東京美術館めぐり(2009/3/29-3/31)
山口画廊での個展のついでに、いつものように都内の美術館を巡った。
今回は、現代美術館、国立近代美術館、横浜美術館、新美術館などを回った。
東京に出るたびに他に森美術館、原美術館、デザインサイト21_21、銀座・京橋・日本橋あたりの画廊をよく巡るが、いつも同じところなのでたまには美術館ではない東京のオモシロスポットでも行ってみたいとも思うのだけど、結局美術を見てしまう。
今回もそんな思いを持ってやっぱり美術館に行ってしまったけど、結果はどれもとても面白かった!
これはもうサガというものか。
まず29日の午前中に上野で「VOCA展」を見た。
最近はこんなものかという感じで、図録を買う気にはなれない。
1994年に初めて「VOCA展」が登場した時はかなり興奮したのに。
92年の「形象のはざまに」展や95年の「絵画、唯一なるもの」展とともに「VOCA展」の出現は絵画の再生の機運を感じさせてくれた。
だからそれから数年は図録もきちんと揃えてある。
最近の趣味系の作品はやっぱ物足りない。趣味はヒトを揺さぶらない。作家自身も揺さぶられてないんじゃないの。
これだけ矮小化された絵画は見たくない。
一昨年は「VOCA展」とともに田中功起展を開催していて、そのユーモアと人生観にすっかりはまってしまった。
世の中にはこんな取るに足りないことが無数に起こっている・・・・それが人生だと。
「VOCA展」の作品と違い、田中のビデオの中の小さな出来事は決して矮小ではなく、芸術の可能性を感じさせ僕をグラグラ揺さぶるのである。
30日は国立新美術館の「アーティストファイル2009」と横浜美術館の「金氏徹平」展を見た。
どちらも面白かった。どちらも現役の作家にこれだけのスペースを与える展示は見ていて気持ちがよい。
キュレーターの力を感じる。
残念ながら私たちが住んでいる地方の美術館ではなかなかできない企画だ。
「アーティストファイル2009」は形式も表現スタイルもそれぞれ独自な9作家の作品を見て回るのはその変化が楽しかった。
特に大平實のチップを丹念に編みこんだ巨大なオブジェは、どの既視感とも結びつかずそれでいて人間の故郷に連れて行ってくれるようですっかりその時空間に浸った。
作品図録もすごい。1作家1冊ずつ、計9冊で2,000円。こんな図録を作ってくれたら作家はうれしいよね。
(新美術館前の平川滋子「光合成の木」)
横浜美術館の「金氏徹平」展もすごかった。
「見たことがあるようでいて、何だかわからないもの」と本人が言う未知のかたちが、ものすごい数と量で私たちを圧倒する。これらの作品は、「子どもの遊びに似た快感と・・・・・・、知的な連想とが同居する・・・・・」心地よい刺激を与えてくれる。
会場を回って気づいたのは床のカーペットが全部はがされていることである。
建築中のようなコンクリートの床がむき出しになったスペースに、ごちゃごちゃになった玩具等の塊が白く塗られて展示されている。
金氏の作品展示のためにわざわざ床のカーペットを剥いだ!(と思うのだけど・・・常設展の床はきれいだったから)
これがなかなか効いていた。こんなところの演出が憎い。
(横浜赤レンガ倉庫前のフラワ-フェスティバル)
31日は現代美術館と近代美術館。
現代美術館はリニューアル後(どこをリニューアルしたのかよくわからなかったけど。レストラン?)の企画で新収蔵作品が無料で観覧できた。
「アーティストファイル2009」にもでていた石川直樹、大竹伸朗、大岩オスカール、名和晃平、それから田中功起など。
それぞれおもしろかったし、ここのライブラリーやミュージアムショップで本を探すのも楽しみの一つ。
近代美術館は「Waiting for Video」展。
ヴィデオは今や伝統的なジャンルになっている。60-70年代のヴィデオを見るとレトロ感があって逆に面白い。
ジョン・バルデッサリ、ブルース・ナウマン、ビル・ヴィオラ、アンディ・ウォーホル、デニス・オッペンハイムといったヴィデオアーティストの大御所の作品を一挙に見られたのは勉強になった。
でも私にはどうしても画面が動くのはしっくりこない。
平面や場での空間性に強く捕らわれる、その志向はどうしようもない。
近代美術館を出てから本当に久しぶりに(たぶん30年くらい)北の丸公園に入った。
サクラがみられるかなと思ったけど、ここのところの寒さでまだ咲ききっていなかった。
だけど、学生の時授業をさぼって絵画専攻の仲間とここをぶらぶらしたことを思い出しながら田安門まで歩いたら、千鳥が淵のあたりのサクラはもう満開だった。
(皇居・千鳥が淵の桜)