芸術論集/現代日本絵画の一断面・2
現代日本絵画の一断面—アクリル技法を通して—[2]
Aspects of Contemporary Japanese Art—through Acrylic Technique—(島根大学教育学部紀要(人文・社会科学)第27巻2号/平成6年3月)
3.素材による現代日本絵画の分析とアクリル絵具の浸透度
この章では現在の日本の絵画における各種素材の使用度とその用法,またその中でのアクリル絵具の位置を代表的な展覧会の様子を見ることにより明らかにしようと思う。そしてそれを単なる統計としてではなく,素材の特質と表現技法やコンセプトとの関わりを考察することによって進めてみようと思う。
まずは昨年度(1993年度)の第36回安井賞展を調べてみる。安井賞展とは周知のように故安井曽太郎(1888-1955)の偉業を記念して,1957年より開催されている推薦制による具象画のコンクールである。「安井賞」はよく絵画界の「芥川賞」であると言われているように,権威のある展覧会には違いないが,いくつかの問題も抱えていると思われる。例えば抽象と具象をどう分けるかが再三論議をよんでいる。そのことは単純に形態が分かるか分からないかということだけでなく,コンテントの問題として考えなくてはならないと思うのだが,それについてはあまり論議されていない。本来の現代美術(前章の1,2と3の一部)においては抽象,具象を分けること自体がナンセンスであり,せいぜい平面と立体という分け方しかない。(部屋全体を作品の場とする環境的作品—インスタレ一ション—もあり,作品を種別に分けること自体も無効にしている。)したがって安井賞展が権威を持っているのは前章の4,5,6と3の一部の作家にとってであると言える。当然,本年度安井賞展の顔ぶれは全入選数47点のうち,在野系公募団体(前章の4)所属者37名,日展系公募団体(前章の5)所属者3名,無所属(前章の3とその他)7名ということになっている。
その安井賞展の入選作を素材によって分類すると表1のようになる。キャンバスに油絵具を使用した作品が圧倒的に多いのは,安井賞展の対象になる作家においては油彩が今でも最も愛好されていることを示している。安井賞展入選者が公募展作家のトップだとすると,もっとすそ野の美術家のほとんどがキャンパスに油彩という素材でしか絵を描いていないであろうことは容易に想像できる。
点数(%) | ||
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キャンバスに油彩(含コラージュ) | 22(47) | |
キャンバス、パネルにアクリル(含コラージュ) | 9(19) | |
ミクストメディア | キャンバスに油彩・アクリル | 6(13) |
キャンバスに油彩・テンペラ | 5(11) | |
その他の素材による混合技法 | 5(11)(内アクリルを併用3) | |
計47点 |
ミクストメディア(Mixd Media, 二種類以上の素材を併用している作品)の中に油彩とアクリルの併用が6点ある。アクリル絵具は水性であり,油絵具の上には当然のことながら使用できない。したがってこれは多くの場合,油彩画の下地としてアクリル絵具を使っているということである。油絵具で描く前にアクリル絵具を使う理由は,一つは油絵具は乾燥の為に数日置かないと重ね塗りができないのに対して,アクリルは乾燥が速く継続的な制作が可能であること。つまり、ある程度までアクリル絵具で描くことによって制作時間を短縮できるという便宜的理由である。二つめはジェルメディウム,モデリングペースト等のメディウム類を駆使することにより,絵具の厚みを増し下地として効果的なマティエールを,やはり短時間で作り上げることができることによる。アクリルと油絵具の併用は,アクリルの速乾性とメディウム類の盛り上げ効果を利用しているが,最終的には油絵具の発色や肌あいを求めていると言えよう。
油彩とテンペラの混合技法が数点あるが,テンペラ(伊,Tempera)とは油絵具が発明される以前(13,14世紀),主に祭壇画に使用されていた古典描画素材である。近年,テンベラやフレスコ(伊,Fresco)(11)といった古典技法を使う作家が増えている。昨年度はフレスコはいないが、1991年の第34回の安井賞展ではテンペラ5,フレスコ1,一昨年の第35回ではテンペラ6,フレスコ1となっていて,古典技法作品はコンスタントに見られるのである。古典技法が見直されているのには,アクリル絵具という新しい素材が生まれ,油彩画には見られない新しい表現が出現したことが大きく関係していると思われる。アクリル絵具やメディウム類の使用は,基底材の工夫や混合技法の開発など表現の可能性を広げた。それが1960年代からの絵画解体の世界的な流れのもとで,油彩の絶対性を崩し,作家に改めて素材を意識させる契機となった。油彩表現のゆきづまりとアクリル絵具の誕生は,絵画制作を素材にまで遡って探究する姿勢を作家に促した。古典素材の使用は確かな知識と経験が必要であるが,それだからこそ好まれているのである。自ら絵具を作り複雑な行程を辿りながら制作するという素材との接触体験の中から制作の確かな感触を得,独自の表現を探ろうとする姿勢は近年の特徴であろう。
「その他の素材による混合技法」とは,金・銀箔,石膏,水彩紙,木,発泡スチロールなどを油絵具やアクリル絵具と併用するもので,これらは主にコラージュされて,キャンバスとは異なる質感を作っている。このような多種の素材の使用も,油彩による様々な技法がやりつくされ見慣れてしまった為,表現としての強さを持ちえないという閉塞的状況を打破し,新鮮な画面を造りだそうという意図によるものである。しかし,言うまでもなく新しい素材が新しい絵画を生み出す訳ではなく,自らのコンセプトを表現方法の上でどれだけ強く打ち出せるか,コンセプトと素材やその技法がどれだけ直截に結びついているかという基本を見据えなければならない。安井賞展等の選評でよく,
「仕上げのやり方が巧みになり,作品としてうまく見せる技術が進んできたということである。しかし常になにか充足されないものが残るのである。初発の発想から表現へと直接にもってくる迫力が乏しくなっているのを感じざるを得ない。」(12)などと言われるようにコンセプトが確立していない,また表現として成熟していない例が多いのである。
「(前略)表現として血肉化されなければ見る側に訴えかけてくることにはならない。この骨に血肉の巻きついていかない無残なケースがいっこうに跡を絶たない。」(13)
次にアクリル絵具について見てみると,混合技法の中での併用も合わせると18名いる。その使用率は18/47≒38%となる。前年,前々年の第35回,第34回の安井賞展で同様にデータをとってみると,第34回(1991年)のアクリル使用率は14/53≒26%。第35回(1992年)では19/47≒40%となっており,ほぼ1/3に達していることがわかる。これを16,17年前の第21回展(1978年),第22回展(1979年)と比較してみよう。第21回展では全出品作品73点のうち油彩70点,フレスコ2点,油彩,アクリル,インクのミクストメディア1点となっており,アクリルの使用率はわずか1%である。第22回展では全出品作品78点のうち油彩71点,アクリル5点,フレスコ1点,水彩1点となっており,アクリルの使用率は6%である。1977年以前の作品集には素材の表示がない。当時はほとんどすべての作品は油絵であり描画素材について考慮されていなかったことが窺い知れる。
以上のことから15年ほど前にはアクリル絵具を使用していた作家は数えるほどしかいず,1970年代後半の定着後わずかの間に急速に普及したことは間違いない。
次に前章の3にあたる第15回エンバ美術賞展(1993年)から素材による作品の分類をすると,表2のようになる。分類してまず分かるのは素材が多様であり分類が困難であるということである。エンバ美術賞展は1977年立体と平面の現代美術作品を対象として開催されたコンクールであるが,1986年立体部門が廃止され,その後現在に到るまで平面作品のみのコンクールとなっている。平面とは立体に対し二次元作品(壁に掛けられる作品)の総称でありその中のジャンルは問われない。したがってこれらのコンクールには版画,写真(美術作品として写真というメディアを使用しているので一般的な写真の概念とは違うが)なども含まれるし,いかなる素材を用いてもそれがある程度平面的に処理されていれば平面作品として出品できる。エンパ美術賞展では安井賞展が問題としていた具象,抽象という枠組みは勿論,絵画という枠でも括られていない。それは現代美術で各ジャンルの相互浸透や総合が行われていることの反映である。各ジャンルがそれぞれ独自の純粋な表現様式を確立しようとした流れが「近代」の大きな特徴であった訳で,その「近代」に代わる「現代」を発露しようとしている点にこれらのコンクールの意義がある。
点数(%) | |
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アクリル絵具 | 13(20) |
アクリル絵具を主としたミクストメディア | 13(20) |
油絵具 | 8(12) |
油絵具を主としたミクストメディア | 1(2) |
アクリル絵具,油絵具を除くミクストメディア | 9(14) |
版画(銅版,シルクスクリーン,リトグラフ他) | 13(20) |
写真 | 3(5) |
その他の素材の単独使用(木,墨,ダンボール,鉛筆他) | 5(8) |
計65 |
各ジャンルが同じフィールドで競われるので,作品の評価は,例えば,絵画の描写等の技術の問題は二次的なもので,ある平面がいかにして表現として成立しているか,そのコンセプトと視覚的状態の有様が問われることになる。既成の—いわば「近代的な」—芸術観に安住することなく自ら新しい芸術へのコンセプトを持つことがこうしたコンクールに応募する第一歩となるのである。前述の安井賞展の作品の多様性がスタイルの多様性であり,作家の個性や個人的嗜好の微妙な差異を競っている感があるのに対して,この種のコンクールの作品の多様性は平面芸術とは何かという根源的な問いに対する答えの多様性となって現れる。したがって単にアクリル,油絵具といった素材の分類をするだけではあまり意味はなく,コンセプトと表現と素材がどう結びつくか,その内容への言及が必要となるが,詳しくは次章へゆずるとしてまずはこの表をもとにして考察してみたい。
アクリル絵具の使用率は26/65=40%と最もよく使われており,油彩の9/65≒14%との対比を際立たせている。絵画の今日的表現にとっては従来の油彩表現よりアクリル表現のほうがそのアプローチの為に有効であることが窺える。1960年代以降の絵画に現れる特質は過度な自己表出を否定する姿勢であり,作家の個人的体質や情感を豊かに表現できる油絵具の優秀さは逆に否定されるべきものとなってしまった。発色の明快さや無機的な表情を持ったアクリル絵具が急速に使われだしたのはこの理由による。しかし,今日ではアクリルの素材も多種になり,作家も様々なアクリル技法を開発して,単に簡潔な表現への指向だけがアクリル絵具に求められているものではなくなっている。エンバ美術賞展でもアクリルによる様々な表現が見られるのである。
近年,版を使う作品が増えていることも,このようなコンクールの特徴である。表2の「写真」も広い意味で「版」と考えて(プリント=複数制作という捉え方から「版」のメディアと考えられる)全休の16/65≒25%が版作品である。またアクリルの作品の中にもその制作過程で版を使っているものもあり(アクリル絵具でシルクスクリーンの印刷が可能である),実際は版形式作品は相当の数にのぼる。直描きでなくいったん版を作りそれをプリントという機械的行程を経て作品化することにより,直接的な自己表現から機械とインクに委ねられた「跡」となった表現に転化することが,表現の今日性を獲得する要素になっているのである。また近年の版画は写真製版によることが多く,作家が主観的にとらえた形態とは別の客観的リアリティの提示が可能である。それが今日のリアリティとは何かという命題に対する表現として有効となっていることも版画が注目されている所以であろう。
「その他の素材」とは描画素材をまったく使わず,木を削ってはり合わせたものやダンボ一ルや和紙をそのまま,あるいは燃やして作品としているものである。これらは絵画におけるコラージュとは異なり,ある加工をほどこしてはいるが物質そのものを提示するものである。「イメージ」に対して現実につながる「物的素材」の提示を作品とするものは,フェルナンド・アルマン(Fernandez Armand 1928-)等,「ニュー・リアリスト」たちのアッサンブラージュや,Γ造形的な意識を粉々に砕いて無に帰した60年代末期の『モノ派』」(14)以降一つの流れとして続いている。
エンバ美術賞展のような現代美術のコンクールでは,安井賞展や公募展より新しく思い切った表現が見られるが,それは素材や技法に対する様々な試みと呼応している。これらの作品は従来の素材と「描く」という行為を単純に結びつけては考えられない。アクリル絵具の使用は増してはいるがその扱い方は千差万別である。そのことは逆に作家の研究によりいろいろ新しい表現が可能なアクリル絵具が好まれているということにもなろう。
[註]
- (11)壁画技法。漆喰壁がまだ乾燥しないうちに、顔料に水を加えた絵具で描く。13世紀末から16世紀までが黄金期である。
- (12)本間正義「第34回安井賞展の選考を終えて」〈第34回安井賞展カタログ〉
(財団法人 安井曽太郎記念会 1991)頁なし - (13)三田晴夫「ゆったりと膨張してゆく魅力〈丸山直文展〉」『毎日新聞』(1992.9.16)
- (14)三田晴夫「透徹した世界を成就〈李禹煥展〉」『毎日新聞』(1993.4.28)