随想2

[Contents]
  1. アクリル絵具とのつきあい
  2. 「SEED展」について[1]
  3. 「SEED展」について[2]
  4. 「SEED展」について[3]
  5. NEW YORK HANGING AROUND

「SEED展」について[1]

 昨年8月17目から22日まで、島根県立美術館・般展示室1・2において、「第2回SEED展」が開催された。「SEED展」とは筆者(島根大学教育学部芸術表現教育講座教授—美術専攻・絵画「担当)のゼミを専攻し卒業した者(有志)と、現役のゼミ生(と新井本人)による合同絵画展の名称である。
 2001年7月に第1回展を催して以来3年ぶりの展覧会であった。当初この展覧会を企画したときには、ある程度は定期的に開催したいという意図はあったものの、社会に出てから制作を続けることの困難さも承知はしており、次の予定は立てられなかった。よく第2回展が開けたものだというのが正直な感想である。
  この展覧会の意図について筆者は、第1回展で観覧者への「メッセージ」として次のように書いた。

 「SEED」とは「種をまく」とい う意味です。展覧会を企画すること(種をまくこと)で、絵画を勉強した学生か卒業後も自分の絵画制作をするための機会を作ろう。そしてその種を育てていこうという思いを込めて「SEED展」と命名しました。
 卒業生たちの多くは教職に就き、またそうでない者も、何らかの形で芸術に縁を持ち続けている者が多いのですが、日々の忙しさの中で自分の絵を描き続ける事はなかなか大変なようです。
 しかし指導をしてきた者としては、卒業してからも絵画制作を続け自分の生活の糧として欲しいという思いがあります。
(中略)
 絵画を描くということは自分が生きていることの根本的な意味を問う作業であり、それは入間が生きている間、背負わなければならない問題です。
 私は私の卒業生達にも絵画制作を続けることで、日々の生活を貫いている根幹としての生き方の問題を考えてほしいと思うのです。
(後略)
 本号の拙文「「絵画基礎概説」による芸術教員養成授業の試み」(P11〜14)でも述べたが、絵画というものを自身の生き方と深く結びつくものとして位置付け、杜会に出てからも制作を続けるための一助になるように、このグループ展を企画したわけである。卒業してしまえば自分の学生ではないというのも正論かと思うが、絵画を通して人と繋かっていけることのほうが、そんな指導者や学生などといった制度的な区切りより大切だと思う。
 参加者は、筆者が13年前に島根大学に赳任したときに4年生であった名(現在35歳)から、去年3月の卒業生までの13名と現ゼミ生(22歳)5名の計18名であった。

 この展覧会を開催するにあたり、絵画を専門に勉強してきたものの自負と責任において、作品はある程度の大きさのあるものにしようと話し含った。もちろん大きさだけが問題ではないが、「素人が趣味で描いています。」といったものとは違うのだという厳しさをもって臨み、その決意を具体化するために、島根県立美術館一般展示室1・2という広いスペースを使用した。
 本ページの[写真1]と62ページの [写真2]にあるように、ほぼ全員が100号程度の大きさを2,3点出品しているのがお分かりいただけると思う。卒業生とはもちろん簡単に会ったり助言できる訳ではない。したがって私としては、作品については彼らの責任において作り上げること、またそれがどういうものであっても、かつての私の指導の結果である(あり得る)-いい訳できない-という事を自らに言い聞かせて展覧会に臨んだ。しかし、ふたをあけてみると卒業制作よりしっかりしたものが多く集まり胸をなでおろす気分だった。
 この欄の企画では山陰の美術展覧会を批評することになっているが、私自身が深く関わり、かつ出品している展覧会の展評をここでするのは違和感がある。そこで私が出品者を大学で指導したという立場から、今回の出品作品を本人が卒業時に提出した作品(卒業作品)と比較して、コメントしてみようと思う。つまり作品そのものの批評だけでなく、卒業から現時点までどのような変化があったかを作品から考え、またそれを通して彼らにとって絵画制作とはどういうことであったかを検証してみたいと思うのである。


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