【柴田鑑三展 Hello-G◎Dbye —その時は忘れた頃にやってくる—】2011.10.29
手錢邸・神門の家/北のハウス

手錢邸
手錢邸庭園と手錢記念館

10月29日(土)、学生を連れて、出雲市にある手錢邸に「柴田鑑三展 Hello-G◎Dbye –その時は忘れた頃にやってくる–」を見に行ってきました。
手錢邸はそのすぐ隣にある手錢記念館の所有者、手錢家のお屋敷(だと思います)。手錢記念館は江戸時代に建てられた米蔵と酒蔵を改装した美術館で、主に島根県出雲地方の美術や伝統工芸などを展示しています。
今回の柴田鑑三展は江戸時代に建てられた手錢邸と、大正時代の建築で出雲大社の神門通りにある「神門の家/北のハウス」の2か所での現代美術の展示でした。
この地域でしかも伝統工芸を扱っている美術館主催の現代美術の展示はとても珍しく、とても興味を持って楽しみにして行きました。この企画は美術、文化、伝統について再考することを目的に「つづくこと・なくなること・くりかえされること」とタイトルされて、2008年から続いているそうです。
柴田は1981年生、東京芸大の彫刻科出身のアーティストで、今回の手錢邸の作品は写真①、②のようなものです。

柴田鑑三作「私のうつわ」
(写真①)私のうつわ-虹の人-(クリックで拡大します)


柴田鑑三作「うつわのうつわ」
(写真②)うつわのうつわ-抹茶茶碗-(クリックで拡大します)

どちらも市販の色紙を細く丸め、それを積み上げたもの。それぞれのタイトルが示すように「私」と「茶器」の外形に沿って丸めた色紙を重ねて貼ってできた形です。いわば実体の形から色紙の長さだけはみ出たぬけ殻、あるいはその分だけ虚となった形。色の部分を内側にして丸めているので、透けて見える色によって素材感が変わって見え面白い。
「うつわのうつわ」はカチッとした感じでの実体のネガとして強固な感じを受けるが、「私のうつわ」は、足の部分は足の様相を保っているが、上部に上がるに従って得も言われぬ奇怪な形に変貌している。これは自分の足の部分から丸めた色紙を付け始め、だんだん上に重ねていくときに、丸めた色紙の厚みの違いなどで次第に角度が変わっていきこのような形が出現したらしい。印象としては光によってゆがめられた影の怖さに似ていると思いました。
色紙という卑近で軽い素材を用い、しかも虚像として提示しているにもかかわらず、それが彫刻的な量感を示しているところが私にとって意外であり、作者の彫刻的資質なのかと思いました。
ここでは作家のギャラリートークに参加し、作家の気取らない人柄とともにフレンドリーなトークを楽しみました。
次に出雲大社の神門通りに移動して「神門の家/北のハウス」でインスタレーション「山寄りの谷、谷寄りの山」を見ました。(写真③、④)

柴田鑑三作「山寄りの谷、谷寄りの山」
(写真③)「山寄りの谷、谷寄りの山」
「山寄りの谷、谷寄りの山」部分
(写真④)「山寄りの谷、谷寄りの山」部分

先ほどの「うつわ」シリーズが最新作で、これは2007年の作。
これも写真では分かりづらいですが、10cmくらいの厚さの断熱建材(スタイロホームですね)を電熱線で細かく切りそれを前後に押し出して凸凹をつけたもの。家の入口付近の障子の桟の部分にそれを並べて吊るしてあります。
電熱線で切り取る形がものすごく細かい。森林の風景のようでもあるし、雪の結晶、顕微鏡で見た微生物などにも見えます。切った部分が電熱線の幅だけあき、部屋の内側から見るとそこからうっすらと光がさし込み何とも言えない幻想的な風景が現れます。どうしてだか分りませんが、その等高線のような凸凹のついた表面が粉雪のような感触があり、断熱建材の安っぽさとは完全に別物になっていました。(それが「うつわ」との違いで、色紙は別のものに変容しているようで、その安っぽさはまだこびりついていたと思います。)
これが既視感のあるおとぎ話しのような美しさで終わらず、鑑賞者の脳髄の愉悦を導く世界として広がっているところが作品として素晴らしいと思いました。

2つの会場の作品はかなり違うのですが、チープな素材を加工しある種の量感を創り上げるところは通底しているのかなと。私の個人的趣味としては「山寄りの谷、谷寄りの山」の抒情性が好きですが、自分の過去に引きずられずに自分の可能性を求め、しかも良い作品を作ろうとする純粋な魂だけで制作に向かっている姿は若者らしくすがすがしいものでした。
これからの展開も期待しましょう。
(柴田鑑三展は11月13日まで)


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