ニューヨーク滞在日記(その1)

3月23日から4月2日までニューヨークに行って来ました。

ニューヨークタイムズスクエア
写真①12年ぶりのニューヨーク、タイムズ・スクエア
エンパイアステートビル
写真② マジソン・スクエア・パークからのエンパイア・ステート・ビル

直接の目的は、ニュージャージー州のSeton Hall 大学の付設ギャラリーで、私を含めた3人の日本人作家による展覧会「Three Aspects of Japanese Contemporary Art」展を開催していて、そのレセプションやギャラリートーク(「meet to the author」 という言い方をしていた)への出席のための渡米でした。

展覧会DM.jpg
写真③展覧会DM

 

展覧会自体は3月15日〜4月11日までの会期でしたが、レセプション等の行事はほとんど3月25日に行われたので、その他の日はだいたいマンハッタンに出て、美術館を巡っていました。
 滞在先はSeton Hall 大学芸術学部研究科長で美学・美術史博士のDr. Petra Chuのお宅にホームスティさせていただきました。
 実はSeton Hall 大学は、私が12年前(1997-98)に文化庁派遣芸術家在外研修員として1年間ニューヨークに滞在したときに客員研究員として在籍していた大学で、Dr. Chuは私の受け入れをしてくれた教授です。
 Dr.Chu のお宅はニュージャージー州のSouth Orange というところにあり、そこから大学までは歩いて5分、駅まで歩いて10分。駅からはNew Jersey Transit という線(電車)でマンハッタン34st.のPennsylvania Station (通称Penn. ST) に30分で着きます。

Seton Hall大学
写真④Seton Hall大学
Penn.ST
写真⑤Penn. ST

今回の滞在は自分なりには次の3つの内容に分けられると思います。

  1. 渡米の本来の目的であるSeton Hall 大学での展覧会とそれに伴う行事
  2. ニューヨークの美術館巡り
  3. 12年前に家族で過ごしたFort Lee や、よく歩いたマンハッタンの場所(イースト・ビレッジなど)への個人的センチメンタル・ジャーニー

12日間、寒さと悪天候にもめげず、目いっぱい上記の3つの目的のため動き回りました。
前にこの[topics]でレポートした3週間のヨーロッパの旅でもそうでしたが、今回も観光とか楽しむとかいう感じではなく、ともかく貪欲に休むことなく歩き続ける旅でした。

3つとも書きとめておきたいですが、まずはニューヨーク美術館の観覧記から始めようと思います。
 行った美術館は MoMA、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館、New Museum、P.S.1、足を延ばしてペンシルヴァニア州のフィラデルフィア美術館の6館。それからチェルシーのギャラリーを1日廻りました。
 もちろん12年前にそれらのほとんどは1度ならず(特に木曜、金曜の夕方の無料時には何度も)行っていますが、今回それぞれの美術館の企画がすごく、どれもおもしろくて興奮しました。

まずMoMAですが、改装されてからは行ってなかったので楽しみでした。他の美術館のほとんどが休みの月曜日を狙っていったのですが、ものすごい混み様(写真⑥)。それはホイットニーやグッゲンハイムでもそうでしたが、どうしてこんなに混んでいるのでしょう??? 普通にこの列に並ぶと明日になっても入場できなそう。私は某フリーパスカードがあるので何とか待つことなくは入れましたが。
 館内もこの混み様(写真⑦)。おまけに企画の一つである「Tim Burton」のショーはすでに売り切れでした(まぁTim Burtonにはあまり興味がないのでショックは受けませんでしたが)
 他の企画は「Marina Abramovic : The Artist Is Present」、「William Kentridge : Five Themes」「Ernesto Neto : Navedenga」など。ネトの展示は一部屋だけの小規模なものでしたが(写真⑧)、アブラモビッチとケントリッジの展示は規模も大きく作品の迫力もものすごいものでした。

入場者の列
写真⑥美術館の外で並ぶ入場者の列


美術館内
写真⑦館内の様子
Neto
写真⑧ネトの展示

マリーナ・アブラモビッチは1946年、旧ユーゴスラビア生まれのパフォーマンスアーティスト。「The Artist Is Present」というタイトル通り、本人がMoMAの2階展示スペースで観客の一人と相対しながら椅子に座り続けるパフォーマンスを、何日も何時間にもわたって演じていました。そのスペースにみなぎるエネルギー−「人間の磁力」と呼んだらよいだろうか−が凄まじくまず圧倒されます。
 しかし6階でのヌードの男女のパフォーマンス、性的なビデオ映像、大量の骨のインスタレーション等による企画展示は(この場所は写真が取れなくて残念でしたが)凄まじいなんてものではない、なんと形容したらよいのか・・・・・「人間」というもののギリギリの姿、何もかも脱ぎ捨ててモノ同然まで裸にされた「人間」(まぁ実際に衣服を脱いでいるばかりでなく、裸体と骸骨が折り重なっていたりするのですから)という存在の、それでもそこにある(はずの)「尊厳」。もちろん身体的に衣服を剥ぐのではなく、その精神を容赦なく剥いだ上での、それでも本当に人間は尊厳を持ちえるのか?という切実な問い。人間に対する非情さと思い入れの悲しいばかりの交合・・・・と、私は感じました。まったくこの作家を知らなかったのですが、ホントものすごいものでした。

一方、ウィリアム・ケントリッジの展示も素晴らしかった。
ウィリアム・ケントリッジは1955年南アフリカ共和国生まれのアニメーションビデオ作家。途方もない時間をかけて手作りした「動くドローイング」とも呼べるアニメーション・フィルムの制作で知られています。偶然(!?)ですが日本でも彼の大規模な展覧会が開かれています。「歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動きはじめた」というタイトルで今年1月から国立近代美術館で、3月からは広島市現代美術館で開催されています。確かに彼のドローイングアニメは増殖し続け動き続けます。それを見ているとドローイングの動きとともに、自分の頭の中が常に動いているような気がしてきます。何かが頭の中でグルグル回っている感じ。アレハ・・・コレハ・・・・何ナノダロウ。何だかわかるようなことが起こっているのに何もホントはわからないというような感じ。人間の行動や外界との関係について常に考えることを強いるようなアニメでした。

ドローイングアニメーション
写真⑨ウィリアム・ケントリッジの展示

アブラモビッチもケントリッジも初めて目にする作家でしたが、2人とも人間の存在が何であるのかという根源的な問いを非常な緊張感の中で突きつけてくる展示でした。

ずいぶん長くなってしまいました。今回はこれくらいで終わりにしておきます。
 MoMAの他の話題や他の美術館観覧報告はまた次の時に。

 
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