2021 個人的墓碑銘

若山 弦蔵(わかやま げんぞう)5月18日没 88歳

日本の声優、ラジオパーソナリティ、ナレーター。
独特な低音の声がものすごく素敵だった。ジェームズ・ボンドを演じるショーン・コネリー、スパイ大作戦のピーター・グレイブス、テリー・サバラス、リー・マーヴィンなどの吹き替え。
○ひょっこりひょうたん島の海賊ガラクータ。それからなんと言っても1968年からのTBSラジオ『パック・イン・ミュージック』。よく聴いた。

エリック・カール(Eric Carle)5月23日没 91歳 アメリカの絵本作家

自分で色をつけた紙を切抜き、貼りつけていくコラージュの手法が特徴。
『はらぺこあおむし』など。
○レオレオニとエリック・カールは美術形式の意味を汲んだ絵本作家として双璧。

ダニ・カラヴァン(Dani Karavan)5月29日没 90歳 イスラエルの彫刻家、環境芸術家

○確か20年ほど前に倉敷の児島寅次郎記念館で個展を見たのが始めて。2017年に奈良「室生山上公園芸術の森」の広大な環境作品を見た事が忘れられない。

ダニ・カラヴァン

B・J・トーマス(B.J.Thomas)5月29日没 78歳 アメリカのポピュラー歌手

1969年映画『明日に向って撃て!』の主題歌「雨にぬれても」(Raindrops Keep Fallin’ on My Head, バート・バカラック作曲)。1970年ビルボード・ホット100チャート1位。
○映画も曲もすばらしかった。

高橋 健二(たかはし けんじ)7月13日没 83歳

1962年-ジャッキー吉川とブルー・コメッツのベーシスト
○中学生の頃よく聴いていたブルー・コメッツの曲-青い渚、青い瞳、北国の恋人、マリアの泉

クリスチャン・ボルタンスキー(仏: Christian Boltanski)7月14日没 76歳

フランスの現代アーティスト。
○最初に見たのは2003年の越後妻有大地の芸術祭の「夏の旅」。すごかった。それから2016年の東京都庭園美術館で「アニミタス-さざめく亡霊たち」、2019年国立国際美術館での大回顧展「 Lifetime」など。彼の作品の一つに彼が今まで生きてきた時間を秒数としてカウントしている赤いネオン管の作品がある。その数字は、彼の死とともに止まる事になっているけど、いくつで・・・。パートナーがアネット・メサジェだったのは始めて知った。でもうなずける。

ボルタンスキー

高橋 三千綱(たかはしみちつな)8月17日没 73歳 作家

1974年 「退屈しのぎ」で第17回群像新人文学賞受賞
1978年 「九月の空」で第79回芥川賞受賞
他、「シスコで語ろう」1971年、「グッドラック」1977年
○どの作品も青春の書として素晴らしかった。

高橋 三千綱

ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)9月6日没 88歳 フランスの俳優

主な主演作品 『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール監督)、『暗くなるまでこの恋を』『ボルサリーノ』
○中学の頃映画好きの友人とよく高崎の映画館に行っていて、そこで見ていた映画によく出ていた。顔に特徴があってすぐに覚えた。アラン・ドロン作品もよく見たけど、顔は対照的なのに、なぜかかっこよかった。

大久保 一久(おおくぼ かずひさ)9月12日没 71歳 ミュージシャン、フォークシンガー

1973年―75年フォークグループ「猫」1975年―79年伊勢正三とのフォークデュオ「風」
主な楽曲 「あの歌はもう歌わないのですか」「海岸通り」「22歳の別れ」
○喜多條 忠もそうだけど、ちょうど大学生の頃。よく聴いた。

白土 三平(しらと さんぺい)10月8日没 89歳 漫画家

『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』他
「忍者武芸帳」や「サスケ」は貸本屋の単行本で読んだ。連載で読んでいたのは少年マガジンの「ワタリ」と少年サンデーの「カムイ外伝」で、毎週発売日が待ち遠しかった。1967年頃。切れ味鋭いタッチで描かれた白土の絵は宝石のように輝いていて、毎日のようにまねをして描いていた。また1964年にテレビで白土原作の「少年忍者 風のフジ丸」が始まったときのウキウキ感はいまだに忘れられない。

瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう)11月9日没 小説家、天台宗の尼僧。俗名:晴美(はるみ)。

○その波瀾万丈の生き方や尼僧としてのありがたい言葉が話題だが、私にとっては小説家としての瀬戸内がいればそれでいい。
「ここ過ぎて」や「かの子繚乱」など一連の史実もの。取材に基づきながらそこに込めた物語性が鮮やかで、700ページくらいあっても読み切るのが惜しくなるほど面白い。「求愛」や「わかれ」などの短編類は妖艶。言葉の密度が半端なく、深く官能的なイメージの世界に誘われる。近年の「死に支度」「命」などは軽妙ながらも、小説としての構造と内実を失っていない。決して軽い読み物などではない。根っからの小説家。

瀬戸内 寂聴

喜多條 忠(きたじょう まこと)11月22日没 74歳 作詞家

主なヒット曲  かぐや姫「神田川」「赤ちょうちん」「妹」
○かぐや姫の作詞家として有名だが、私の好きなのは、アグネス・チャン(後に柏原よしえ)「ハロー・グッドバイ」、梓みちよ「メランコリー」、キャンディーズ「アン・ドゥ・トロワ」、中村雅俊「いつか街で会ったなら」、吉田拓郎「風の街」

新井 満(あらい まん)12月3日没 75歳 著作家、作詞作曲家、歌手

歌手として 1977年(昭和52年)『ワインカラーのときめき』
作家として1987年(昭和62年)、『ヴェクサシオン』第9回野間文芸新人賞受賞。
1988年(昭和63年)『尋ね人の時間』で第99回芥川賞受賞。
作詞作曲家として『千の風になって』を作曲。
○当時、強い主張をしない環境音楽風の小説として注目した。

マイク・ネスミス(Mike Nesmith)12月10日没 78歳

アメリカ合衆国のミュージシャン。ザ・モンキーズのメンバー、ギターとヴォーカルを担当。
他のメンバーでは、デイビー・ジョーンズ:(Davy Jones)は2012年2月、ピーター・トーク (Peter Tork)は2019年2月に亡くなっている。
主なヒット曲 1966年『恋の終列車』1967年『アイム・ア・ビリーバー』
○1968年最初に買った洋楽レコードが「D・W・ウォッシュバーン」だった。(「すてきなヴァレリ」だったかもしれない。)『ザ・モンキーズ・ショー』は音楽バラエティ+シットコムとして最高に面白かった。

ヨーロッパ2大芸術祭見学ツアーレポート(8/31-9/14)②

2019.9.6

カッセルから電車でミュンヘンまで南下しました。そして今日はそこから日帰りでザルツブルクに行って来ました。
朝、駅で往復切符を買う。海外旅行者用の割引チケットにすれば、超超安いです!往復で12ユーロくらい。

高校生の頃、勉強もソコソコに、夜な夜なクラシック音楽を聞いていました。ごく一般的な愛好家の域を出ていないので、有名な作曲家の曲しか知りませんが、一番好きな作曲家は何と言ってもモーツァルトでした。
軽妙で屈託がなく、計画や熟慮というような痕跡なく、まるで天から降りて来たように調べが溢れるモーツアルトの音楽。モーツァルトは音楽を作るのではなく音楽と一体化している。それが作る側も聞く側も至福の時をもたらすと思っています。

ザルツブルクと言えばモーツァルト。そのモーツァルトの生家と育った家に行けた格別な旅でした。
(旧市街、大聖堂前でシュテファン・バルケンホール、ザルツブルク市立美術館でウィリアム・ケントリッジに遭遇)

ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク
ザルツブルク

ビートポップス  2016.7

風景

2016年7月12日 大橋巨泉 逝去 享年82歳

中学生のころは結構体育系で、弱小ながらもテニス部の部活に熱中していた。しかし土曜日の午後だけは部活が終わるのが待ち遠しく、終わると着替えもそこそこに家に帰った。「ビートポップス」があったからだ。「ビートポップス」はテレビで初めての洋楽のランキング番組で、「ビルボード」や「キャッシュボックス」の情報をもとに毎週アメリカンポップスのトップ20を紹介していた。

司会は大橋巨泉。音楽評論家の木崎義二や、今ではよぼよぼのじいさんにしか見えない、振付師の藤村俊二などが出ていた。大橋巨泉はあのころから昭和のおやじギャグを連発していた。今でも覚えているのが「牛も知ってるカウシルズ、ウッシッシ」。カウシルズの「雨に消えた初恋」はすごいヒットだった(https://www.youtube.com/watch?v=SxuAKVNtxNQ)。

あのころ聞いた曲は今も忘れない。ビートルズやローリングストーンズ、モンキーズはもちろんのこと、ホリーズ(「バス ストップ」)、ゾンビーズ(「二人のシーズン」)、オーティス・レディング(「Dock of The Bay」)、メリー・ホプキン(「悲しき天使」)、ナンシー・シナトラ(「シュガー・タウンは恋の町」)、スコット・マッケンジー(「花のサンフランシスコ」)、ドアーズ(「タッチ・ミー」)、アニマルズ(「朝日のあたる家」)ウォーカー・ブラザース(「太陽はもう輝かない」)などなど。

それらの曲と時々流れるミュージックビデオは、同時期に見ていた「ルーシーショー」や「奥様は魔女」などとともに、見たことのない遠い国への憧れを募らせるに十分だった。

フロアーでは流れる曲に合わせてミニスカートの子が思い思いに踊っていた。ツィッギーがミニスカートはいて来日してすぐのことだ。みんなかわいかったけど、特に杉本エマと小山ルミが人気だった。私は断然小山ルミ派。

ある時、外国から来たアーティストにアナウンサーがインタビューしたことがあった。「What is you do …」的な変な英語をしゃべったアナウンサーに向かって大橋巨泉が「ばかだなお前、一つの文章に動詞は1つなんだよ。」と言ったのを聞いて、目の前から霧が晴れるような気がした。それは今思えば、構造が文章を作り意味を紡ぎだすものだということを初めて知った時だった。

大橋巨泉のその後の活躍の軌跡は多くの追悼番組でやっていた通りだ。『11PM』『クイズダービー』、セミリタイヤから海外での事業、参院選と辞職、癌との闘病生活など。多面的な人だったから人によって取り方が違うだろう。中にはふざけた奴だ的に見る向きもあるかもしれないが、巨泉のジョークや自分本位とも思える行いは、体制や権威に対する意思表示として一貫していたと思う。自由と自立を目指す生き方をパフォーマンスで示し、何よりも表現と言論の自由を最期まで訴えていた大橋巨泉の遺言を自分なりに受け継ぎたいと思う。

 
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