美術館&ギャラリー巡り 2010.11.12-11.15(その1)
(横浜・山下公園通りのイチョウ並木)
泉太郎はすごい!
2010CAF.N展開催中([EXHIBITION]欄に掲載)の11月12日から15日まで東京に行ってました。
いつものようにいくつかの美術館とギャラリーを回りましたので、できるだけ紹介したいと思いますが、まずは横浜県民ホールギャラリーの泉太郎展「−こねる−」。
もぉーすごかったです!
なんともすごくて、面白い。何がこんなにすごいのかずっと考えているのですが、よくわからない。ともかくこんなの見たことない、というかなんだろう、このふわふわーもやもやーな感じ。どの作品もみんなナンセンスでものすごくばかばかしいのだけど、大笑いした後なんともほぉーと力の抜けた感じの「幸せ感」がずぅーと続くのです。
こう言っても全然わからないので、会場で撮った写真とともにまずは説明してみます。入口に「どんどん写真を撮ってブログ等で紹介してください」というようなことが書いてあったのでこちらとしては紹介しないわけにはいかないです。
まずは巨大な会場空間を使った巨大スゴロク「靴底の耕作」(メインタイトルの「こねる」をはじめ彼の作品タイトルはあまり気にすることないと思います。「あっそぉ」って感じで受け流すといいです。)。(写真①②)
写真①巨大スゴロク「靴底の耕作」
写真②同左
これは手作りの実物大スゴロクです。黒く塗った角材を並べてスゴロクの道や「目」を作って行き、その中をクマのぬいぐるみを着た泉本人がプレイします。1〜6の数字が書かれた丸いサイコロを回してはその数だけ進む。止まった「目」に書かれている「ヌグ」「ナゲル」だとか「ヌルヌル」「アオ」だとかの文字にしたがって、ぬいぐるみの手を脱いで投げたり、青いペンキをかぶったりしながら進んでいき、最後にはグチャグチャ、メロメロになったクマが出来上がります。
この作品、実際にその場でパフォーマンスを行ない、それを上から映像に取り、それをまた同じ場所で映像として流しています。そして実際に使った角材やバケツなどもそのまま置かれています。設定としての場で、その場での行動の痕跡としての映像と、その場にあった「なれの果て」としての実物が同時に置かれていて、私たちはその3つを同時に見ることになります。
他の作品もそのような提示をしていて、これがどうやら泉の仕掛けなのだなとは思ったのですが、これがどういう作用を及ぼすのかはわかりません。
映像は繰り返し流されているので、その際限のない「過去」と、モノ(ガラクタ)は置きっぱなしになっているので、その結果としての「現在」が同居していて、その時間や空間のズレが何とも不思議は「場」を作っていることは事実です。
巨大スゴロクを作っていく過程が20場面くらいの映像で繰り返され、それぞれの場所でそれぞれの「クマ」が「約束」に従っていろいろなことをしている(だいたいはヒドイ目にあう、そして他の作品もそうですがだいたい汚くなる)。それをずぅーと見ているうちにあちこちに注意が行き、次々と新しい興味が生まれて飽きることがない。そのなんとも雑然としたモヤモヤが私をどこか別の場所に連れて行ってくれたのだろうか?
ホントにわからないのですが、「こんなことしてホントバカだねぇ」とか思いながら、この人は聖書にある「右の頬を打たれたら左の頬を」的な感じで(というのはかなり大げさだけど)自分がペンキまみれ、ゴミまみれになりながら私たちを救っているのではないかとさえ思えてくる。そのくらい気持がホォーっと楽になります。
少なくともこの徹底的な無意味の行為は無私の精神に結びついてはいるのだろうと思う。
他の作品も紹介します。
モニターの前に水の入ったビンが置かれている「フィンランド」(???)(写真③)。
モニターに映る風景の中を泉本人が歩いて横切ります。水の入ったビンの位置あたりにくると突然泳ぐような(水を掻き分けるような)動作をし、ビンから出るあたりの位置に来るとまた普通に歩く・・・・・。
まさに「・・・・・・ホントにもぉー」といった感じ。このふざけたパフォーマンスがモニター上のいろいろな場所で繰り返されます。
もう一つ。
本人が毎日会場に来てやっているパフォーマンス「生き埋め」(???)
一人ずつ部屋に入って体験できます。
行ったときにちょうどやっていたのでチャンスと思って並びました。
部屋に入ると本人はどこにも見当たらず、ただいろいろな柄のカーペットが敷きつめらているだけです。その部屋の斜め向こうの側の壁にモニターがかかっています。(写真④)
そこには人が(これが多分泉本人)後ろ向きになっていて電子ピアノのようなものが置いてあります。(写真⑤)
どうしていいかわからず、まずはそのモニターをよく見ようとカーペットの上を進むとどこからか音がします。
最初はわからなかったのですが、歩いているうちにその音は私が足をカーペットに着けるときに鳴ることがわかってきました。そして、なんと!よく聞くと柄の違うカーペットを踏むごとにその音色が変わるのです!
写真④パフォーマンス「生き埋め」
写真⑤同左上
実はこの部屋は何台ものカメラで映されていて、それを別の部屋で泉がモニターで見ながら私の足の動きに合わせて電子ピアノで音を出していたのでした。
それがわかった時、私は面白くなって部屋を斜めに横切ったり、ちょっとずついろいろなカーペットを踏んでみたり、踏む真似をしてみたり、遊んでしまいました。
すごいことに泉は見事に私の足についてくるのです。カーペットごとに音を変えて。
うーん、結構難しいと思うのだけど(カーペットの数が半端なく多い)、練習したのかな?
ともかく楽しんでしまいました。そして部屋を出るとき、「私の足に音を付けてくれてありがとー」という気持ちで最敬礼してきました。
今回結構多くの美術館とギャラリーを回ったのですが、最後のこの展覧会ですべてぶっ飛んでしまいました。
映像とパフォーマンスとインスタレーションという材料を使い、笑いを誘う作品を制作している作家として、私は田中功起と小金沢健人を思い出します。(写真⑥−小金沢健人、画面の端で折れ曲がる飛行機雲の映像作品−「あれとこれのあいだ」展、神奈川県民ホールギャラリー、2009.11)
写真⑥小金沢健人:画面の端で折れ曲がる飛行機雲の映像作品
この3人のアーティストは無意味な行為によって笑いを誘い、その中にそれぞれ日常に潜む人間の在り処をさりげなく示す。そこには無条件の人間肯定(「そうであってもいいんだよ」と言っている感じ)、根底としての諦観(「わからなければそれでもいいや」と言っている感じ)があるように思えます。
もちろん3人を一緒くたにするのは本人たちに悪いですが、そうでなくてはこの「身も心もほぐされ」感は出てこないでしょう。
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