森アーツセンター「バスキア」展 2019.9.21(土)~ 11.17(日)新着

現代美術の文脈からは外されがちなバスキアだけど、そんなこととは関係なく昔から好きだったなぁ。バスキアの絵は何かホッとするというか、生身の人間そのもののような親近感がある。今回の展覧会は点数も多く、結構見ごたえがあった。
そういえば、ジュリアン・シュナーベルの「バスキア」(1996)もよかった。デヴィッド・ボウイがウォーホルをやっている。ジョン・ケイルの「ハレルヤ」にもしびれた。

バスキア
バスキア
バスキア
バスキア

「塩田千春展:魂がふるえる」 森美術館 2019.6.20(木)~ 10.27(日)新着

塩田千春は今まで結構見ているし、今更どうなのかなぁと思いながら友人に誘われるまま見たけどやっぱ、すごかったです。
作品がすごいのは前から知っていたけど、今回は彼女の生身のセンシビリティに触れた気がしました。
塩田の関心は精神(魂)と肉体(身体)、内面と外界の乖離と融合にあるように感じた。その感受性が鋭すぎて、作品としてなんとかしないと自分が崩れてしまう、そんな切羽詰まった怖さまで感じさせます。だから内や外、またその境界となる血液、骨や皮膚、糸、土や窓などをモティーフとして、それを自分の身体を通してどうにか外(他)と繋ぎ合わせられないかと苦闘することが作品になっていると解釈しました。特にドイツ留学中のアブラモビッチやレベッカ・ホーンに師事して模索していた頃のパフォーマンスは、その希求が真っすぐで、無防備で文字通り体当たりで痛々しいほどです。
今まで完璧に出来上がったインスタレーションしか見てなくて、やっぱ天才だなぁとか思うだけだったけど、涙ぐましい格闘の軌跡を見た後の今回の結論としては(すごく当たり前で陳腐な表現になってしまうけど)、天才的な作品とは、身を切る痛みの果てにしか実現できないものだということでした。

塩田千春展
塩田千春展
塩田千春展
塩田千春展
塩田千春展
塩田千春展
塩田千春展
塩田千春展

六本木クロッシング2019展:つないでみる
2019.2.9(土)~ 5.26(日)(森美術館)

いつもながら、出張ついでの美術館巡り。
今週は面白い展覧会がいくつもあり、限られた時間でどれを見るか迷ったのですが、結局「六本木クロッシング」に。
この手の実験的な大規模現代美術展は、私の場合だいたい半分くらいは「うむ?」と首を傾げ、そのうちのいくつかは全く分からない、ということが多いのですが、今回の六本木クロッシングはどの作品も、表現すべき対象とその美術的アプローチや手法が確かで、その内実が素直に入ってきて、見ていてこちらも充実した時間が過ごせました。
今回の六本木クロッシングは、「現代社会が、政治や経済の問題、宗教や世界観の違い、突然の災害などで様々な悲劇に満ちている」ことを共通の認識として、それら様々な「分断」の悲劇に美術的手法を用いて立ち向かっている作品(25組、60点)が集められたということです。
また今回、その「現代の困難を乗り越える最も確かな方法として、『つながり』」をテーマにしています。美術に限らず「つながり」は意味を生成する根本的なものだと思いますが、今回の展示では「テクノロジー」「社会観察」「異質なもの」による「つながり」を、美術的な方法によって表現したものになっています。
いっぱい作品がありましたが、その中で私の好きな2点を紹介します。
まずは、佐藤雅春の《Calling(ドイツ編、日本編)》。映像作品で、どれも人がいない場面がいくつか出てきます。例えば誰もいないドイツの朝の食卓、放課後の職員室、住宅地を走る電車、桜の舞い散る公園など。そこにそれぞれ携帯電話、iPad、公衆電話などが置かれており、それらがしばらく鳴り続けて止みます。それだけですが、呼んでも届かない思いは抑圧の塊のようにも思え、それが寂しく、悲しく響いてきます。
続いて、万代洋輔の《蓋の穴》。万代の一連の創作活動の結果を記録した写真の作品ですが、その活動とは、夜中に車で不法投棄の現場に行き、落ちている廃棄物を集めて、別の場所で組み立てて、明るくなったら撮影するという、彼自身によって決められた手順にそって制作するものです。なんとも無駄で無意味な行為ですが、それをやらざるを得ない人間の習性というか、儀式のような神聖さを感じました。
他の作品もみな中身が濃かったです。

飯川雄大
飯川雄大
土井樹+小川浩平+池上高志+石黒博×ジュスティーヌ・エマール
土井樹+小川浩平+池上高志+石黒博×ジュスティーヌ・エマール
青野文昭
青野文昭
林千歩
林千歩
目
アンリアレイジ
アンリアレイジ
竹川宣彰
竹川宣彰
佐藤雅晴
佐藤雅晴
佐藤雅晴
佐藤雅晴
万代洋輔
万代洋輔
万代洋輔
万代洋輔
杉戸洋
杉戸洋
ヒスロム
ヒスロム
米谷健+ジュリア(MAMコレクション)
米谷健+ジュリア(MAMコレクション)

東京美術館・ギャラリー巡り(2018.11.9-11.12)

先週から今週初めにかけて見た展覧会から。

■「カタストロフと美術の力」(森美術館)

大惨事をテーマにした作品と相対しても、なかなか素直に受け止められない感じもある。自分は大した災害にも会ってなく、のほほんと毎日生きているという後ろめたさもあるし、美術家としてお前はどうするのかとかも突き付けられて、ずっと戸惑いながら会場を歩くことになる。惨劇の認識と美術作品としての成立はすぐに結びつく訳ではないけど、本展は加藤翼の、被災した灯台を模した建造物を引っ張り起こすプロジェクトや、宮島達男のLEDライトによる鎮魂プロジェクトなど、素直に被災者に気持ちを寄り添うことが出来るものが多かった。特に、オノ・ヨーコの青と白のチョークで自分の思いを書く作品は、無宗教の私が祈りの気持ちになった。

「カタストロフと美術の力」出品作
「カタストロフと美術の力」出品作
「カタストロフと美術の力」出品作
「カタストロフと美術の力」出品作
「カタストロフと美術の力」出品作

■「潜像の語り手」さわひらき(KAAT神奈川芸術劇場)

洗面台の中の海で泳ぐ本物の馬のような木馬とか、砂漠のようなカーペットのずっと遠くで歩くラクダだとか。幻視というか白昼夢というか。一人部屋で午睡から覚めた時のなんとも満ち足りたような懐かしいような寂しいような気持ちにさせられる映像作品。さわの映像からはいつも、自分自身の極私的な時間や空間が深く濃密に思い返される。孤独だけど何とも甘い。

さわひらき作品
さわひらき作品
さわひらき作品

■「僕らはもっと繊細だった」Lee Kit リー・キット(原美術館)

これも映像作品。映像と言ってもほとんど光だけくらいの些細さ。遮光幕に映った木漏れ日の光だけみたいな。そこにちょっとだけセリフのような言葉が入る。その淡くてミニマルな雰囲気から、その場にいる私の感情が自発的に生み出されるのを誘う作品?

リー・キット作品
リー・キット作品

■「樹々あそぶ庭々」浅見貴子+川口市立芝樋ノ爪小学校5年生29人(川口市立アートギャラリー・アトリア)

墨を使って樹々を描く画家の浅見貴子の作品と、彼女が河口の小学校で行った「アーティスト・イン・スクール」授業「校庭の樹-墨の転々で描こう」の成果発表展。墨の持つ滲み、濃淡、強弱、太細等を使って児童が生き生きと点々や線を引いて樹々を描いていて気持ちがいい。
類型的な作品が一つもないのは、浅見が独断的な完成像を作らず、生徒の発想と感性を引き出しているからだと思う。

「樹々あそぶ庭々」作品
「樹々あそぶ庭々」作品
「樹々あそぶ庭々」作品

■「絵と窓の間」石田尚志(タカ・イシイギャラリー)

ドローイング・アニメーションによるインスタレーション。文句なく面白い。無機的な空間が光と線の動きで生きているように見える。見ていて飽きない。

石田尚志作品

■「8,or Hachi」リチャード・タトル(小山登美夫ギャラリー)

現在77歳の老人の作品とは思えない瑞々しさ。何だろうこれは。普段見慣れている日常品がそのままあるのに、何かわからないけど確かに生き生きとした新しい世界を現出させている。しかもユーモアたっぷりに。元々はポストミニマリズムの大作家らしいが、まったくすごいわ。

リチャード・タトル作品
リチャード・タトル作品

東京美術館&ギャラリー巡り 2017.11.16

先日行った六本木の小山登美夫ギャラリーの「ソプアップ・ピッチ」展があまりに良かったので、同時開催の渋谷ヒカリエの8/ ART GALLERYのほうにも行ってみた。カンボジアの土着性が圧倒的なエネルギーで空間全体に溢れている。

ソプアップ・ピッチ
ソプアップ・ピッチ

そこからGoogleを頼りに表参道まで歩いてGYRE3階のEYE OF GYREへ。「コンセプト・オブ・ハピネス-アニッシュ・カプーアの崩壊概論」展。いつ見てもカプーアには驚かされる。今回の展示作品は暴力的なエネルギーの塊のようなものだが、その中に冷徹なまなざしを感じる。

アニッシュ・カプーア
アニッシュ・カプーア

そこから100m歩くとエスパス・ルイ・ヴィトン。ここに入る時は、ピシッとしたスーツのお兄さんにドアを開けてもらうので、いつも緊張する。何も買わないので、そそくさと最上階へ。「ヤン・フードン(楊福東) 《The Coloured Sky: New Women II》」展。5枚のスクリーンを使った映像インスタレーション。水着を着た中国人美女5人と、馬とラクダが浜辺のセットのような場所にいる。表情を変えずスローに動く人とモノが時々色の光に包まれる。何を言っているのかわからないが、その不自然さになかなか目が離せない。

ヤン・フードン(楊福東)
ヤン・フードン(楊福東)

そこから千代田線で一駅。乃木坂で降りて新美術館の「安藤忠雄」展。平日なのにかなり混んでいる。貧乏なプロボクサーが建築に出会い、やがて海外で大きな仕事を任されるようになり、東大の教授にまでなったサクセスストーリーは一般的にも知れているし、それにもかかわらず、英語もしゃべれず、いつも庶民と同じ目線で未来を語る人間味にも惹かれる。コンクリートの壁による仕切りや箱型、階段やスロープに、抜ける空間や水などを組み合わせた空間は小気味いい。個人住宅から最近の公共施設まで模型と写真で紹介しているが、プンタ・デラ・ドガータなどの大型模型がすごくいい。

安藤忠雄
安藤忠雄

東京美術館ギャラリー巡り 2017.11.10

The ドラえもん展(森アーツセンターギャラリー)

あまりドラえもんに愛着があるわけでもなく、今さらとも思ったけど、見てみたらかなり面白かった。個々の作家のドラえもんの作品化が多様で面白く意外と見ごたえがある。
村上隆や奈良美智はお馴染みだけど、彼らのようにキャラクターを自分のスタイルで正面から作品にするのではなく、さりげなく扱っている梅佳代や後藤映則、カワクボリョウタにググッとくる(残念ながらこれらは撮影禁止)。

ドラえもん
ドラえもん
ドラえもん
ドラえもん
ドラえもん
ドラえもん
ドラえもん

他に六本木界隈のギャラリー。


パオラ・ピヴィ(ギャラリー・ペロタン)

パオラ・ピヴィ
パオラ・ピヴィ

アンドレアス・スロミンスキー(ワコウ・ワークス・オブ・アート)

アンドレアス・スロミンスキー
アンドレアス・スロミンスキー

千葉正也(シューゴアーツ)

千葉正也
千葉正也

ソピアップ・ピッチ(小山登美夫ギャラリー)

ソピアップ・ピッチ
ソピアップ・ピッチ

榎倉康二(タカ・イシイ・ギャラリー)

榎倉康二
榎倉康二

五者五様。それぞれコンセプトもスタイルも全く違う・・・のに、みんな面白い。回るの楽しい。

東京ギャラリー巡り 2016.12.4

東京ギャラリー巡り

日曜日はギャラリーも休みだし、目ぼしい企画展は見たし…ということで、今日は古い友人の高島君の個展を府中まで。

途中渋谷を通るといつも思い出す。3月11日ここに何時間も閉じ込められたことを。

高島君の作品は、紙に思念が宿っている。

高島君の個展
高島君の個展

それからミーハー的に代官山へ。初めての代官山。代官山ってどこにあるのかわからなくて、なんか東京の空の上にあるような気がしていたのだけど、、渋谷から歩いても行けるんだ。

北川フラムのアートフロントギャラリー。藤堂ー瓦礫の展示。瓦礫に嵌められたガラスもギャラリーも本人も素敵だった。

アートフロントギャラリー
アートフロントギャラリー

せっかくだからTSUTAYAにも寄った。芸能人に会わないかなと密かに期待したけど、まぁこんな混雑ではねぇ。

TSUTAYA

美術館&ギャラリー巡り 2016.11.11-11.14 ②

かつて清澄白河の倉庫で現代美術ギャラリーとして名をはせていた、小山登美夫ギャラリー、シューゴアーツ、タカ・イシイギャラリーが、今年10月六本木のcomplex665に、再度集合しオープンした。

当時、これらのギャラリーは交通的には不便な清澄白河に、外観からはわからないが、中に入ると広いスペースに大きな作品が並ぶというアメリカ型ギャラリーを作り、狭ぜました銀座型ギャラリーの常識を一転させたものだった。今回六本木に集まったことで、一足早く六本木にオープンしたオオタファインアーツ、ワコウ・アートスペースらや森美術館などとともに、ますます六本木を現代美術のメッカにしている。
今回はそのオープニング展など。

「樫木知子展」オオタファインアーツ 2016.10.21-11.19

虚弱体質系現代具象絵画の系譜かと。こういううすら寒い絵にはついていけない。

樫木知子展
樫木知子展

「小林正人展」シューゴアーツ 2016.10.21-12.4

入って正面の三角の作品。木枠やキャンバスと格闘しながら作品を文字通り立ち上げる作品は、絵画の可能性を引き出した小林らしい。最近それに馬や少女の像が出てきているけど、あれは何なのか?正直ガックリくるのだけど。他の現代絵画作家でも、例えば赤塚祐二の作品に作り物めいたパースの空間が出てきたり、丸山直文のステイニングに大きな人の顔が出てきたときはショックだったし、もっと前にはジャスパー・ジョンズの作品に壺や魔女の横顔が出てきたときなどとも似ている感じ。

絵画の革新的表現が時代の要請とあまりにもぴったりで完結しすぎていて、そこからの展開が難しくなったときに、このようなある種嘘くさい、マイナーな表現に入り込むことがあるのだろうか。それとも人の期待を裏切ることに密かな快感でもあるのか。
しかし、これでダメになったと即断することはできず、その後も皆それなりの展開をしていることも事実。よいかどうか私には判断できないけど。

小林正人展
小林正人展

「蜷川実花展」「Light of」小山登美夫ギャラリー2016.10.21-12.3

野外フェスなどの花火の光をとらえた作品。光の鮮やかさとその刹那的な熱気や逆にはかなさなども感じさせる。すごく質の高い良い作品だとはわかるのだけど、いつもなぜか心に響いてこない。

蜷川実花展
蜷川実花展

「Inaugural Exhibition : MOVED」タカ・イシイギャラリー2106.10.21-11.19

ギャラリーアーティスト22名によるグループ展。以前からちょっと気になっていた絵画の法貴信也の作品が変わってすごくよくなっていた。(上の左側の作品)それからクサナギシンペイ(下の左の作品)

Inaugural Exhibition : MOVED
Inaugural Exhibition : MOVED

「リアム・ギリック展」”Stardust Expression”  TARO NATU ギャラリー(神田馬喰町)2016.10.14-11.12

「岡山芸術交流-Development」のアートディレクターをしていて、また前から気にもなっていたギリックを見に馬喰町へ。LED電球とテキストの展示。ライトの光の残像で空間がおかしく見える。よくわからなったけど、すごく頭がよくて意志が強い人だろうなと思った。

リアム・ギリック展
リアム・ギリック展

「トランス/リアル-非実態的美術の可能性 Vol.5 伊藤篤宏・角田俊也」ギャラリーαM 2016.10.29-12.3

αMはTARO NATUのすぐ隣の地下にあるのだけど、どこから入るのかよくわからない。表示もないし、ここに画廊があるとは近所の人も知らない(と思う)。以前から独自の骨太企画を続けてきたギャラリーαM。今回の角田俊也も面白かった。「フィールド録音」と名付けたその作品は、ある風景の前に立ち、そこに流れているであろう環境音、または振動を二人のこめかみにつけた聴診器でひろう。それをギャラリーのヘッドフォンでその場の写真とともに聴くのだけど、聞こえてくる振動(こんな音がしているのか)からはあまりにもその場の気配が生々しく伝わってきて鳥肌が立ちそうだった。

トランス/リアル-非実態的美術の可能性
トランス/リアル-非実態的美術の可能性

美術館&ギャラリー巡り 2016.10.8-10.12②

先週自分のグループ展が銀座だったので、周辺の画廊を回ってみた。半日で日本橋から京橋、銀座4丁目あたりまで。その中で古くからの友人の個展がいくつかあったのでそれをレポートします。

田鎖幹夫展

ギャラリー砂翁(中央区日本橋)
2016.10.3-10.14
田鎖君とは大学卒業してすぐの公募展や現代展で一緒になり、それからもう30数年の付き合い。80年代初頭には二人とも強制的な直線やベタ塗りの平面を多用して、感情移入を拒否するようなスタイルだった。年月を経て、今では外界からの要請を、自分を通してパネルに反映させるというような感じになったかな。それもなんだか似ているところがある。長い道のりだ。
彼は最近はもっぱらその表現を、蜜蝋を溶かし自分の意識が届かない(消えていく)状態を作ることによってやっている。いろいろな技法があるらしく、インスタント講義を受けました。

田鎖幹夫展
田鎖幹夫展

平塚良一展

ギャラリー檜B・C(中央区京橋)
2016.10.3-10.15
平塚さんとはC.A.Fという、作家が自主的に運営し展覧会を開催するグループで一緒になって20年くらい。その間私はくるくるスタイルを変えたけど、彼はとてもストイックにミニマルなスタイルを続けている。長年ぶれることなく自分の信念を貫き、愚直なまでに自分のペースで作品発表をしている。私のような軟弱な人間にはできないことだ。
平塚さんの絵画を追究する態度はミニマル的ですが、作品はある種自由でさわやかです。葉や種を塗りこめて削る画面に、今回鉄道模型のフィギュアが貼られていて、緊張感の中にもユーモアが混じっていました。

平塚良一展
平塚良一展

伊藤彰規展

ギャラリーゴトウ(中央区銀座1)
2016.10.7-10.15
伊藤さんとはY賞展が終わる前の前の回でご一緒した。その頃はパネルに直にアクリルを塗り、引っ搔いて作った線を使った暗い絵だったが、近年は柔らかい青に覆われた優しい抽象になっている。故郷・北見のイメージだとか。自由で屈託がないように見えますが、これだけ無造作に描いてなお絵画としての骨格を内に秘めるのは並大抵の芸ではないのですよね。
伊藤さんとはアクリルを塗った瞬間出現する空間の美しさを感じる時の何とも言えない高揚感と、それが乾くとつまらないものになってしまう失望感について意気投合しました。お互いアクリルが長いのだ。

伊藤彰規展
伊藤彰規展

わたなべ ゆう展

江原画廊(中央区銀座1 奥野ビル4F)
2016.9.30-10.15
わたなべゆうさんともY賞展以来。マティエールのことで私のコラグラフに興味を持っていただいていた。
ゆうさんは毎年この時期に江原画廊で個展をやっていて、何回かは見ています。ともかくこの奥野ビルは来るたびときめく。80数年前に建てられた高級アパートメントの床のタイルや階段の手すりなどのレトロな雰囲気はたまらないし(いわゆる「萌え」。古いか)、手動式エレベーターに乗るのもドキドキです。今、このビルには20ほどのギャラリーが入っているそうですが、芸術もそうでないものも、いわくありげに狭いスペースに雑多に詰め込まれている感じもいいです。その中でも江原画廊は特に狭くて、2畳ほどの広さにゆうさんの小品が掛かっています。狭くて小さくて作品数も多くないのに、行くといつも豊かで幸せな気持ちにしてくれるゆうさんの作品の持つ力はたいしたものだといつも感心しています。
相変わらず良く売れているようで、私も一つ欲しいなぁとつい思ってしまいます。うらやましい限りだけど、でもこのような(言い方に語弊があるかもしれないけど)売り絵を毎年何十枚も黙々と作るというのはどうなんだろうとも。(現代系の作家が、メインのスペースで自分の作品内容-作品の大きさや展示方法にコンセプト-を持って見せて、裏の談話スペースに小品を飾るというのは良く見るし、それも一つの方法だよね)
もしかしてゆうさんも大作を描いているのかも知れないし、今度どんな感じなのか聞いてみたい。

わたなべ ゆう展
わたなべ ゆう展

十河雅典展

Steps Gallery(中央区銀座4)
2016.10.3-10.15
十河(そごう)さんとは1980年代末から90年代にかけて開催した「絵画、今」展というグループ展で一緒だった。(当時の)若者が会派や主義、スタイルを超えて今の絵画をアピールしようとして集まった30人ばかりのグループで、みんな意気揚々としていたし、それなりにエネルギーもあった。今はもうかなり疲れてきたけど、まだがんばっている人も結構います。
そのひとりが十河さん。このぶっちゃけ方はどうだ。彼は私より10歳以上も上で、今、大病を患っていると聞いている。なのにこのギャラリーの壁を覆うように描きなぐられている絵具の迫力。どこからこの気迫が出てくるのだろう。絵画に対する執念のようなものを、しかも悲壮感を持った覚悟のようなものを感じました。

十河雅典展
十河雅典展

美術館&ギャラリー巡り 2016.10.8-10.12

トーマス・ルフ展

東京国立近代美術館
2016.8.30-11.13
ルフについては、2003年の森美術館の開館記念「ハピネス展」で、ぐにゃぐにゃした極彩色がうごめいているような画面(写真)を見て-そしてそれがネット上のポルノ漫画を加工して出来たものと知って以来気になっていた。
初期の「Portrait」から「ma.r.s」「jpeg」など最新作までの18のシリーズ125点を網羅した大展覧会。
18のシリーズどれもがルフの写真というメディアの可能性への挑戦で、それぞれがみな手法もスタイルも違うのに、どれも視覚や認識の深さを感じさせる展覧会だった。またそのシリーズごとの展示構成も美しく楽しめた。

トーマス・ルフ展
トーマス・ルフ展
トーマス・ルフ展
トーマス・ルフ展

塩田千春『鍵のかかった部屋』

KAAT神奈川芸術劇場
2016.9.14-10.10
第56回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館帰国記念展と題して、ヴェネチア・ビエンナーレでの展示を再構成したもの。もちろんスペースも違うので、ヴェネチアのときの船はなく赤い糸と鍵を暗い部屋に構成した展示。その重層的に糸が絡み合う空間は、いつもながら深い思いに満たされているようで、そこにいるだけで何故だか感動的な幸せな気持ちになり去りがたいものだった。

塩田千春『鍵のかかった部屋』
塩田千春『鍵のかかった部屋』
塩田千春『鍵のかかった部屋』
塩田千春『鍵のかかった部屋』

新・今日の作家展2016「創造の場所-もの派から現代へ」

横浜市民ギャラリー
2016.9.22-10.9
最終日に駆け込みで。横浜市民ギャラリーは桜木町に移転してちょっと遠くなったけど、実は駅からマイクロバスが出ていて便利でした。
ここは穴場です。連休で新美術館なんか混み混みだけど、こちらはしずーかに見たいだけ見られました。しかも無料です。
斎藤義重、榎倉康二、菅木志雄、池内晶子、鈴木孝幸の5人。前の3人は大御所で、見慣れた現代の古典とも呼べる作品でしたが、コンパクトに仕切られた個展形式の展示はとても新鮮に見られました。個人的には榎倉の写真の作品が好きです。70年代の3人に対して池内の細い糸の作品、鈴木の歩きながら収集したモノの展示は、柔らかで軽く「今」の気分でした。

新・今日の作家展2016
新・今日の作家展2016

杉本博司「ロスト・ヒューマン」

東京都者写真美術館
2016.9.3-11.13
杉本の作品は水平線のやつと、劇場の真っ白に発光したようなスクリーン、自然史博物館のジオラマなどすごく好きだが、その後のいろいろごちゃごちゃやっているのはどうかなぁと思っていた。写真というメディアの中で堂々と勝負できるのになぜ?という気もしていた。
でもこの「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」(カフカのパロディ)という展示にはホントびっくりした。最近の杉本の誇大妄想狂的な発言等にはあまり興味を持っていなかったけど、この展覧会の「人類と文明の終焉」というテーマは、ここまで徹底すれば立派だなぁと感心するほどだった。展示は、杉本が妄想した、文明が終わり人類が滅びることになる33のシナリオに従って、これまた杉本が収集した様々な、実に膨大な量のオブジェがインストールされている。人類が滅亡するそのわけは、物理的、生物学的、経済的、政治的あるいは自然現象など様々で、本当にこれで滅亡するかもと思えるようなリアリティのあるものから、奇想天外で滑稽なものまであって、その振り幅が芸術になっているのかなぁと思った。ともかくここまで破滅的にやられると、「そうだよなぁ、人類なんか滅亡すればすっきりするかもなぁ」と思ってしまう。
下の階の<廃墟劇場>と<仏の海>もすごいです。

杉本博司「ロスト・ヒューマン」
杉本博司「ロスト・ヒューマン」

クリスチャン・ボルタンスキー「アニミタス-さざめく亡霊たち」

東京都庭園美術館
2016.9.22-12.25
久しぶりの庭園美術館。新館ができました。今回のボルタンスキーの作品は本館の旧朝香宮邸をめぐる中で、どこからともなくいろいろな人の声が、それもよくわからないが不安そうな様子で聞こえてくるもの。まさに「さざめく声」による作品です。古くて由緒あるアール・デコ様式の建物で聞こえるその声はまさしく亡霊の声に思えてくる。2階は心臓音の作品(心臓の音とともに電球が赤く光る)と、影絵の作品。
新館では、いろいろな人の目が印刷されている半透明な布の中を歩く作品と、稲藁が敷いてある部屋の中央にスクリーンがあって、そこに風鈴が揺れて鳴っている映像が流れている作品。
私は基本的にボルタンスキーは好きで、この展覧会の5種類の作品もどれもがボルタンスキーの特徴をよく表していて、それがバランスよく構成された素晴らしいものだと思った。

クリスチャン・ボルタンスキー
クリスチャン・ボルタンスキー
クリスチャン・ボルタンスキー
クリスチャン・ボルタンスキー

 
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