2017CAF.N展 作品集巻頭言(2018.8.21)

私がほぼ毎年出品しているCAF.N展は、展覧会ごとに毎回作品集を作成し、記録を残すことを会の活動の一つにしている。その巻頭言は、今までこの会に関わってこられた多くの評論家や美術関係者に執筆をしていただいている。古くは元埼玉県立近代美術館館長の田中光人氏や、長くこの会を見ていただいている金沢毅氏をはじめ、赤津侃氏、谷新氏など多くの評論家が巻頭を飾ってきている。
長年のこの作品集の編集の中で、今回初めて出品者による巻頭言を載せようということになり、CAF.N協会が埼玉美術の祭典と言っていた時からの古いメンバーである私に話が回ってきた。私はCAF.N会員であり、現に近展覧会にも出品している立場なので、書けることと言えば,埼玉美術の祭典以来の実際の会内部の様子や変遷と、それに関わった私の実体験である。それを基にこのCAF.Nという会を少し内省的にまとめてみた。
以下が2017CAF.N展作品集に載った巻頭言です。
(なお、展覧会の様子は「exhibition」の「2017CAF.N展」をご覧ください。)

30数年にわたるつき合い-CAF.Nが求めるもの&CAF.Nに求めるもの

新井知生

埼玉県の高校教員に就職して3年目の1983年11月、第6回埼玉美術の祭典(現CAF.N)コンクール部門に応募し優秀賞を受賞した。審査は公開で行われ、審査員には当時バリバリの美術評論家であった瀬木慎一、林紀一郎、ヨシダヨシエ氏らがいた。
私はその受賞の知らせを修学旅行引率先の京都で聞き、その帰路、東京駅に着くと、そのまま前年開設された埼玉県立近代美術館での授賞式に向かった。それが30数年にわたる現CAF.N協会との長い付き合いの始まりだった。

その後、組織はより全国的な体制へと発展し「現代美術の祭典」と名称を変えた。私自身はそのスタッフメンバーとして出品を続け、1987年には、10周年記念誌の編集発行に携わった。
リーダー(その後協会代表)の小野寺優元氏と、コンクールを通して集まった同年代の若手作家とともにあたる編集作業は、この新しい美術運動への参加が、まだ何者でもない私たちを後押しし、また未来を祝福しているような幸福な時間を与えてくれた。

1989年には名称をC・A・Fと変更し、この活動の第3期に入った。作家主体の自主企画展は必ずマンネリ化するか崩壊する。そうならないため、同じメンバーで同じことを繰り返さないこと、また公募団体のようなヒエラルキーを持った制度にしないことがこの団体設立の理念であり、それは必然的な脱皮だった。
方法論として、参加者を固定せず毎年入れ替える、10年で解散する、シンポジウムを通して社会にこの運動を発信することなどの改革案が挙がった。
公募展、コンクール、個展、グループ展等それぞれの発表形態が花開き、その中で作家が競い合っていた時代だった。各作家は自分の作品の評価を得るために、個々の個性に基づくスタイルや世界観を必死にアピールしていたが、それゆえにその過熱化した争いは、技術や素材の過度の主張となり、果ては新奇性や小さな差異を求めるようになった。そして評価を得たスタイルに固執する現象も見られた。私もいろいろな展覧会にちょこちょこ手を出してはいたが、それらはエネルギーに満ちたものでもあった反面、ある種の不毛さも漂わせていた。
その中で、CAFは1年に一度帰るべき場所だったような気がする。ここだけは戦いの場ではなく、自分にとっての価値観をそのまま素直に提示できる場だった。創作活動本来の自己目的性をそのまま展覧会の価値体系にしている稀有な団体だったのだ。

2004年に10年間のC・A・Fの活動を締めくくり、CAF.N(ネビュラ)に組織改編した。
「ネビュラ(Nebula)」とは「アートの交流を渦巻き状に展開する」という理念による命名だった。その理念の下、私自身2007年に「CAF.N松江展」を開催した。その際には、狭いセクトに捕らわれず表現の現代性と多様性で人選することを基盤にし、この地域に現代美術の在り様を示すことや、美術家同士や地域との交流などを求めて企画運営した。それは一応はできたとは思うが、地方展の開催にはいくつか疑問が残った。

それとは別にこの団体が目指すものは、表現の現代性-同時代としての現代美術たりえているか-を問うこと、つまり美術の動向に対する開かれた目を持つ姿勢なのだと思う。それが、内部の評価を得ることに気を配るような公募団体の閉じられたシステムとの相違点である。
それは芸術や娯楽の相互浸透や総合が行われているこの時代にあって、自らの制作メディアとスタイルが、他のあらゆる表現形式の中で、なお「世界と人間」を表すのに足る力を持ち得るかを問うことである。美術が現代において、IT機器や他の形式では到達し得ない世界の様相や、人間の心の不可知な部分への浸透を可能にさせる優れた形式であることを、証明して見せなければならない。

美術という形式の価値を、個々の作家が表現の中で証明しつつ集うことが現在のCAF.Nの使命であると考える。またそれが自分自身の存在証明でもあると思っている。


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