芸術論集/絵画制作の理念とアクリル技法をめぐって・3

絵画制作の理念とアクリル技法をめぐって(1)[3]

 On the Concepts of Painting Works and the Acrylic Techniques (Part1)
 (島根大学教育学部美術科教育研究室/美術論集第1号/平成6年7月)

4.作品について

 70年代当時、筆者を捉えていたのは、例えば「伝達の不可能性」や「私の非在化」といった事柄であり、これらを絶対的な前提とせざるを得ないのではないかという問題であった。私たちは「どこへも行けない」し、「他者や現実と触れ合えない」のである。そんな無力感を強いられ、そのことに逆にアイデンティティーを感じていた。ポップアートの自己放棄と居直りによる絵画形式は、正にその具現化として筆者を捉えた。

「16 CUBIC STUFF」—その理念と方法

 筆者の作品はポッブアートの完全な引き写しではない。画面を埋めるべく採り上げた擬似立方体(CUBIC STUFF)は筆者の独創であり、イリュージョンによる表現である。しかし、それを極めて形式的に「杓子定規に凝り固まった」ように描くことで、感情移入を拒否する態度を作った。イメージを記号論的に限定し図式化することで、表現の極小化を図った。
 これらの形態は現実に介入しない。形態を遊戯的に扱うことで空無を作り出し、現実との接触を回避する方法論をとった。
 「内面」を語ることを断念した者が、そこからなお言葉を発しようとしたら、修辞的、遊戯的にならざるを得ず、ただそれ自体の中で劇化され、それ自体の中で回収される性質のものとなるはずである。筆者の作品のスタイルも必然的にそうなった。
 筆者は画面を一つの観念的なゲームの場とするため、そのルールとしての法則とそれに基づくスタイルを作った。それらは、

  • 基本単位として形式的な立方体を擁し、その中で色、素材感、形態の変化、組み合わせをして構成する。
  • その形は立方体的な見え方を崩さず、線や面だけで成立し、意味内容を極力持たないものにする。
  • 画面構成は、主題性やそれを得るための感覚的コンポジションが問題にならぬよう擬似立方体を規則的に配置する。
  • 色彩は、やはり美学的、造形的な基準の外に作品を置くために、デザイン的に色見本によりブライトトーンを12色環に従って同程度の頻度で使う。
などである。画面構成や色彩については、ウォーホルをかなり参照している。制作は自ら定めたこれらの法則に従って機械的に行われ、作品のヴァリエーションもこの法則の許す範囲内で作られる。
 この方法により内面的なリアリティ=「意味されるもの(シニフィエ)」を捨象した、「表面しかない世界」が生まれると考えた。それは「何とも触れ合えない」ことをスタイルとして一致させたことである。そしてその表面の世界で戯れるというノンセンスな活動により、アイロニカルなユーモアが生まれ「何とも触れ合えない」ことへの治癒がその裏に同時にあることを意図した。

「16 CUBIC STUFF」—その技法

 まず最初にあげなければならないのは、アクリル絵具の使用についてである。前述のように、筆者の作品はその場の恣意や感情が入り込まないよう、あらかじめ決めたシステムに従って機械的に制作されなければならない。このことが描くことの個性や技術といった表現の問題を回避させることになる。その点で油絵具の優秀性はかえって障害となった。筆者は1978年に油絵具からアクリル絵具に描画素材を替えたが、アクリル絵具の表面的で無機的な発色、マスキングテープやエアーブラシが使い易い、展色性が良く平塗りし易いなどの特性は、筆者のコンセプトの実現になくてはならないものであった。また、油絵具を棄てたことにより「油絵の伝統的重みの呪縛から逃れた解放感」(10)は例えようもなくすがすがしいものであった。筆者にとって、油彩からアクリルに転じたことは、単に描画素材を替えたのではなく、制作の姿勢そのものの変革であった。
 筆者のスタイルを作り上げるために用いた素材と技法は次の通りである。

  • 基底材—パネルを使用。カンヴァスは麻布の凹凸と弾力が以下の作業のために不都合である。
  • 地塗り—ジェルメディウムを絶縁体として1度塗る。モデリングペーストに少量のジェルメディウムを加え、ヘラで数回塗り込み目止めをする。サンダーで削って表面を平らにする。ジェソを数回塗る。
  • 色—カラーチャートのブライトトーンの中から8色を選び、それを大量に作りビンに保管しておく。アクリルは濡れ色と乾き色が大幅に違い、また僅かな色の違いでもはっきり現れるので、後から同じ色は作れない。
  • 平面の彩色—すべてマスキングテーブで面を囲み、その中を3〜4回、ムラがなくなるまで平筆でベタ塗りをする。筆のタッチやマティエールを残さない。
  • 球や曲面の彩色—エアーブラシの吹きつけにより調子をつける。
  • 立体面の角—溝引きにより明・暗の調子を細い線でいれ、角を落とし、工業的な素材感を強める。
 感情移入を拒否するために記号的な形態を作り出し、その形態に恣意や感情が入り込まないように、上記のような機械的作業により制作する。「理念」—「スタイル」—「技法」の一致が絵画制作上、必要不可欠なことである。

5.おわりに

 筆者の制作に至る精神的変遷を辿ってきたが、美術史からの影響関係が図式的になり過ぎ、制作のための精神的混沌を訴えることが出来ずに終わってしまった。また、自己の創作について正直に書こうとすればするほど自分を裏切っているという感覚が付きまとうのは否めない。元々、「作品」そのものが「作者」への裏切りであることを考えれば、「作者」と「作品」との幾重もの「ズレ」の中にこそ真の姿があると言うべきであろうか。
 しかし、こういったことを自分なりに整理することは、少なくとも自分の制作のある区切りになると考えられる。また、芸術が存在し活動している限り、多様に散乱する作品の中で、1970年代に制作を始めた一制作者の精神史に視点をあてることも無意味ではないだろう。その意味でこの拙文は、一制作者からの、あえて対象を言うなら他の制作者にあてた一種の報告書である。
 勿論、ここに書かれていることが全てではない。特に、コンセプチュアルな考え方やノンセンスな芸術の意味などについては僅かに触れただけである。また、この後十数年の間に作品もかなり変化している。これらについては、稿を改めたい。

[註]

  • (10)新井知生「現代日本絵画の一断面—アクリル技法を通して—」『島根大学教育学部紀要 第27巻2号』(1994)P.44
    このあたりの事情とアクリル技法についてはこれを参照していただきたい。
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