エルリッヒ展・野生展(2017.12.12)

○レアンドロ・エルリッヒ展 (森美術館)

エルリッヒ展は一人では行かないほうがいいよ、と友人から聞いていたけど、その通りだった。確かに面白いし、インスタ映えする写真が撮れるけど、一人では作品に入り込んだ時に、自分で自分が撮れない。キャッキャ言って写真を撮り合っているグループを見ると「チッ、うるさい」とか思ってしまう。
エルリッヒは基本、鏡と空間と映像を使い錯覚を起こし、虚実をないまぜにして、人間が「こうであるはずだ」と思う既成概念を壊してしまう。人の感覚や行動がいかに慣用に囚われているかを暴く批評性があるから美術になっている、とか思っていたら、最後の「建物」は理屈抜きで面白い。単純な仕掛けなのになんでこんなに楽しいのかってくらい。これは誰かと来ないとインスタ映え写真が撮れないよ。

エルリッヒ展
エルリッヒ展
エルリッヒ展
エルリッヒ展
エルリッヒ展

それから、こんなこと書いていいのかわからないので、カッコに入れて書くけど、エルリッヒ展を出て同じ階で開催していたMAMコレクションとプロジェクト展のハンディウィルマン・サプトラやディン・ミッチェルの作品、はたまたミュージアムショップでやっていた長井朋子の作品が面白いと言うかすごくて、ひょっとしたらエルリッヒよりもいいかも…と思ってしまったのは残念なことなのか、それともエルリッヒを見に来たからこれらの作品も見られたと喜ぶべきなのか…

ハンディウィルマン・サプトラ
ハンディウィルマン・サプトラ
ディン・ミッチェル
ディン・ミッチェル
長井朋子
長井朋子

○野生展(21_21デザインサイト)

もう結構歳とったし、最近は風邪から中耳炎になったりで、すっかり元気がなく、これを見ても野生的になれるなんて考えてもいないですが、どんな展覧会だかよくわからないところに惹かれて入ってしまった。
この展覧会の「野生」の基本的な解釈は、南方熊楠の「縁起」という概念に因っている。「縁起」とは西洋近代科学的な固定された因果関係で物事を理解するのではなく、世界の実相を潜在空間に隠されている部分も含めたネットワークでできているとするもの。その「縁起」ネットワークを結合する「脳力」の力で野生を生み出すことが出来ると考えるらしい。この「縁起」の世界では対立関係はなく、全体が部分であり、生が死でもある。
そのようなダイナミックな生命感から、展示には古代の土偶があったり、未開の地のお面があったりする。でも、総じて展示がソフィストケイトされているといってもいいくらい整然としているので、理性を超えた野生的エネルギーは伝わってこない。こんなテーマなら、主題と形式を一致させようとは考えなかったのか。いっそどこか制御できないくらいの展示手段があってもいいのではないかと思ってしまうが…まぁ無理か。でも、どこから生まれるのかわからない色と形で妖しく魅力的な絵本を作っていた田島征三が、植物を使ったインスタレーション作家として華麗な変貌を遂げている姿や、僕らの時代のヒーローの一人である黒田征太郎の、衰えを知らない作品(やっぱり少し衰えたかな)を見られたのだけでも行ってよかった。

野生展
野生展
野生展
野生展(田島征三)
田島征三
野生展(黒田征太郎)
黒田征太郎
野生展
野生展

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