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2021年7月14日9:36
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個展 , 展覧会 , 彫刻 , 現代美術 , 芸術
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10月18日、秋晴れの日に岡山県津山市で開催中の安藤榮作展「天の所有物」を見に行ってきました。会場は古民家を改装したギャラリーNishiIma25と元米倉だった倉庫で、その2会場に30数点の作品が展示されています。
数も多く内容も多彩な展覧会で、安藤さんの代表作である大作の「鳳凰」、「天と地の和解」、「光のさなぎ」、「2千体の人型」の他に、いくつかのシリーズ-「ゴロッとした塊」シリーズ(私が勝手に呼んでいるだけです)。ただそこにあるだけで存在の価値を持つ、抽象という理解が始まる前からあるような彫刻。その逆の「空気の狭間」シリーズ-外界の空気の圧によってできあがった板状の存在(これは安藤さん自身がそう呼んでいます)。こどもの造形のような動物シリーズ、直角に曲がる人型シリーズなどが築200年の旧家にインスタレーション展示されています。
荘厳さとユーモアが同居し、抽象と具象などといった境を軽々と飛び越え、思いもよらぬところから生み出される自由自在さが安藤彫刻の魅力の一つだろう。この自由さは安藤さんの人間や宇宙に対する理解の深さによるものであろうが、それとともに彫刻に対する理解でもあると思う。
安藤さんの作品は斧1本だけで削る、ある意味単調な制作によって作られる木彫ですが、できた作品はものすごく豊かで人間の根源的存在性を感じさせます。それは彫刻という伝統的で厳密な形式の価値ややっかいさの諸々を深く受け止めて初めて、この自由で柔軟な表現ができるのだと思う。
彫刻であるべき必然性、つまり彫刻の芸術的可能性に対する深い洞察と理解なくしては出現し得ない作品だと感じました。
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2012年9月17日18:24
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ワークショップ , 個展 , 展覧会 , 島根大学 , 彫刻 , 教育 , 現代美術 , 美術館
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○美術館ワークショップ「わらで手作りウォールポケット」(8月11日〜14日)
8月7日にやっと前期が終わり、「夏休み突入コンパ」で盛り上がったと思ったら、3年生は8月11日より美術館ワークショップ。
今年は展覧会中の「民芸」展に合わせて「わらで手作りウォールポケット」(写真①)。わらと布を手作りの簡易な織器で織っていきウォールポケットを作ります。
私も作ってみましたがかなり行程が複雑で難しい。
3年生は皆で協力しとてもスムーズに制作手順を進めていました。チームワークもいいし、準備や説明の要領もとてもよく充実したワークショップでした。(写真②③)
ただ、ワークショップでは一般の方に時間内に完成作品を作らせるという目的のため、どうしても作り方講座になってしまう。美術で一番大切な創作活動部分に時間が取れないのが残念。9月からの教育実習ではワークショップと違い、創作活動をどうさせるかにポイントをおいて題材設定をして欲しいものです。
写真①
写真②
写真③
○林妙香ついに結婚!(8月25日)
平成16年度卒の絵画ゼミ生、林妙香がついに結婚して山本妙香になりました!
山本は介護・学童施設で働きながら、休みを利用して取得した臨床美術師の資格を生かして、職場で活用しながらがんばっています。旦那様も同業者だそうです。
在学中、学生研究室の椅子に胡坐をかき、カップラーメンとビールでお昼にしていた妙香が・・・・結婚できてホント良かったです。
同級生がたくさんお祝いに駆けつけて祝福しました(写真④⑤)
末長くお幸せに!
写真④
写真⑤
○石上先生、松江で個展(9月3日〜9月28日)
もと同僚、4年前まで島根大学の彫刻の先生だった石上城行先生が松江市のスペーストカトカ (YCスタジオ内)で個展を行いました。
今まで作ってきた習作の小品(マケット)を50個ほど配置するインスタレーション(写真⑥)や、アイデアを練る時のドローイング(写真⑦)などが置いてあり、小さなスペースにふさわしい興味深い展示になっていました。
写真⑥
写真⑦
以下は石上先生の、この展覧会に寄せたメッセージです。
「心のおもむくままに線を走らせ、自身の記憶を反芻するように描くドローイング。私は作品と向き合う前に、必ずこの儀式のような一時を過ごします。そのとき芽吹いたイメージを手掛かりに一握りの土を手に取って、練って、捻って、作品「記憶の容(かたち)」を結実させるのです。
今回、歴史と文化のまち松江を120年にわたり見つめてきた蔵が「ギャラリースペース」として復活していることを知りました。古い街並みの奥にひっそりとたたずむその場所で、小さな展覧会を開きます。内容は、小品「記憶の容」シリーズと「ドローイング」、そしてアトリエの空気を併せて展示する予定です。
記憶の憑代として現われる様々な断片の展示を通じて、私の創造の瞬間をお届けしたいと考えています。」
まだ会期中です。興味ある方はぜひご覧ください。
○教育実習始まる(8月28日〜9月26日)
3年生の教育実習Ⅳが附属中学校で行われています。
8人の学生が4人ずつ2年生と3年生の担当になって授業題材を考え、1か月間の実習に取り組んでいます(写真⑧⑨)。
2年生は「作って使おう!オリジナルスプーン」。桂の木の破材を利用して、その原形をもとにそれぞれ形や用途のユニークなスプーンを作ります。
使えてユニークな形のスプーンをアイデアするのが楽しい上に、削って磨いて形にしていく工程も楽しい題材になりました。
3年生は「銅版レリーフで自分のロゴマークをつくろう!」。自分の名前や部活などから自分を表わすロゴマークを考え、それを薄い銅板にボールペンの先等でボリュームをつけることで表わす制作です。(写真⑩)
こちらも自分のロゴマークというアイデアの面白さ、平らなものにボリュームをつけることで形としてあらわす制作の仕方など美術的要素と楽しさ満載の題材です。
美術館ワークショップでは創作部分が不足しがちだと書きましたが、この教育実習では美術的題材がとてもよくできていて、また皆、板書や説明なども落ち着いてきちんとできていて、収穫の多い実習になりそうです。
写真⑧
写真⑨
写真⑩
○奈義町現代美術館見学(9月16日)
ゼミ生、2年生、卒業生など5名と一緒に奈義町現代美術館に行って来ました。(写真⑪)
写真⑪
奈義町現代美術館は、平成6年の開館以来ずっと行ってみたいと思っていて、それがやっと今回実現しました。
ご存知のようにこの美術館は3つの大規模な常設作品だけでできています。
それから今回は企画展として「中島麦」展、それから「旅するアート」展という、「おかやま県民文化祭地域フェスティバル」関連のインスタレーション数点の展示がありました。
まずは常設作品。
宮脇愛子の「うつろひ」。この作品は群馬近代美術館等色々なところにありますが、ここでは水面と石の上に設置されていて、建物(磯崎新)との関係で陰影が印象的でした。(写真⑫)
荒川修作+マドリン・ギンズの「偏在の場・奈義の竜安寺・建築する身体」。(写真⑬)立つ場が膨らんでいたり円形にへこんでいたり、非常に不安定なので、重力を色々な方向から感じる。身体に訴えかけられる作品でした。
それから岡崎和郎の「HISASHI−補遺するもの」(写真⑭)
中島麦(なかじまむぎ)は旅や日常の記録や記憶をモチーフとする絵画作品作家。日常の中、あるいは旅の中で通り過ぎたりどこかで見たり、そんな印象を明るくさわやかな色彩で描いています。確かに通り過ぎる記憶が曖昧な生と人間を作っているのだなと思うし、それを鋭く捉えている中島は力があるなと感じました。
それから「旅するアート」展のいくつかのインスタレーション作品が館内外で展示されていました。(写真⑮⑯)
久しぶりに現代美術を堪能した一日でした。
写真⑫
写真⑬
写真⑭
写真⑮
写真⑯
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2011年11月3日17:30
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個展 , 展覧会 , 彫刻 , 現代美術
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手錢邸庭園と手錢記念館
10月29日(土)、学生を連れて、出雲市にある手錢邸に「柴田鑑三展 Hello-G◎Dbye –その時は忘れた頃にやってくる–」を見に行ってきました。
手錢邸はそのすぐ隣にある手錢記念館の所有者、手錢家のお屋敷(だと思います)。手錢記念館は江戸時代に建てられた米蔵と酒蔵を改装した美術館で、主に島根県出雲地方の美術や伝統工芸などを展示しています。
今回の柴田鑑三展は江戸時代に建てられた手錢邸と、大正時代の建築で出雲大社の神門通りにある「神門の家/北のハウス」の2か所での現代美術の展示でした。
この地域でしかも伝統工芸を扱っている美術館主催の現代美術の展示はとても珍しく、とても興味を持って楽しみにして行きました。この企画は美術、文化、伝統について再考することを目的に「つづくこと・なくなること・くりかえされること」とタイトルされて、2008年から続いているそうです。
柴田は1981年生、東京芸大の彫刻科出身のアーティストで、今回の手錢邸の作品は写真①、②のようなものです。
(写真①)私のうつわ-虹の人-(クリックで拡大します)
(写真②)うつわのうつわ-抹茶茶碗-(クリックで拡大します)
どちらも市販の色紙を細く丸め、それを積み上げたもの。それぞれのタイトルが示すように「私」と「茶器」の外形に沿って丸めた色紙を重ねて貼ってできた形です。いわば実体の形から色紙の長さだけはみ出たぬけ殻、あるいはその分だけ虚となった形。色の部分を内側にして丸めているので、透けて見える色によって素材感が変わって見え面白い。
「うつわのうつわ」はカチッとした感じでの実体のネガとして強固な感じを受けるが、「私のうつわ」は、足の部分は足の様相を保っているが、上部に上がるに従って得も言われぬ奇怪な形に変貌している。これは自分の足の部分から丸めた色紙を付け始め、だんだん上に重ねていくときに、丸めた色紙の厚みの違いなどで次第に角度が変わっていきこのような形が出現したらしい。印象としては光によってゆがめられた影の怖さに似ていると思いました。
色紙という卑近で軽い素材を用い、しかも虚像として提示しているにもかかわらず、それが彫刻的な量感を示しているところが私にとって意外であり、作者の彫刻的資質なのかと思いました。
ここでは作家のギャラリートークに参加し、作家の気取らない人柄とともにフレンドリーなトークを楽しみました。
次に出雲大社の神門通りに移動して「神門の家/北のハウス」でインスタレーション「山寄りの谷、谷寄りの山」を見ました。(写真③、④)
(写真③)「山寄りの谷、谷寄りの山」
(写真④)「山寄りの谷、谷寄りの山」部分
先ほどの「うつわ」シリーズが最新作で、これは2007年の作。
これも写真では分かりづらいですが、10cmくらいの厚さの断熱建材(スタイロホームですね)を電熱線で細かく切りそれを前後に押し出して凸凹をつけたもの。家の入口付近の障子の桟の部分にそれを並べて吊るしてあります。
電熱線で切り取る形がものすごく細かい。森林の風景のようでもあるし、雪の結晶、顕微鏡で見た微生物などにも見えます。切った部分が電熱線の幅だけあき、部屋の内側から見るとそこからうっすらと光がさし込み何とも言えない幻想的な風景が現れます。どうしてだか分りませんが、その等高線のような凸凹のついた表面が粉雪のような感触があり、断熱建材の安っぽさとは完全に別物になっていました。(それが「うつわ」との違いで、色紙は別のものに変容しているようで、その安っぽさはまだこびりついていたと思います。)
これが既視感のあるおとぎ話しのような美しさで終わらず、鑑賞者の脳髄の愉悦を導く世界として広がっているところが作品として素晴らしいと思いました。
2つの会場の作品はかなり違うのですが、チープな素材を加工しある種の量感を創り上げるところは通底しているのかなと。私の個人的趣味としては「山寄りの谷、谷寄りの山」の抒情性が好きですが、自分の過去に引きずられずに自分の可能性を求め、しかも良い作品を作ろうとする純粋な魂だけで制作に向かっている姿は若者らしくすがすがしいものでした。
これからの展開も期待しましょう。
(柴田鑑三展は11月13日まで)