芸術論集/絵画制作の理念とアクリル技法をめぐって(2)・1

絵画制作の理念とアクリル技法をめぐって(2)[1]

 On the Concepts of Painting Works and the Acrylic Techniques (Part2)
 (島根大学教育学部美術科教育研究室/美術論集第2号/平成8年3月)

1.はじめに

 近代以降,絵画が「それを求める人間の人生とのっぴきならない関係」(1)にあるとすれば,絵画はまずその作者の「精神の状態」にあると言わねばならない。またその「精神の状態」がその内実を構造化しようとし,ある絵画形式をとるとき,美術の歴史からの参照あるいはそれへの批判として現れる。そう考えると,作者は自分の立つべき場を,美術史上の文脈と現在(今・ここ)の生の交差の上に持つとも言えよう。
 前稿(「絵画制作の理念とアクリル技法をめぐって(1)」)では,主に美術史からの影響関係をもとに,筆者の制作理念と絵画形式を構築していく過程を説明したが,本稿においては筆者の精神の状態——筆者を捉えていたことがら——を再現し,それを絵画制作においてどう問題化しどう解決しようとしたかを,当時影響された事柄を中心に解説しようと思う。
 当然の事ながら,この様なことが客観的に可能であるとは考えられない。当時の記憶も正確でないし,またたとえ当時に戻れたにせよ,その影響がどのように自己の絵画に結ぴつくのかは図り知れるものではない。毎度のことながら,これはあくまで一制作者としての自己解明の願いであり,自分の生き方や考え方の確認である。

2.問題の所在

 本稿で取り上げるのは.前回の「CUBIC STUFF」シリーズの4年後に制作した「博物誌II—BIRD—」(1987)(図版1)「PEANUT PLAN」(1988)(図版2)の二点である。これらの作品を制作するに至る「精神の状態」とは筆者の生きる姿勢の問題であり,結局「生きる意味」や「世界・宇宙の成り立ち」といった哲学的な探求の過程における「心のゆれ」である。
 「生きる意味」などというものは,答えのでない問題であろう。筆者は「意味」や「本質」の回りを堂々巡りをしたが,それらはついには近づき得ぬものであった。真の現実や世界というもの,あるいは自分というものには接触し得ぬという疎外感,虚無感が筆者を襲っていた。また,この虚無の中にあって「意味などない」と思いつつも,なお「意味を求める」意識の宿命と言うか,飼い馴らし難さを思い知ったのであった。
 これには筆者が青春を生きた70年代という時代が,「喧騒」と「混乱」の60年代のあとの「沈黙」,「凪」の時代としてあったことが,筆者の意識に大きく働きかけていたこともあろう。新しいことはもうすでに60年代までになされてしまい,70年代とはその「残務整理」の時代のように思えた。絵画制作においても,今後取り得る形式はないのではないかという行き詰まりを露呈したのは,前稿で述べたとおりである。先にも進めないし,逆戻りもできない「袋小路」に自分が迫い詰められたような感覚。70年代という時代はこんな行き場のない時代だった。
 ともかく,筆者は《無意味》への圧倒的な傾斜のなかで《意味》に執着し続けざるを得ず,人間存在における《意味》と《無意味》の争いのただなかで立ちすくんでしまった。そんな「自分の存在に関わる危機感」を抱いていたというのが,当時の「精神の状態」である。
 人間存在における《意味》と《無意味》の争いとは,芸術の問題に言い換えれば《形式》と《内容》の争いということであり,また「自分の存在に関わる危機」は「絵画の存在に関わる危機」とそのまま重なる。そして,その危機を他ならぬその絵画制作によって打開しようとすることが筆者の制作であり,作品はその一つの答えである。それが筆者にとって,絵画が「それを求める人間の人生とのっぴきならない関係にある」ということの意味である。
 前稿においてはその方法として,美術の文脈からポップアートの理念と形式を参照したことを述べたが,本稿ではポップアートと同様に筆者を開放し,生と制作の基盤になった「ノンセンス」の概念と,村上春樹の小説について概説し,筆者の絵画が「精神の状態」からどう生まれたかを述べてみたい。

[註]

  • (1)拙著「絵画制作の理念とアクリル技法をめぐって(1)」『美術論集第1号』
    (島根大学教育学部美術研究室,1995)p.46
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