人
同じく新美術館の「Idemitu Art Award」。(「ドマーニ明日」展のチケットを提示すると無料で入れます)
「シェル美術賞展」が名称を変えたそうです(びっくり)。「シェル美術賞」は「FACE展」や「VOCA展」と並ぶ「若手作家の登竜門」として有名ですが、その中でも最も歴史の長いものです。
最近の絵画の動向を見るのにはとても参考になりますが、最近の若手は普遍性や精神性、また宇宙的な大きなものには向かわず、身近なものに目を向けることが多いですが、それも確固たる信頼はなく気分や雰囲気的な感じが多く、抽象的でも描写的でもないという、あやふやなもの多いです。そういった感覚が今日的らしく、今回のグランプリの作品もそんな感じで、面白いとは思うものの若干見飽きてきた感もあります。

グランプリ作品
帰りの搭乗便の時間が迫る中、モノレールの天王洲アイル駅で下車してTERADA ART COMPLEX に駆け込み、どうしても見たかったMAKI GALLERYのブライアン・ハート展を見ました。ブライアン・ハート(Brian Harte)はとても好きな作家(もう「推し」的な感じです)で、前回のMAKI GALLERYの個展が見られなかったので、今回を逃すとまたいつ見られるかわからないと思い、必死に走りました。ハードエッジと曖昧空間、身近な形象と抽象、プライベートと客観が見事に混じり合っています。
残念ながら他の作品を見る時間がなく、また走ってモノレールに戻り空の人となりました。
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2023年1月27日14:13
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展覧会 , 旅行 , 現代美術 , 美術館
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今年のお盆は栃木県、那須高原の一棟建てを借りて家族で過ごしました。普段離ればなれになっているので、こういう機会を作って時々子どもたちと会っています。
那須には奈良美智美術館に行き、その後皆と別れて東京でいくつか展覧会を見ました。寺田倉庫は新しい現代美術スポットとして話題だったので行けて良かったです。
「N’s Yard 奈良美智美術館」(那須塩原市)
那須高原の人出と喧噪はすごかったですが、ここに来るとゆっくりと落ち着いた時間が流れてました。大きくはないけれど充実した内容の美術館でした。ただ奈良の作品と奈良がコレクションした作品がランダムに展示されていて、しかも壁にキャプションがないので、よく知らない人は戸惑うかも。奈良の他に、村瀬恭子や名和晃平らの作品がありました。

奈良美智美術館外観

奈良美智

奈良美智

奈良美智

村瀬恭子

名和晃平
「YES YOU CAN」展 WHAT MUSEUM (寺田倉庫) 2022.8.6-10.16
WHAT MUSEUM1階では「建築模型展」(2022.4.28-10.16)をやっていて、これも面白かった。写真は藤森照信の「ワニ」。
2階は桶田夫妻のOKETA COLLECTION から「YES YOU CAN アートから見る生きる力」展。加藤紘加、ジャデ・ファドジュティミら若手女性作家の魅力的な作品が多く楽しめた。今年VOCA賞を取った川内理香子も見られて良かった。

WHAT MUSEUM外観

藤森照信「ワニ」

加藤紘加

ジャデ・ファドジュティミ

川内理香子
「地球がまわる音を聴く」 森美術館 2022.6.29-11.6
ヴォルフガング・ライプ、エレン・アルトフェスト、ギド・ファン・デア・ウェルヴェ、青野文昭、横尾貞治、金沢寿美など、どの作品もキリッと厳しく、またなんとも人間愛に溢れていた。
彼らは皆、美術そのものの問題などすでに考えていないと思えるくらい、超越している。自分が生きるため、また人類が生き残るために何が必要か、人間の生と死への本質的な問い、その問題意識が切実で、ギリギリで厳しくまた優しい。胸に響くすばらしい展覧会だった。

ヴォルフガング・ライプ

エレン・アルトフェスト

ギド・ファン・デア・ウェルヴェ

青野文昭

横尾貞治

金沢寿美
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2023年1月20日17:43
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展覧会 , 現代美術 , 美術館
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久しぶりにグループ展(CAF.Nびわこ展)に出品して、ギャラリートークに参加した機会に、関西地方の展覧会を回ってみました。
大阪・北加賀屋のkagooや千鳥文化ホールで開催の「TIDE―潮流が形になるとき」。周辺のオブジェやラクガキも一体になって美術好きには楽しいエリアになっている。
その先のクリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地)の「ART OSAKA 2022 EXPAND SECTION」。小清水漸と植松奎二はさすがに圧巻の展示だったけど、他の作品は私にはいいのかどうかわからなかった。
国立国際美術館「遠い場所/近い場所」。コレクション展だけど、渋くて充実した展示。見たいと思っていたマーク・マンダースが初めて見られて良かった。
兵庫県、BBプラザ美術館の太田三郎展「人と災いのありよう」。太田のライフワークである、災い(戦争も含めて)に遭遇した人や物を切手に託すシリーズ。
兵庫県立美術館「関西の80年代」展。当館で80年代に開催していた「アート・ナウ」展等で活躍した「関西ニューウェーブ」作家たちを中心にした大規模作品の展示。この頃はよく知っているので懐かしかった。質、量共に充実していて見応えあり。
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2022年1月27日23:20
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展覧会 , 現代美術 , 美術館
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11月上旬の穏やかな日、用事と観光を兼ねて車でちょっと遠出をしてきました。
国立国際美術館がこちらにあったときにはよく来ていた大阪万博公園。民族学博物館も久しぶりでした。膨大な展示資料。形体的な面白さにももちろん惹かれるけど、その中に長い人類の歴史と広がりがあるので、単なる日常品がどれも貴重で確かなものに思える。世界の各地域を見回った後、最後に日本の展示がありますが、自分がこうだと思っている日本(他の国と比べて割とさらっと静かとか)の感じではなくて、どこかおどろおどろしい異国的な呪術感を覚えた。あれはなんだろう。
六甲山にある「風の教会」に行ってみました。安藤忠雄の初期作品です。今だけ六甲ミーツアート関連で内部公開しています。天井に束芋のアニメーション作品が映し出されていました。冷たいコンクリートの壁に内蔵的な生き物がうごめいていて、教会的な清廉さと人間の本性っぽい対比がとても良かった。
それから神戸ゆかりの美術館まで足を伸ばして「ミロコマチコ」展。こういう時期(と言ってもコロナも長いですが)には、あまり観念的な難しいものより、体感的に直接受け取るようなものが観たくて。画像等では観ていたけど、本物はより体の隅々まで入ってくる感じで良かった。最近の作品は動物でも人間でもない、不思議な形(精霊のようなもの)を描くようになっている。
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2021年7月26日10:49
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展覧会 , 美術館
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難しいコンセプトや斬新なスタイルがあるわけではない。しかしなぜか心に沁みる。古くて新しい。新鮮で滋味深い。自由で開かれている。だから心に風が吹くような晴れやかな気分になる。
皆川のコンセプトは「長年着用できる普遍的な価値を持つ『特別な日常服』」だそうで、だからある種の凡庸さの中に、それを着る人だけが特別感を感じられる服になっているのだろうか。
「ずっとあなたの人生に寄り添いますよ」と言ってくれているような気がする服たち。
田根剛による展示構成も素晴らしく、気持ちの良い展覧会だった。
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2021年4月8日15:34
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展覧会 , 東京 , 現代美術 , 美術館
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先日、東京滞在時に本務とは別にどうしても行きたい展覧会があって、行ってしまった。ピーター・ドイグ(国立近代美術館)とオラファ・エリアソン(東京都現代美術館)。
幸いなことに両展とも当日発券があり、開館前に並んで入れました。
以下、個人的な感想です。
ピーター・ドイグは、結局よくわからない。個人的、地域的なテーマを扱っているのだろうけど、それに思い入れや個性があるのかと言えばそうでもなさそう。近代的な文法を引用しているところもあるけど、逆に美術の埒外に出そうな危うい雰囲気もある。それで結局これは何?って言ってもよくわからない。みんな頭に?マークを付けながら見ているのではないか。それがいいんだろうな。わからないことが危険な誘惑になってみんな見に行っているのでは。
オラファ・エリアソンもすごい人気だった。若い女の子がキャッキャして写真を撮っていた。ある観念や事象(それもみな人間として大事なこと)を気づかせる装置としてのインスタレーションが多く、それが視覚的にも楽しい。森美術館でやっていたレアンドロ・エルリッヒの楽しさとはタイプも違うし深さも違う。
人間の良質な部分と言うか、向かうべき人間性というか、そういうものを美術という形式で見事に実現している。日本も世界も人間の見にくい部分ばかりが目に付いて、いい加減イヤになってしまう昨今では本当に救われた気分になる。
それにしても、こんな楽しい展覧会がたくさんあるのに、見に行きづらい現状はやはり悲しい。
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2021年2月5日9:46
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展覧会 , 島根大学 , 教育 , 美術館
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たくさんの皆様にご覧いただきありがとうございました。
この展覧会は「新井知生」の40年に及ぶ制作活動を、年代と作品シリーズをもとに展示し、また卒業した教え子たちの今の作品も展示し、それを通して同じ長さで携わった教員としての活動の一端も同時にお見せするものでした。
1年半前に島根県立美術館の一般ギャラリー全室を借り上げてから、実行委員会を立ち上げ、会議と準備作業を定期的に行い、1/20模型で展示作品を決定し、古い作品を倉庫から引っ張り出し、自分で写真に撮り90ページの作品集も作成しました。また前日の搬入・飾り付けから会期中の会場係、アーティストトーク、懇親会、片付け・搬出まで多くの参加メンバーと学生に助けられてやってきました。
この展覧会は「新井知生」の集大成ではありますが、私はそれをいかに「新井知生」の望む形で皆様に伝えるか(「新井知生」のことを一番良く知っているのはたぶん私です)、また興行的にどうしたら展覧会がうまくいくかにかかりっきりになっていて、終わった今、何の感慨もありません。ただ、ほぼやり遂げたのではないか。行き届かないところがあったとしても、私の力ではこれが精一杯でしたと言えるだけはやったと思ってます。
(良くも悪くも)制作者・教育者としての「新井知生」はもうすでにあり、今回の展覧会で私はそれをプロデュースする楽しさと大変さを味わったところです。
ともかく実行委員はじめほんとうに多くの皆様に助けられて無事終了することが出来ました。
ありがとうございました。
※展覧会場の様子は「exhibition」の「新井知生の40年と教え子たちの今」展(2019.11.27-12.2)をご覧下さい。
こちらには、この展覧会のための準備や飾り付け、レセプション、アーティストトーク等の様子を載せます。
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2020年7月10日16:49
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個展 , 展覧会 , 東京 , 現代美術 , 美術館
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現代美術の文脈からは外されがちなバスキアだけど、そんなこととは関係なく昔から好きだったなぁ。バスキアの絵は何かホッとするというか、生身の人間そのもののような親近感がある。今回の展覧会は点数も多く、結構見ごたえがあった。
そういえば、ジュリアン・シュナーベルの「バスキア」(1996)もよかった。デヴィッド・ボウイがウォーホルをやっている。ジョン・ケイルの「ハレルヤ」にもしびれた。
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2019年8月7日11:59
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個展 , 展覧会 , 現代美術 , 美術館 , 芸術
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今回も掛け持ち出張の合間を縫っていくつかの展覧会を見ました。
■クリスチャン・ボルタンスキー展(国立国際美術館)
照明は消され、その所々で裸電球が光りまた明滅している会場に、心臓音、風鈴の音、叫び声(のようなもの。海に向けた収音機に集まるクジラの声?)が断続的に聞こえる。その中にある47ものインスタレーション作品を巡る。1969年からのボルタンスキーのスタイルをほぼ網羅した記念碑的展覧会だ。作品同士をつなげて見せたり、部屋を区切り独自の空間で見せたりしてあり、光、音、映像等とともに巡ることの臨場感も楽しめる。
生と死(今回は「来世」まである)、記憶、匿名性という根源的なテーマをこれだけ多くのスタイルで、そのどれもが重量感と密度を持って迫ってくる展示は見ごたえがあった。今までの経験で、ウームこれはどうかな?と思っていたものもいくつかあったが-例えば骸骨の影絵や海岸の鈴の音-今回は軽いほうのヴァリエーションとして、振れ幅のうちかなと思った。
しかしやはり無名の人々、時にはボルタンスキー自身も無名の一人として扱った作品に真の内容があるかな。心臓音や新聞の切り抜き、ピンボケの顔写真などのほかに、ボルタンスキーが今まで生きてきた時間を秒数としてカウントしている赤いネオン管の作品。その数字は、彼の死とともに止まる。壁の隙間からの覗いた部屋に置かれている多くの電球。それは毎日2個ずつ消えていく。等々。
それにしても来場者の半分以上が若い女性で、越後妻有や瀬戸内の芸術祭の影響か、かれは人気あるんだな。
■「霞はじめてたなびく」(佐藤雅晴、西村有、吉開菜央)
トーキョーアーツアンドスペース本郷
(個人的にですが、)佐藤雅晴さんの追悼のためにどうしても行かなくてはいけないと思っていた。佐藤さんががん闘病中で昨年余命宣言されていたことは、トーキョーアーツアンドスペース本郷のHPで彼自身が告白していて知っていたが、先日「六本木クロッシング」展の佐藤さんの「Calling」をFBにポストしたのは、作品に純粋に共鳴したからだ。逝去されたのはつい先日知った。
3階建てのギャラリーは1階ずつスペースが作家に与えられていて、1階が佐藤さん。《福島尾行》は震災後の福島の日常を淡々とまたゆっくりと描いている。(スクリーンの前のピアノが無人のまま低い音楽を奏でている)映像は所々アニメーション化されていて、季節の移ろいやその場の空気が身体的感覚を通してしみじみと浮かび上がってくる。もう1点《雪やコーヒー》はモノクロームアニメーションで、コーヒーに角砂糖を入れる瞬間がスローモーションで繰り返される。角砂糖にコーヒーが滲みこむ。何でもないがいつくしむべき人生がゆっくりと流れる。
2階は吉開菜央さんの映像とテキストのインスタレーション。「石の話」や「金魚の話」など、はじめも終わりもない、目的も大したオチもない、ただたまたま経験したことを綴ったテキストが、自転車に乗る映像とともに並んでいる。生身の自分が風を切る身体感覚。その場でたまたますれ違ったものや経験したこと(金魚や石)。それは意味が発生する前の無垢でむき出しの世界だ。(余談ですが、吉開さんはあの米津玄師の「Lemon」のミュージックビデで踊っている女性だそうだ)
3階は西村有さんの絵画。見た瞬間、「昨日VOCAで見た作品だ」と思った。その時もすごくいいなぁと思った。(VOCA他いくつかの展覧会レポートは後日HPのtopicsにアップしたいと思ってます)その場で見た景色ではなく、いつかどこかで見た記憶の彼方から染み出てきたような風景。直接描いていない。何が見えるのかわからないところからたどり着いたような風景。意識の底にある世界像。
この展覧会を見て言えることは、3人とも、何があっても何がなくても人生はいつくしむべきものだということ。そのやさしさにうっとりしてしまう。
佐藤雅晴さんのご冥福をお祈りいたします。
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2019年7月18日11:02
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展覧会 , 東京 , 現代美術 , 美術館
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いつもながら、出張ついでの美術館巡り。
今週は面白い展覧会がいくつもあり、限られた時間でどれを見るか迷ったのですが、結局「六本木クロッシング」に。
この手の実験的な大規模現代美術展は、私の場合だいたい半分くらいは「うむ?」と首を傾げ、そのうちのいくつかは全く分からない、ということが多いのですが、今回の六本木クロッシングはどの作品も、表現すべき対象とその美術的アプローチや手法が確かで、その内実が素直に入ってきて、見ていてこちらも充実した時間が過ごせました。
今回の六本木クロッシングは、「現代社会が、政治や経済の問題、宗教や世界観の違い、突然の災害などで様々な悲劇に満ちている」ことを共通の認識として、それら様々な「分断」の悲劇に美術的手法を用いて立ち向かっている作品(25組、60点)が集められたということです。
また今回、その「現代の困難を乗り越える最も確かな方法として、『つながり』」をテーマにしています。美術に限らず「つながり」は意味を生成する根本的なものだと思いますが、今回の展示では「テクノロジー」「社会観察」「異質なもの」による「つながり」を、美術的な方法によって表現したものになっています。
いっぱい作品がありましたが、その中で私の好きな2点を紹介します。
まずは、佐藤雅春の《Calling(ドイツ編、日本編)》。映像作品で、どれも人がいない場面がいくつか出てきます。例えば誰もいないドイツの朝の食卓、放課後の職員室、住宅地を走る電車、桜の舞い散る公園など。そこにそれぞれ携帯電話、iPad、公衆電話などが置かれており、それらがしばらく鳴り続けて止みます。それだけですが、呼んでも届かない思いは抑圧の塊のようにも思え、それが寂しく、悲しく響いてきます。
続いて、万代洋輔の《蓋の穴》。万代の一連の創作活動の結果を記録した写真の作品ですが、その活動とは、夜中に車で不法投棄の現場に行き、落ちている廃棄物を集めて、別の場所で組み立てて、明るくなったら撮影するという、彼自身によって決められた手順にそって制作するものです。なんとも無駄で無意味な行為ですが、それをやらざるを得ない人間の習性というか、儀式のような神聖さを感じました。
他の作品もみな中身が濃かったです。

飯川雄大

土井樹+小川浩平+池上高志+石黒博×ジュスティーヌ・エマール

青野文昭

林千歩

目

アンリアレイジ

竹川宣彰

佐藤雅晴

佐藤雅晴

万代洋輔

万代洋輔

杉戸洋

ヒスロム

米谷健+ジュリア(MAMコレクション)