ニューヨーク滞在日記(その5)

今回で最後になりますが、「思い出のニューヨーク巡り」の巻です。

私たち一家は1997年9月から1998年8月までの1年間、ニュージャージー州のフォートリーというところに滞在しました。
Seton Hall 大学の客員研究員としての肩書きでの滞在でしたが、実際には大学では個展と講演会をしただけで、大部分はニューヨークの24st. にあったPrint Making Workshopという版画工房に通い制作をしていました。
その研修の様子は[essay]の中で「NEW YORK HANGING AROUND」と題して載せているのでご一読いただけるとありがたいです。
そのエッセイに書いてあるように、マンハッタンの街角という街角を何かに執りつかれたように歩きまわりました。誰も知っている人がいない土地を歩いているとき、私はそれこそ誰にも取りつくろうことのない裸の私と向き合っていて、それは無力で弱く心細いものでしたが、妙にすがすがしい感覚があったのです。
特にローアーマンハッタンのソーホー、グリニッジ・ヴィレッジ、イースト・ヴィレッジなどの懐かしいようなたたずまいが本当に好きで、ただただ何度も歩き回りました。
12年後の再訪を機会にそのような場所をまた歩いてみました。また住んでいたフォートリーも訪ねました。今回は個人的な話題で恐縮ですが、そのレポートです。

まず上に述べたPrint Making Workshopですが、24st. の5th Ave. とブロードウエィの交差したあたりにありました。ちょうどその地点にはフラット・アイアン・ビル(写真①)がありそこからすぐのところです。[19 WEST 24th STREET]と書いてあるビルの9階にあって、窓からはエンパイア・ステート・ビルがよく見えました。渡米してすぐに行ってみましたが、今はなくなっていて入口のドアも開きませんでした。私たちがボブと呼んで慕っていたアメリカ屈指の版画家であり教育者である、オーナーのロバート・ブラックバーン氏が2003年に亡くなって、ここも閉じられていました。

フラット・アイアン・ビル
写真①(フラット・アイアン・ビル)

ニュージャージー州のフォートリーからマンハッタンに出る手段は、まずはエッジウォーターというところにある日本のスーパーマーケットの「ヤオハン」に行き、そこから出ているマンハッタン直行の小型バスに乗ることでした。そのバスは42st. のポートオーソリティ・バスターミナルに着き、そこから地下鉄や歩きでPrint Making Workshopまで行っていました。「ヤオハン」は今では韓国系の企業に買収され、かなり繁盛しているらしいです。今回フォートリーに行くのにそのバスは使えず、ニュージャージートランジットバスを使いました。
ポートオーソリティは巨大なバスターミナルで、その中にジョージ・シーガルの「Departure」という作品(写真②)があり、当時はいつもその脇をすり抜けて通りに出ていました。今回はそれを逆方向にたどり、159番乗り場(写真③)からバスに乗りました。リンカーントンネルでイーストリバーを渡り、マンハッタンを対岸に見て(写真④)、ヒスパニック系の移民の街を抜け、30分ほどで当時子どもたちが通っていた小学校Fort Lee School No.4が見えた時は感激でした(写真⑤)。下の2人の子が通っていた当時と全く変わっていませんでした。
そこでバスを降り歩いて、家周辺に行ってみました(写真⑥)。この辺りもまったく変わった様子はなく、記憶通りの元我が家でした。
歩ける範囲でしばらくぶらぶらしましたが、郵便局やガソリンスタンド、小さなパン屋やクリーニングはそのままあり、大きなスーパーやファーマシーはなくなっていました。

ジョージ・シーガルの彫刻
写真②(ジョージ・シーガルの作品)
バス乗り場
写真③(バス乗り場)


マンハッタンの眺め
写真④(マンハッタン)
小学校
写真⑤(子どもたちが通っていた小学校)


元我が家
写真⑥(元我が家)

滞在中、美術館に行った後に時間があるときには、思いつくままに私が好きだった場所を歩いてみました。
たとえばグリニッジ・ヴィレッジ(写真⑦)から、「ブルーノート」の通りを抜けて、個展をした「Cast Iron Gallery」のあったソーホーのマーサーストリート周辺(写真⑧)。グリニッジ・ヴィレッジはしゃれたブティックが多くなってはいますが、それでも閑静なたたずまいはいいものです。マンハッタンの地元はここという感じです。ソーホーは前に書いたとおり、もう買い物と観光の場所ですね。

グリニッジ・ヴィレッジ
写真⑦(グリニッジ・ヴィレッジ)
マーサーストリート周辺
写真⑧(マーサーストリート周辺)

帰る前日の午後も思い出のマンハッタンを巡りました。
まずはニューヨーク大学の近くワシントン・スクエア・パーク(写真⑨)。そこから少しあがったところにあるアスタープレイス(写真⑩)を右に曲がり、8th.st をトンプキン・スクエア・パーク(写真⑪)まで歩きます。この辺りが私が最も好きだったイースト・ヴィレッジ(写真⑫)で、画材屋やギャラリーに行くついでに、いつもぶらぶらしていたところです。今回のニューヨークは3月末だというのにいつまでも寒かったのですが、さすがに帰る前になって白い花がそこかしこにほころびはじめていました。イースト・ヴィレッジは日本のラーメン屋と寿司屋がやけに多くなって少しがっかりでしたが、トンプキン・スクエア・パークでボケーとしていると、寂しいような満ち足りたような・・・なんとも言い難い気分になりました。

ワシントン・スクエア・パーク
写真⑨(ワシントン・スクエア・パーク)


アスタープレイス
写真⑩(アスタープレイス)
トンプキン・スクエア・パーク
写真⑪(トンプキン・スクエア・パーク)


イースト・ヴィレッジ
写真⑫(イースト・ヴィレッジ)

そこから地下鉄でいつもマーケットが出ていたユニオン・スクエア(写真⑬)に。滞在中どこでもそうでしたが人が多くて大変なにぎわい。これほどまで多くなくていいのに。そこから23st. マディソンスクエア・ガーデン(写真⑭)に徒歩でぶらぶら。旅の最後にまたPrint Making Workshopのあった23st.に帰ってきました。昼によくハンバーガーやベーグルを食べたところです。ここでも何をするでもなくボーとしていると、首をもたげた先には最後になってやっと青い空が高く輝き、春の柔らかい光が降り注いでいました。(写真⑮)。

ユニオン・スクエア
写真⑬(ユニオン・スクエア)
マディソンスクエア・ガーデン
写真⑭(マディソンスクエア・ガーデン)


春の柔らかい光
写真⑮

“ニューヨーク滞在日記(その5)” への2件のフィードバック

  1. Ikue より:

    読んでいるうち、わたしもN.Y.に行った時のことを思い出しました。同じ外国でも、ここは小さな町なので、N.Y.の雰囲気、街を歩く人たちが少し恋しいような気がします。改めて、ここで充実した時間をすごせるようにしたいな・・・と思わせてもらいました。

  2. アライ より:

    遠いところからありがとう。
    私は家族や日本人が周りにいたので気楽なものでしたが、一人での留学はやっぱり大変なことあるだろうなと思います。(友達できた?)
    それでもいろんなことに立ち向かっているのはすごいなぁと思います。
    (もちろん風雨が強いときには雨宿りしてください)
    それなりの覚悟と納得があればどんな時でも-たとえボーッとしている時でも-充実していると思います。
    ぜひがんばってまた1日1日を楽しんでください。

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