青春の読書・・・・北杜夫氏死去の報に接して
あるいは私は何からできているか?

ある日の空
ある日の空

ちょっと前になりますが、2011年10月24日に作家の北杜夫氏が亡くなりました。84歳。
彼の小説は高校、大学時代に愛読し、その影響を強く受けていたので、かなりのショックでした。
精神の形成はもちろん終生に渡るべきものでしょうが、その活動が最も活発なのは青春時代であることは間違いないでしょう。どのくらいかはわかりませんが、その時の影響が人格の多くを形成しているのだとは思います。自分の精神を形作ったと思う人物が逝ったという報道にはいつも何がしかの感慨が溢れるものです。

北氏は私の青春どストライクの作家でした。「昆虫記」「航海記」「青春記」などの「どくとるマンボウ」シリーズは、畑正憲の「ムツゴロウ」シリーズなどとともに「青春書」のバイブルでしたし、「白きたおやかなる峰」「楡家の人々」「酔いどれ舟」などの長編小説は、読書の蜜のような愉悦を教えてくれました。しかし北氏の小説の真骨頂は短編にあるのだと私は思っています。「羽蟻のいる丘」や「夜と霧の隅で」などの短編小説は、小説というものが真に人間の精神の核を震わせ、人間としてあるべき感覚を呼び起こしてくれることを教えてくれました。

私の精神形成に大きな影響を与えてくれた北氏の訃報に触れたとき、私は「自分の血肉の何パーセントかは北杜夫でできているのだ」という感慨を直感的に持ちました。北杜夫の私への影響力は血肉になっていると思えるものなのです。
言うまでもなくこれは精神面での話ですが、イメージとしては身体の幾分かはその人そのものでできていると考えるくらい影響の直接性が実感できるのです。
北氏の影響が具体的にどういう点でと言うのは難しいですが、多分私は北氏の小説から特に人生の指針となるようなコンセプトを読み取ったのではなく、人間という不思議な存在の真実、それは社会や経済やといった現実世界の条件下ではなく、ただ人間として在るその芸術的な感情に触れることだったのだと、今思います。いわば人間存在に宿る直接的で根源的な芸術性を北杜夫の小説から自然に受け取っていたのだと思います。

北杜夫の親友であり同じ時期に、また同じようなスタイルで活躍し、1996年に亡くなった遠藤周作氏も私の血肉の何パーセントかを形成している作家です。
「同じようなスタイル」というのは狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の雅号で書いた「狐狸庵シリーズ」や「ぐうたらシリーズ」などのいわゆるユーモア小説で人気を博しながらも、実はシリアスな小説の中に遠藤氏の本当の小説家としての特質と価値があるという点。それも「沈黙」「イエスの生涯」「死海のほとり」などの長編小説が、読みだすとのめり込まざるを得ないような物語の愉悦に溢れているとともに、実は「アデンまで」「月光のドミナ」「白い人・黄色い人」「海と毒薬」などの短編が、よりじわじわ、ひたひたと読み手の精神に沁みとおってくる小説のすごさを感じさせるものであることなど、とてもよく似ています。

遠藤周作のテーマは人を裁くのではなく許す「母なるキリスト」像でした。人の弱さ、卑屈さを許し包みこむ神の姿をずっと求めていたと思います。それは日本人にとって異教であるキリスト教の遠藤らしい解釈でした。シリアスで超暗いこれらの短編小説に、それでも引き込まれるのは、背徳せざるを得ない人間に対する彼の洞察力によるものでしょうか。当時私自身が「人間のどうしようもない弱さ」をひしひしと感じていて、そこから「どうしたら優しいままで強くなれるのか」が私の大きなテーマだったように思います。弱いがために裏切ってしまう人間を、それでもいいのだよと言って赦し続けた遠藤氏の小説は、自分の弱さをとことん見つめ続けた太宰治とともに、当時の私の思考の在り処を照らしていたのだと思います。

自分の身体が(実は精神ですが)誰から出来上がっているかに思いをめぐらすことは、自分の存在を見つめるとともに、自分が自分だけでできているのではないこと、また自分がその人・ものたちと繋がっていることを強く感じさせるように思えます。私は梶井基次郎の「桜の樹の下には」という小説を思い浮かべます。これはこの小説の内容あるいは本来の要旨とは異なるのですが、「桜の下には屍体が埋まっている」という言葉から、私は桜が美しいのは桜だけでできているのでないというように受け取り、同じように自分は自分ひとりでできているのではない、いろんな人からできている!と勝手に解釈しているのです。
私100%分を誰が、または何が何%ずつで形成しているのでしょうか。
その要素は様々在ります。両親や先祖の遺伝子影響や人からの直接の影響でなく、小説、音楽、美術、映画、思想などから、その全体が100%になるような影響関係を自分で考えるのもまた楽しいものかと思います。


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