2024 個人的墓碑銘
中村メイコ(なかむらめいこ) 2023年12月31日没 89歳
子どもの頃、テレビの黎明期からバラエティ番組によく出ていた。覚えているのはNHKの連想ゲーム。
夫で作曲家の神津善行、長女の神津カンナ(作家)、次女のはづき(女優)、善之助(画家)など一家で有名で、当時の文化的ファミリーといった感じだった。黒柳徹子などもそうだが、彼女らいわゆる意識高い系文化人が戦後の女性文化を先導したのだと思う。
篠山紀信(しのやまきしん) 2024年1月4日没 83歳
『GORO』でのタレント(山口百恵など)の「激写」や『週刊朝日』の表紙、『写楽』などで有名だった。また宮沢りえや樋口可南子などのヌード写真でセンセーショナルな話題を呼んでいて、一般にはタレント的な写真家と言ったイメージがあったかと思う。
しかし芸術としての写真のテーマや表現手法は多岐にわたっていて、1976年、ヴェネチアビエンナーレでの個展『家』は、こんな寡黙で硬質なものが撮れるのかと思ったし、1991年NHK教育テレビの『近未来写真術』での「シノラマ」の圧倒的スケールには、写真の力をまざまざと見せつけられた。
南沙織と結婚したときには驚いた。
カール・アンドレ(Carl Andre) 2024年1月24日没 88歳
同一な形の鉄板や木材を規則的に並べる作品は、それ以上でも以下でもないミニマルアートの粋と言うべき作品かと。とても知的で無機質であるにも拘わらず何か暖かいところもあるような感じを受けていた。
死去から2ヶ月後の3月から川村記念美術館で大規模な個展が開かれたのに残念。
アナ・メンディエタという名前はアーティストとして聞き覚えがあったが、彼女がカール・アンドレの妻であり、一緒にいたときに不慮の事故(アンドレに殺人の容疑がかかった)で亡くなっていたことは知らなかった。
小澤征爾(おざわせいじ) 2024年2月6日没 88歳
ごく一般的なクラシック愛好家である自分では、小澤征爾の指揮がどれほどすごいものかわからないのが残念だけど、いろいろな映像で見る限り(特にリハーサルの場面は素晴らしい)、その人間的大きさというか、包容力というか、音楽や人間に対する愛というか・・・とてつもなく大きな人だなぁと感心するばかりだった。
村上春樹の『小澤征爾さんと、音楽について話をする』も、(村上春樹のエッセイは彼の小説と同じくらい大好きなのに)難しくてよくわからなかった。その村上春樹によれば「作家が文体を真摯に追求すればするほど、文体自体が消えていって見えなくなり、あとは物語だけが残る」のと同じように、小澤の音楽は「過度なメッセージ性も、大げさな身振りも、芸術的耽溺もなく」、小澤の中で確立された「純粋な音楽思念の誠実な発露」だけなのだという。そういうものなのであろうか。
鳥山明(とりやまあきら) 2024年3月1日没 68歳
子どもの頃は少年マガジン、サンデー、キングを読んでいて、発行日には必ず買うくらい好きだった。大人になってからは全く面白いと思わなくなって漫画を見なくなった。しかし高校教師をしていた80年代、生徒にものすごい人気だった『ドクタースランプ』を見たら間違いなく面白かった。今まで読んだ最後の漫画が『ドクタースランプ』。
谷川晃一(たにがわこういち) 2024年3月10日没 86歳
大学院生の頃、袋小路にはまった絵画の脱出の決め手はポップアートだと思っていて、かなり研究、模索していた。谷川晃一はポップアーティストだったけど、作品は何か湿っぽく、あまり革新的ではなかった。しかし理論家としては優秀で1980年に谷川が編集発行した『アール・ポップ』は刺激的でとても勉強になった。
リチャード・セラ(Richard Serra) 2024年3月26日没 85歳
リチャード・セラもカール・アンドレと同じミニマリズムのアーティストだとばかり思っていたけど、あの巨大でクネクネした鉄板のパブリック作品は、そこから脱出してポスト・ミニマルへ移行してきたものだったのか。確かに観客にコミットしたり、抵抗感を持たせた作品にはその試みが感じられる。認識新た。
舟越桂(ふなこしかつら) 2024年3月29日没 72歳
よく見てはいたけど、最初の印象はあまり良くなかった。あの端正な顔つきやスッキリした形象は父親の舟越保武のスタイルと同じジャン。作品に着色するのも目玉に異質なものを嵌めたりするのも、当時はもう定番になったポスト・モダンの典型的な手法ジャン。とは思ってはいたけどいつも気にはなっていた。
造形物(人間像)に魂を感じるのはわたしの趣味ではなくて、抵抗していたのかも知れないけど、抗いがたい魅力があってもう負けそう。舟越が亡くなった今、もう負けてもいいか。
竹田康宏(たけだやすひろ) 2023年11月に逝去されていました。69歳
巨大な鉛筆を突き刺したようなインスタレーションが衝撃的だった。1983年三重県立美術館での「現代美術の新世代展」出品作だ。彫刻的な量を持った構造物(木)が、その彫刻性を示しながら拒否され、精神的で曖昧な空間を構成することで作品化している。インスタレーションとはこういうものか、と納得した。
それ以来忘れていたけど、訃報に接して調べてみると、その後巨大な植物の種子や花弁をイメージした野外彫刻作品を多く制作していた。なんとも包み込むようなやさしさのある作品だった。ああこういう人だったんだなと思った。
桑山忠明(くわやまただあき) 2023年8月20日に逝去されていました。91歳
日本を代表するミニマルアーティスト・・・であることは知っているけど、作品を前にあれ山田正亮とどっちだったかなと思ってしまうことがある。これは私の認識不足から来るもので、今回良―く作品を見てみた。桑山で特徴的なのがメタリック類のペイントを使っていること。この視線を跳ね返し宙に浮かせるような画面は透徹した美しさがある。これだけ清廉潔白、自身のコンセプトがズレないのはすごいなぁ。自分はダメだったなぁ。なお、山田正亮はかなりペインタリーで描くという行為の中で絵画を探っている感じで、よく見れば大分違う。
ディン・Q・レ (Dinh Q. Le) 2024年4月6日没 55歳
最近、といってもここ10年くらいアジア人の現代作家が採り上げられることが多くなった。
最初は中国のファン・リジュン(方力鈞)なんかをよく見て、このディン・Q・レ(ベトナム)もそうだし、ソムアップ・ビッチ(カンボジア)なども。他名前までは覚えきれないけど、自国の政治や民族的な歴史などにコミットしていているものが多い。
ディン・Q・レは森美術館でよく見た。つい昨年の夏、「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」にも出ていて見たばかりだったのに、夭逝だった。
笠谷幸生(かさやゆきお) 2024年4月23日没 80歳
1972年札幌オリンピックのジャンプ(70m級)で金メダル。銀、銅メダルも日本人でメダル独占。それまで笠谷なんて知らなかったが、冬季オリンピックでも日本人がメダルを取れるんだととても驚いた。
フランク・ステラ(Frank Stella) 2024年5月4日没 87歳
60年代、ブラックペインティングなどの作品で知られるステラは、その理論と体現した作品でミニマルアートの絵画的地位を確立した第一人者と呼んでいい。その頃のステラはよくわかる。70年代以降、ミニマル(近代)を越えようとしたステラは、ポスト・モダンの先駆け的なスタイルをいち早く示したということとは思うが、あれらの巨大な作品については評価しようとすることを越えている部分もある。確かに分裂したスタイル、またその折衷、平面と立体の混合などがあるが、なんでこんなものを作ったんだ。川村記念美術館などで見られるステラはただただものすごい。
鷹羽狩行 (たかはしゅぎょう) 2024年5月27日没 93歳
母が長年俳句をやっていたのでよく名前は聞いていた。
尾道の千光寺公園に行ったとき、句碑を見た。
「海からの風山からの風薫る」
この瀬戸内海の島々が見渡せる高台には、本当に心地よい風が吹いていた。
佐野ぬい(さのぬい) 2023年8月23日に逝去されていました。90歳
大学院修了時から数年間「新制作協会展」に出品していたが、それは新制作の作品展示が二段掛けが全くなく、とても作品を大切にしていたこと。また会員に櫃田伸也、佐藤泰生、佐野ぬいなどがいたことからだった。
槇文彦(まきふみひこ) 2024年6月6日没 95歳
年に何回か上京して、美術館、ギャラリー巡りをするけど、巡る場所場所で槇文彦の建築に出会う。代官山にはアートフロントギャラリーがあって、行く度ヒルサイドテラス横を通り過ぎるとなにかスッキリした気分になる。森美術館から少し散歩するとテレビ朝日の扇型の建物が見えるし、表参道のスパイラルギャラリーにも何回か行った。
ポスト・モダンなのかな?でも磯崎新のように重々しくなく風が通るような爽やかさがあって好きだ。
地元では島根県立古代出雲歴史博物館や来年開館の鳥取県立美術館がある。
伊藤公象(いとうこうしょう) 2024年7月6日没 92歳
薄くスライスした陶磁土を即興的に丸めて焼き、それを床に敷きつける陶のインスタレーションを何回か観たことがある。広島市現代美術館の屋外だったろうか。繊細な作品で、陶芸を爽やかな現代美術に仕立て上げて見事だった。
伝統工芸の技法で現代美術の一線をずっと歩いてきた作家だった。1970年代、私も出品したことがある栃木県立美術館開催の「北関東美術展」というコンクールで大賞を取ったのも覚えている。
ビル・ヴィオラ(Bill Viola) 2024年7月12日没 73歳
70年代、美術メディアの伸張で、インスタレーションなどの新しい形式の作品がばっと出てきたが、同じようにビデオ作品も多く登場した。
ビル・ヴィオラはその第一人者でビデオを美術メディアとして確立した(特にパフォーマンスビデオ)功績者の一人だろう。人間が水を大量に被ったり、火の中にいたりする映像は鑑賞者にかなり緊張感を強いて、その分人間の根源的な精神性に訴えてくるものだった。
余談だけど、その頃は現代美術の展示といえばインスタレーションかビデオで、絵画などほとんど見られなかった。
園まり(そのまり) 2024年7月26日没 80歳
1960年代小学生の頃、テレビで大人の歌手というもの初めて知ったのが園まり。「逢いたくて逢いたくて」など「シャボン玉ホリデー」でよく聴いた。ご本人もその歌い方も色っぽくてドキドキした。
大崎善生(おおさきよしお) 2024年8月3日没 66歳
大崎善生はたぶん『聖の青春』や『将棋の子』などの将棋ノンフィクション作家として知れていると思う。将棋見る将でもある私は、それらももちろん面白かったが、大崎の本性は喪失系悲しみ小説(勝手に命名した)の、『パイロットフィッシュ』『アジアンタムブルー』『孤独か、それに等しいもの』などだと思っている。
一時期大崎の小説に夢中になり繰り返し読んだことがある。とてもとても優しい人だと思った。
高橋和と結婚したけど、むべなるかなだった。
田名網敬一 (たなあみけいいち) 2024年8月9日没 88歳
今年8月上京時に田名網の訃報を聞いた。その時新美術館で『田名網敬一展 -記憶の冒険-』をやっていて、観ようかどうしようか迷っていたところだったので、行かざるを得なくなった。
私が現代美術を勉強した頃に出てきた人なので、なんとなく知っていたけど、その全貌は圧倒的な美術探究のエネルギーに満ちていた。
60年代の反芸術運動やサブカルチャー、ポップアートの影響を受け、異質なイメージを過剰にコラージュするシルクスクリーン作品は粟津潔や横尾忠則と共通する。
ちょうど訃報に接して展覧会を見たこともあり、この過剰なイメージと途方もない制作欲は、最後には「死への恐怖や邪念を払拭する方法であり・・・・自身の作品は魔除けであり、幸運をもたらす護符」のようなものだったことが実感された。
アラン・ドロン(Alain Delon) 2024年8月18日没 88歳
『太陽がいっぱい』は1960年上映なのでon timeでは観ていないけど、その後ビデオ等で何回か観た。観るたびにすごかった。人気が出るのも無理もない。
『冒険者たち』(1967)『あの胸にもういちど』(1968)などはぎりぎり上映館で観た気がする。中学生だったので結構刺激が強かった。
ダリダとデュエットした『甘い囁き』がヒットした(1974)。アラン・ドロンの吹き替えは野沢那智と決まっていたけど、『甘い囁き』の日本版の野沢那智と金井克子のデュエットは何か恥ずかしかった。やはり何を言っているのかわからないフランス語でなければ。
セルジオ・メンデス(Sérgio Santos Mendes) 2024年9月5日没 83歳
小学校6年の時、日曜の朝にポップスのベスト10番組をラジオでやっていた。それをベッド(2段ベッド)の中で聴き、10時からはアメリカンシットコムの『ルーシー・ショー』と『じゃじゃ馬億万長者』を観るのが日課だった。その頃きらびやかなアメリカ文化をいっぱい浴びた。
そのトップ10番組で流れていたのがセルジオ・メンデス&ブラジル’66の「マシュ・ケ・ナダ」。素晴らしい曲だった。1966年のこと。
ティト・ジャクソン(Tito Jackson) 2024年9月15日没 70歳
今の若い人はマイケル・ジャクソンはソロシンガーだと思っているんじゃないかな。まぁそうなのだけど、1969年にデビューしたときにはジャクソン5の一員だった。ジャクソン5はジャクソン兄弟5人による「ボーイ・バンド」で、マイケルは五男でリードボーカル。ティト・ジャクソンは次男。
その時の勢いはものすごかった。「I Want You Back」「ABC」「小さな経験」「I’ll Be There」などを聴いてみればわかる。
J・D・サウザー(John David Souther) 2024年9月17日没 78歳
J・D・サウザー。懐かしい名前だ。大ヒット曲「You’re Only Lonely」は1979年。忘れていたけど、改めて聴き直すとなんていい曲なんだ。70年代から80年代にはこうしたミディアムテンポで、激しくも湿っぽくもない、ただ優しいばかりの曲が多いかも。ニール・ダイヤモンドとかニルソンとか。
J・D・サウザーはイーグルスの「New Kid in Town」も作っている。これもとてもいい。
クリス・クリストファーソン(Kris Kristofferson) 2024年9月28日没 88歳
クリス・クリストファーソンもその一人かも知れない。ものすごく声のいいカントリー系のシンガーだと思っていたけど、結構有名な俳優でもあったらしい。
「Me and Bobby McGee」をよく聴いた。あと「Help Me Make It Through the Night」。
高階秀爾(たかしなしゅうじ) 2024年10月17日没 92歳
『名画を見る眼』『続 名画を見る眼』『近代絵画史:ゴヤからモンドリアンまで』などは美術史をきちんと把握するために読んでおくべき本だった。面白くはないけど、これを読めばまずは基礎的知識は付く。高階秀爾はそういった啓蒙的役割を持った作家として捉えていた。なので学生にもこれとこれだけは読んでおくようにと夏休みの宿題に出したりした。
でも『ニッポンを現代アート』など結構現代美術系の本も書いている。
谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう) 2024年11月13日没 92歳
十代の頃、詩が好きだった。でも読むのは萩原朔太郎とか中原中也とかで、谷川俊太郎は平明なのにあまりピンと来なかった。なんでも軽々とできてしまって、時代の寵児的な扱われ方(本当にそうなんだろうけど)をしていたのにも何か反発したくて、食わず嫌いだったかも知れない。
でも親になって『ことばあそびうた』や『もこ もこもこ』にはお世話になった。とくに『もこ もこもこ』は絵が元永定正だったから私の宝物みたいなものだった。
(ちなみに10月になくなった中川李枝子さん[2024年10月14日没 89歳]の『ぐりとぐら』シリーズにも本当にお世話になった)
近年、朝日新聞に月一掲載されていた詩「どこからか言葉が」は楽しみだった。最近は死への思いが色濃くなっていて、それはそれは心に染み入るものばかりだった。
谷川俊太郎の死をテーマにした詩はどれもすごいけど、そのうち一編だけ。ものすごいです。
「死と炎」
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしななければならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことはできない
せめてすきなうただけは
きこえてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに
中山美穂(なかやまみほ) 2024年12月6日没 54歳
世代が違うので追いかけたことも、とくに思い入れもないけど、あのギラギラした目と勝ち気な表情は魅力的だった。ちょうどアイドルの集団プロデュースが出始めの時で、それに対して一匹狼的な感じでかっこよかった。
リリースした曲も『色・ホワイトブレンド』(これは竹内マリアの歌でしか覚えていない)『ツイてるねノッてるね』『WAKU WAKUさせて』『You’re My Only Shinin’ Star』『世界中の誰よりきっと』『ただ泣きたくなるの』など、アイドルの曲とは思えない、よくできたいい曲ばかりだった。
久里洋二(くりようじ) 2024年11月24日没 96歳
アニメーション作家、イラストレーターとして日本の60年代のサブカルチャーを推進した一人。いかにも60年代らしい作家だった。あのひげと長髪の風貌と11PMでのシュールでちょっとエッチ(と言う言葉が流行った)なアニメーションが久里洋二の印象だけど、ひょっこりひょうたん島など子ども向けのアニメーションも多く手がけている。