ヨーロッパ2大芸術祭見学ツアーレポート(8/31-9/14)③

ヴェネツィア・ビエンナーレ

今年のヴェネツィア・ビエンナーレのテーマが「 VIVA ARTE VIVA」で、今時こんなノー天気なこと言っていいのかと思ったけど、体験してみて圧倒的に楽しかった。もちろん重いテーマも随所にあるけど、それも含めて人生の様々な様相が、美術によって彩られてもいいのではないかと思える展示だった。
ジャルディーノでは、日本館の岩崎貴弘も結構賑わっていて良かった。繊細な手仕事だけど、工芸的に閉じていないので、爽やかな印象を与える。
チョー人気のドイツ館は長蛇の列で、とても並ぶ気がせず、宙に浮かぶ人間のパフォーマンスを、外からガラス越しに見た。
他、イギリス、アメリカ、ロシア、イタリア、ラトビア、イスラエル、オーストリアなどの展示が面白かった。
アルセナーレでは、ともかく会場となっている造船所跡施設が、余りにも広く重く高く迫力満点な為、作品は否が応でもその空間との対峙を迫られる。(横浜bankARTの空間が凄いと思っていたけど、あの100倍位大きい)
エルネスト・ネトやガブリエル・オロスコなどはさすがに空間との対話が上手い。日本からはTHE PLAYと田中功起、島袋道浩が出品していた(菅木志雄は海の中だったので見逃した)。島袋も田中も日常の些細なことを、美術的な手法によって拾い上げ、ユーモアと優しさを持って人間の在るべき姿を語りかける、素晴らしい作家だ。だがこの巨大な空間の中では、よぉ〜く見ないとその良さが伝わらないのが残念だった。
かと言ってただ大きいだけでは底が割れてしまう。そんな作品も多かったように思う。その点、エディス・デイントのような思索に富む作品は会場がどこでもその良さを伝える力がある。
歩き疲れはしたが、総じて楽しくて素晴らしい体験だった。

ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ
ヴェネツィア・ビエンナーレ

室生寺(2017.7.10)

確か中学か高校の国語の教科書に「室生寺」についての文章が載っていた気がする。今回の奈良出張のついでに室生寺まで足を延ばしてみようと思ったのはその記憶があったからかもしれない。それにやたら外国人観光客が多く、その集団が無遠慮に歩き回っているような感じのする奈良公園付近より、静かなお寺のほうが一人旅の一日を過ごすには気分にあっているとも思ったのだ。しかし、シャクナゲや紅葉の季節でもなく、蒸し暑いだけのこの時期にこの山奥まで訪れる人は少なく、室生寺前でバスを降りたのは私一人きりだった。

室生寺
室生寺

室生寺の仁王門を抜けると、深々とした新緑の林に目を奪われる。弥勒堂から金堂を回り、十一面観音や釈迦如来像を見る。奈良には国宝はいくらでもあるのだ。何本もの杉の大木に覆われた本堂まで来ると、さすがにこのあたりの空気は清廉で汗も引き、やはりこちらを選んでよかったと思った。それにしても、あの文章は随想だったかそれとも説明文であったか…全然覚えていない。

室生寺
室生寺
室生寺

そこから奥に回ると小さな五重塔があった。それが目に入った瞬間、ああ私はこの五重塔を見るためにここに来たのだと思った。教科書に載っていたであろうこの塔の写真を中学だか高校の頃の私はきっと見たはずである。それは本当にかわいらしくて、男どもがよくやる保身のための威圧感など微塵もなく、「女人高野」の名にふさわしい優しさをたたえていた。

室生寺

室生寺からなお山道を登ったところに、現代美術作品で構成された公園があるというので行ってみることにした。なんと78ヘクタールもの山肌を削って、そのすべてのスペースにイスラエル出身の世界的現代芸術家、ダニ・カラヴァンの環境作品を設置しているというのだ。私がガイドブックの端にその小さな紹介を見たときは嘘かと思った。またはよくある誇大広告で「見てがっかりパターン」版かもしれない。乃木坂46がコンサートでもしなければ人は集まらないかもしれないくらいの山奥だ。現代美術を設置してもだれも見に来ないだろう。そんな気を起こすのは私のような酔狂な人間かダニ・カラヴァンの研究者くらいだ。それにしてもおかしい。いくら道を登ってもそんなものありそうな感じがまるでしない。何度も道に迷い汗が目に入った。
カラヴァン本人もこんな山奥のプロジェクトによく乗り気になったなといぶかしく思ったが、ネットを見るとなんとカラヴァンはこのプロジェクトのために、16回もイスラエルから来日している。彼は室生寺と周辺の深い森や里山の佇まいにインスパイアされ、この地の光、水、風、土らと一体化する空間を構成する作品を構想したようだ。

室生山上公園・芸術の森
室生山上公園・芸術の森

ガイドブックには20分と書かれていたが、それどころでなく、どれくらいかよく覚えてないくらいの時間をかけて登ると、生い茂った木々の先にパッと視界が開け、そこになだらかな起伏のある緑の台地が広がった。「そこ」はやっぱりあった。それだけでなく、私の予想を大きく覆す素晴らしい空間だった。驚くほどの広大な土地に、カラヴァン特有の螺旋形の水路や半円形の階段、それを覆う笹、池の中央にピラミッド型や螺旋型の塔の島などが点在している。それらの象徴的な形は水路でつながり水が循環している。そしてその中央を太陽が横切る「太陽の道」が横切っている。カラヴァンの造形は一見幾何学的、工学的だが、それは自然と一体になり、天文学的な宇宙の営みとの関係を表現している。またそれは原始的とも言える信仰を感じさせ、この地の精霊とも交感しているように思えた。

室生山上公園・芸術の森
室生山上公園・芸術の森

カラヴァンの作品は写真や模型でしか見たことがなく、実際に見てあまりの楽しさに、他に誰ひとりいないこの空間で一人小躍りしていた。私は疲れを忘れこの不思議で優しい空間を歩き回った。と、その時遠くから雷鳴が聞こえた。急に空が暗くなり池の水が浪打ち作品を覆っている笹が揺れた。やはりこの蒸し暑さでついに天気が崩れたか。今まで晴れていたほうがおかしかったのだ。雷鳴が次第に大きくなり、稲妻との間隔がなくなってきた。危険だなと思ったその瞬間、大きな音とともにものすごい光の束が近くに落ちてきた。どうやらカラヴァンのピラミッド型のモニュメントの頂点を直撃したようだ。私は突然のことにしばらく目を背けていたが、雷が落ちたらしいモニュメントに目を向けると、その光はコールテン鋼の物体に吸収されず、それを明るく輝かせ、そしてその一部が反射してまた一筋の光となって天に登って行くのが見えた。それは薄い光線だったが、とても美しくまるでカラヴァンのピラミッドの塔には初めからその光の筋があったように思えた。私はその美しい姿になんの思考も働くなり、ただ見入っていた。それはしばらくして消えたが、その間実は私の体が何となく光のほうに引っ張られるような感覚があったのだ。あれは気のせいだったろうか。

室生山上公園・芸術の森
室生山上公園・芸術の森
室生山上公園・芸術の森

雨宿りの後、私は山を下りた。帰りは驚くほど速く麓のバス停に着いた。そこでバスを待つ間一息つきながらふと思った。教科書には最初から「室生寺」の文章などなかったのではないか。それからあの天に向かう光線も…今では本当にあったかどうか疑わしかった。

(すみません。道中ずっと「騎士団長殺し」を読んでいたものですから。ダニ・カラヴァンの公園はもちろん普通にあります。「室生山上公園 芸術の森」
http://www.city.uda.nara.jp/sanzyoukouen/about/index.html です。)

 
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