「草間彌生—永遠の永遠の永遠」展 2012.1.8
草間彌生展会場入り口
さる1月8日、国立国際美術館で開催されている「草間彌生–永遠の永遠の永遠」展に行って来ました。
実は1月6日にこの展覧会の内覧会・開会式&レセプションがあり、それに行くつもりで美術館には出席の通知を出していたのですが、前日からの大雪で米子道が通行止めとなり、車で行く予定だった私は出席を断念せざるを得ませんでした。
当日は750人もの参加者があり、草間本人も顔を見せスピーチしたとあって、つくづく残念でした。
癪なのでこの連休を利用して展覧会だけ見てきました。
今回の展示は、野外と会場内の5か所に設置されたインスタレーション以外はすべて2005年から昨年までに制作された絵画作品でした。(絵画作品は撮影不可なので、撮影が許されたインスタレーション作品を載せています)
2005年から2007年までに制作された「愛はとこしえ」シリーズ50点。2009年から2011年までの「わが永遠の魂」シリーズ49点。本展用に制作された「ポートレート」3点。
草間ももう82歳になり、大がかりなインスタレーションを企画する気力がなくなったのかなとか思っていましたが、規模としては、例えば2004年、東京国立近代美術館で開催された「永遠の現在」展などの回顧展に比べると小さいですが、その絵画作品群は「旺盛な制作意欲」などと言うものでは形容できない凄まじい迫力に満ちたものでした。
お馴染みの水玉オブジェなどは女の子が「かわいいー」という感じのものもありますが、びっしり並べられた絵画作品には鬼気迫るものがあります。この圧倒的な切迫感はどこから来ているのか、会場を回ってその中で放映されていたドキュメンタリーと掲示されていた数点の詩を見て納得がいきました。
会場で映されていたドキュメンタリーの中で、草間は呪文のように言っていました。
「ピカソもウォーホルも超えて世界のトップになりたいのよ。」
「500枚でも1000枚でも描いて描いて描きまくって死ぬのよ。」
この果てることない果敢な戦いとエゴ・・・・そして次のようにも言っています。
「100年でも200年でも生き延びたいわ。」
「描いてないと自殺したくなっちゃうのよ。」
草間の制作は、迫りくる死への恐怖、生への執着と、それとは裏腹な自殺願望の中で、否応なく延々と繰り返されてきたことが痛ましいほどわかります。それは思春期に統合失調症を患って以来続いているものですが、近年、高齢になるとともに現実味を増し、いよいよその深淵に辿り着いたような印象がありました。
それは草間のトレードマークであるドットやネットを代表とするおびただしい形象の反復以外に、人の目や横顔、植物のような多様な具象や抽象の有機形となって現れていますが、また次のような詩になって芸術として昇華されます。
落涙の居城に住みて
やがて人の世の終末に 巡り会う時がきたら
年を重ねた月日の果てに
死が静かに近寄って来る気配が、
それにおののいているとは 私らしくないはずだったのに。
最愛の君の足音の影に 悩みはまたしても夜半に訪れて
わが想いをあらたにす
君をこそ恋したいて「落涙の居城」の中に
籠っていた私は 今こそ人生の冥界への道標の
指示すところへ さまよい出てゆこうか
そして空が私を待ちかまえ たくさんの白い雲をたずさえている。
いつも私を元気づけていた 君のやさしさに打ちのめされて
心の底から私は「幸福への願望」を道ずれに
探し求めてきたのだった
それは「愛」という姿なのだ
あの空を飛び交う鳥たちに叫んでみよう、聞いてみよう
わたしのこの心をこそ 今こそ伝えたい
私の久しい年月を芸術を武器にして
踏みしだいてきたのだったが
その「失望」と「虚しさ」を そして「孤独」の数々を胸に秘めて
生きながらえてきた日々は
人の世の花火が 時として「華麗」に空に散りばめられていた
五色をもって夜空に舞っていく花火の粉末を全身に
散りばめている感動の瞬間を 私は忘れない
今こそ最愛の君に捧ぐ
人生の終末の美しさとは すべて幻覚の幻だったのか
あなたに聞きたい
心のすべてを捧げて 時を生き抜いてきた今
美しい終末の足跡を残したいと
祈っている今日の日々を
傷めないでそっと 生きていたい私が
受け取ったあなたへの愛のことづけ
小説家としての草間もすでに有名ですが、このような美しく凄まじい詩に出会えたことが今回の収穫でした。
○草間彌生展「永遠の永遠の永遠」は国立国際美術館で2012.1.7-4.4。
http://www.asahi.com/kusama/
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