金沢21世紀美術館 2011.5.31-6.1①

金沢21世紀美術館
[金沢21世紀美術館]

5月末、季節外れの台風の中、松江から日本海側の山中や海沿いの一般道を9時間ほど走らせて金沢に行って来ました。
これ以上ないくらい悪い天気でしたが、はじめて走る北陸路はそれだけでも面白く、雨、霧にかすむ緑も美しいものでした。一日目は福井の友人宅に寄り道。何年かぶりで旧交を温めました。

雨に煙る東尋坊
雨に煙る東尋坊

翌日、金沢に着き、金沢21世紀美術館で「2011CAF.N金沢展」の飾り付け。5月31日〜6月3日が会期でした。
この展覧会の模様と作品は[Exhibition]と[Gallery]にアップしていますので、ぜひご覧ください。

今回はあこがれの金沢21世紀美術館レポートです。

まずはこの建築。

金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館

妹島和世&西沢立衛のユニットSANNA(サナー)によるものです。この二人の建築についてはこれまでロンドン、ニューヨーク、瀬戸内国際芸術祭で出会い、それぞれこのtopicsで紹介してきました。
ガラス張りの円形の外壁部(といっても全部ガラスですが)と、その中に高さの異なる円柱と立方体の部屋−19の展示室−が通路を隔てて並んでいます。このガラスの壁と箱型の部屋(仕切り)は今までも何度か見たスタイルです。
とにかく明るくて開放的。外から中の様子も見えますし、また中の通路スペースの角を曲がるごとに建物の中や外が見えたり見えなかったりして、歩き回ること自体がウキウキします。
小学生の団体や若いカップルが多く、人々の行きかう様子もガラス越しに目に入るので、否応なしに華やいだ感じがします。
開館以来5年間で入館者数700万人突破という記録的な数字をはじきだした21世紀美術館は、確かに金沢市長が自身の進退を懸け、長谷川祐子氏、北川フラム氏ら現代美術に関わる英知を集めて作っただけあって、鑑賞者との関係を総合的に創り上げる仕掛けがそこかしこに配されているすばらしい美術館でした。

実はすぐ近く、5分ほどのところに「石川県立美術館」があります。この美術館は昭和34(1959)年創設の落ち着いた趣のある建築(こちらは谷口吉郎の設計)なのですが、私が行った時には人がほとんどいませんでした。私はここの一階に入っている辻口博啓氏(「自由が丘モンサンクレール」の辻口!)のパティスリ−&カフェ「ル ミュゼ ドゥ アッシュ」のケーキが食べたくて行ったのですが、ここもシーンとしていました。

石川県立美術館
石川県立美術館

当日ここでは笠間日動のコレクションから「セルフポートレイト」展を企画展示していて、チョット絵の勉強をやっている方ならそれこそ垂涎ものの作品群が並んでいました。
安井曾太郎、梅原龍三郎をはじめとして、鴨居玲、林武、佐伯祐三、辻永、藤田嗣治、萬鉄五郎、脇田和というお歴々から、現在活躍中の奥谷博、松樹路人、堀研、深澤孝哉・・・まで質・量ともしっかりした素晴らしい展覧会でしたが。
たまたま天気の悪い日の夕方という時間(でも日曜日)なので閑散としているのか・・・それともやはり金沢21世紀美術館ができたせいなのか。その日の印象だけで結論付けるのは早計ですが、市の中心部、兼六園や金沢城公園に隣接し、散歩気分のまま気軽にうろうろできる21世紀美術館にすっかりお客さんを奪われたという印象を受けました。
金沢はそれだけ現代美術が浸透していると一見思えるのですが、そしてそうなら奇跡的にすごいことと感嘆するのですが、しかしことはそれほど単純ではないようです。

金沢の現代美術家に聞くと、地元では21世紀美術館はわけのわからないものをやっているところという認識の人が多く、愛好家は全然行く気にならないらしい。入館者は小、中学校の団体、観光客、若い人がやはり圧倒的に多い。
金沢もご多分にもれず日展系公募団体が強く、展覧会を開くと「次は日展ですね」と言われるという。むしろ漆や金箔などの伝統工芸の盛んな金沢は、芸術全般に伝統の踏襲意識のほうが高いのかもしれません。地元の現代美術アーティストはかなり肩身が狭く作品も発表しづらいらしく、CAF.Nが来てくれてありがたいといった反応が多かったです。
ここで本当なら何が現代美術かということを定義しなくてはなりませんが、長くなるので今はやめておきます。例えば「コンセプチャルな理念を基底としたインスタレーション等の形式」・・・とするとCAF.Nなどでも現代美術と言うより「比較的新しいタイプの作品」といったものが多い。しかしそれでもここでCAF.Nの作品はかなり現代的だとして当地のマスメディアに取り上げられました。
現代美術が地方において理解されないという問題は、なにも金沢ばかりでなく島根もそうですし、全国的な問題だと思います。しかもこれは地方と言っても関東地方でも多かれ少なかれあるものですし、ニューヨークだって現代美術ばかりではありません。
しかもやはり年配の、美術に対する固定概念を持った方はこのような場所には行きづらい感じ。だから美術の好きな方ほど却って拒否反応が強いような気がします。こんなことはいまさら言うまでもないという感じですが、逆に「瀬戸内国際芸術祭」などは、観覧者の多くが10代、20代前半くらいの若い女性群で、彼女たちは何の屈託もなく廃屋に設置されているモノやその場の雰囲気を楽しんでいます。彼女たちが現代の美術を引っ張って行きそうな期待感さえ持ちます。

21世紀美術館のことから話題が離れてきましたが、私はこのような問題に強く感心があります。そもそも現代における美術を考え制作し、そしてそれを鑑賞者と共有することを求めることは私の人生の柱になっています。それは今生きている私たちがその意味を問い、またその答えを今価値のある形式として創作し伝えることが自分のやるべきことであると思えるからです。
また現代の理念や形式は単にポッと出てきたものではなく、それこそ、美術に関わったすべての叡知の歴史の上に築かれたものです。そういう点でも現代美術はすべての人の精神に関わっていることを知って欲しいと思っています。
それではどうしたらこのようなことを伝えることができるでしょうか。
これ以上は長くなるので(長くなると読んでもらえないので)やめますが、いかに私たちが求めている美術のあり方を一般鑑賞者に伝えそれがまた共有できるかを考え、またその具体的方法を実践していきたいと思っています。その意味で金沢で過ごした3日間は刺激の多いものでした。

金沢21世紀美術館は美術を一般に浸透させる工夫の一つとして、「公園のように開かれた美術館」としてのデザインばかりでなく、例えば展示スペースを「有料ゾーン」と「無料ゾーン」に分け、「無料ゾーン」は閉館日でも見られるようになっています。
例えば無料ゾーンの一つに「長期インスタレーションルーム」というのがあって、ここはいつでも自由に見られます。この1年間はイギリスのアーティスト、ピーター・マクドナルドの「Visitor」という絵画作品を展示してありますが、それだけでとどまらずワークショップなどの企画を経て、地元の若者たちと共同で、他の展示室に「Disco」という壁画として新たな作品ができるそうです。

ピーター・マクドナルドの絵画作品
ピーター・マクドナルドの絵画作品「Visitor」

また他に託児所やキッズスタジオなどのスペースを設けるなど、建築デザインと一体となった開放化コンセプトが随所に見られます。
その展示の子細はまた次回にします。


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