芸術論集/現代日本絵画の一断面・1

現代日本絵画の一断面—アクリル技法を通して—[1]

 Aspects of Contemporary Japanese Art—through Acrylic Technique—
 (島根大学教育学部紀要(人文・社会科学)第27巻2号/平成6年3月)

1.はじめに

 油彩画は五百数十年の歴史を持つ。(1)この長い歴史の中で,芸術家は油絵具という描画素材を通して様々な表現能力を身につけ,今では世界の共通言語として油絵具は完全に定着している。多くの人々が傑作として思い浮かべる名画のほとんどが油絵作品であることは,油絵が広く一般に親しまれている証明であろう。
 日本における油絵の歴史はまだ100年あまり(2)であるから,西欧の伝統の重みに比べるべくもなく,しかもその摂取,発展の中で未消化の部分が多く,いわゆる日本的な油彩画として弱々しく歪んだ形で独自の展開をしているという問題もなくはない。しかし,日本においても絵(タブロー)といえば油彩画であるという観念は既に定着している。
 一方,アクリル絵具という描画素材が絵画において初めて使用されたのは1960年代初頭である。いわゆる「カラ一フィールド」と呼ばれる抽象画家,マーク・ロスコ(Mark Rothko 1903-1970),モーリス・ルイス(Morris Louis 1912-)等から,「ハードエッジ」「ミニマル・アート」のケネス・ノーランド(Kenneth Noland 1924-), フランク・ステラ(Frank Stella 1936-)等へと続く画家達によってこの新しい水溶性の絵具が使われた。したがってまだ30年あまりの歴史しかない。しかし,すでに1970年代後半には,アメリカの画材店の店頭では,「油絵具の占めるスペースはアクリル絵具の三分の一程度」(3)となるほどアクリル絵具の需要は増している。日本では1960年代に,ペニー&スミス社の「リキテックス」絵具が輸入されアクリル絵具の使用が始まった。当時は,「『制作材料・リキテックス』と表示されたものを展覧会場でよくみかける」(4)ほど「リキテックス」はアクリル絵具の代名詞的存在であった。私自身がアクリル絵具を使用したのは1978年からであるが,やはり「リキテックス」と記入した覚えがある。しかし1960年代後半には国産品も提供されるようになっており,現在ではマツダ絵具,ホルベインエ業,ターナー絵具,ニッカー絵具,アートカラーなどの各メーカーが各社独自の名称をつけてアクリル絵具を製造販売している。ホルベインエ業によれば,生産量については企業秘密で具体的な数値は示せないが年々増加しているという。アクリルは絵具の他にメディウムと補助剤が多数あるが,色数は70色以上に増えメディウムや補助剤も新製品が次々と開発されている。アクリル絵具は一般的にはまだ油絵具ほどの知名度はないとはいえ,今やその種類,質,量とも油絵具にひけをとらないものとなっている。
 何故アクリル絵具は急速に広まったのであろうか。実際,日本絵画界においてアクリル絵具による絵画はどの程度浸透しているのであろうか。またそれはどのような表現スタイルを持ったものであろうか。本編では描画素材による作品分析をし,その多様な表現の中でアクリル絵具を使用した絵画の特性を探ってみたい。

2.日本絵画界の諸層

 現在,日本における絵画の状況は複雑多岐を極めている。その中には,現代美術の最先端の部分で新しい絵画を模索している作家から,趣味で花を描いている婦人まで合まれるし,一つの展覧会でもその表現スタイルは作品の数だけあると言っても過言ではないであろう。日本中で今までの歴史的表現様式のほとんどすべてが見られるというまことに雑然とした様相を呈している。評論家の河北倫明は「今日は多様性の時代ではなく,多元性の時代だ。(中略)一つの原理で万事を整理できていた時代が通り過ぎて,在来のやり方ではどうにもならぬところにきている」(5)と今日の絵画表現の在り方の基準のなさ,その不確実性と混乱ぶりについて語っている。「多元主義(プルーラリズム)」とは,

「あるひとつのものだけを主流とみなす考え力の,反対に位置する考え方である。多元主義においては複数の様式(スタイル)は互いに共存し,そのうちのどのひとつの様式も他と比べて特別に大きな支持を受けたり,関心を集めたりすることがない。」(6)
ことであるが,多くの美術団体やグループがそれぞれ内輪内の活動に終始し,お互いの交流はあまりないばかりか他の作品を理解しようともしない日本の状況は,確かに多元的であるといえよう。その全体を見て日本絵画界の状況を包括的に述べることは不可能であろう。本稿を進めるにあたって,まずどのような絵画に焦点をあてるか明らかにしなければならない。その為,日本絵画界の全体像を発表形態を基として,構造的に次のような6つの層に分類する私案を試みた。この分類の視点は表現の現代性である。表現の現代性とは「“いま・ここ”を最もビピッドに呼吸している」(7)こと。そして新しい価値の創造をめざす姿勢があることである。芸術には様々な意義があるだろうが,このことが芸術に求められている最大の使命であると考えるからである。
 1.現代美術史の最先端の状況の中で新しい実験的制作を進めており,それが現代美術の評論家達の支持を受け,国内外の企画展(「ヴェネチアビエンナーレ」,「カッセルドクメンタ」,「ハラアニュアル」等)にノミネートされ発表される作家群。日本の現代美術を代表する存在と言ってよいであろう。「現代美術史の最先端の状況」が何であるかは,1980年代以降の状況が凄まじく混沌として評価が定まっておらず,またそれについて言及するのは本稿の旨ではないので私見を避けるが,少なくとも1970年代に顕著になったモダンの終焉とポストモダンヘの解釈を鑑賞者に促す表現になっていることが前提となろう。代表的作家として辰野登恵子(1950-),長沢秀之(1947-),丸山直文(1964-),中村一美(1956-)等が挙げられる。
 2.既存の美術団体に属さず,主に画廊での個展を中心に発表を続けている作家群。1の作家に連なる若手の作家達。(1の作家のほとんどは画廊での個展から評価を受けたものである。)やはり既成の美術観に捕らわれることなく、新しい実験的作品を世に問うている。ただし,画廊による個展が画廊企画である場合は一定の評価を得たものであるが,貸画廊での発表は無審査であることが多く評価は定まらない。したがってこの作家群は玉石混交である。有能な新人を輩出している画廊は,コバヤシ画廊,鎌倉画廊,ルナミ画廊,ギャラリー山口等がある。
 3.現代美術系のコンクール(「現代日本美術展」,「エンバ美術賞展」,「ABC&PI展」等)を主な発表の場とする作家達。コンクールだけに出品している作家はそれほど多くなく,コンクール応募以外に個展,グループ展での発表や4の在野系公募展での発表と並行していることが多い。つまり1,2,4およびその他の無所属の作家の中で,自らの作品の独自性を他と競う姿勢のある作家がコンクールの出品者である。またその審査員は現代美術の評論家や美術館館長がいくつかのコンクールをかけ持ちしてあたっている。
 4.在野系公募団体(8)に所属する作家群。在野系公募団体にはニ紀会,新制作協会,独立美術協会,行動美術会,一陽会,自由美術協会,国画会,モダンアート協会などがある。東京都美術館を毎年一回の発表の場とするグループ。東京都美術館を使用する公募団体は年間で百数十あるが,会によってまた会の中でも作品の質は千差万別であり,上記の団体のように有名作家を擁し,ある程度評価の定まっている団体は少数である。また、各団体が生まれてから数十年を経た今では設立時の精神や理念は形骸化し,どの団体も独自の表現様式を持っているとは言いがたい。「全体として『類型化』『旧態然』の感じがぬぐえない」(9)のが現状である。
 5.日展系公募団体に所属する作家群。日展系公募団体には光風会,東光会,示現会,白日会,一水会などがある。4と同様,東京都美術館での展覧会を中心に活動している美術団体。日展が頂点であり,各団体の会員は日展に入選すること,またその会員になることを目標とするという非常に閉ざされた活動に終始している感がある。公募展とは多人数が委員,会員,会友,一般などの階級的集団を作って権威を保つ日本独特の制度であり,組織を維持,拡大するという宿命の為,今では芸術的価値の創造という本来の機能をほとんど果たせないほど疲弊しているように思える。これは4の在野系公募団体でも同様なことが言えるが,日展系ではより保守性が強く,展覧会は「総じて年に一度のお祭りか,師弟関係によるおさらい会の空気」(10)が漂っているのである。
 6.県展,市展等,地方公募展に応募し入選—入賞—会員をめざすグループ。県展や市展の審査員というのは4,5の会員である。そこに応募するのは会員のもとでの勉強会や指導を受けているアマチュア,半アマチュアの人達が多い。そして指導者の所属する公募団体へもそのつながりで応募することとなる。中央公募展と地方公募展とは人的に密接な関わりがあり,地方公募展とは地方支部のようなものである。日展系の公募団体では,頂点としての日展に対してピラミッドの下部を支える存在と言える。こうした制度化した発表のシステムにおいては,新しいものを生み出すエネルギーはほとんどどこにもないと言ってよいであろう。
 以上,日本の絵画界の状況を構造的に6つの層に分けてみたが、個々の作家についてはその中で流動的に動き得るものである。例えば、地方展での発表しかなかった者がいきなり3のコンクールで受賞することや,公募団体を脱会し個展発表で注目を集めることはあり得る。しかし,4の会員が5の公募展に出品すること,1や2の作家が4,5,6の展覧会で発表することはまずあり得ない。また上記の分類のどこにも該当しない作家,例えば作品の販売を主な目的としてデパートや画廊で発表している無所属の画家など,1,2以外で個展を唯一の発表の場としている作家も多くいる。しかしその表現の指向は作家個々によってまちまちで,一つの層を形成してはいないと考える。
 上記の分類は大まかなものであったが,ここでの目的は厳密な分類をすることではなく,表現の現代性という観点からヒエラルキーを持った層が形成されることを示すことである。本稿で取り上げるべき絵画は,アクリル絵具という新しい素材との関わりで新しい表現を目指すものであり,それは現在の日本絵画界にあって影響を及ぼす力を持ったものでなければならない。その点でまず5,6は問題にならない。日展系公募団体の作品は総じて穏やかな具象画が多く,今日の絵画表現という問題と向き合っているとは思えない。表現の保守性に見合い,素材に対しても絵といえば油絵であるという既成概念を超えていない。4の在野系公募団体の作品は,世界的な現代美術の動向から言えば遅れた表現様式をとっているものの,「現代」というものを何らかの形で表現しようとする意欲があり,それが多様な素材による多様な表現として現れ,日本的な現代絵画と呼べるものを形成している。1,2は世界的な現代美術の潮流と最もコンテンポラリーな対応をしているが,現代では美術の各メディアの独自性が崩れており,それを絵画という一つのメディア,アクリルという一つの素材から分析をすることは根本的に無理がある。本稿で扱うのも不適当であろう。3は現代的でありなからコンクールという制約から作品が平面性を保っており,平面芸術の多様な表現が見られて興味深い。したがって私は現代美術系のコンクールと在野系公募団体の作品に焦点をあてて本稿を進めたい。

[註]

  • (1)油彩画の発明者とされるヤン・ファン・アイクが彼の代表作「アルノルフィニ夫妻の肖像」を描いたのが1434年である。そこからの算出である。
  • (2)「初期洋画家」の代表者,高橋由一が「鮭」を描いたのが1877年頃である。そこから算出すると120年程度の歴史ということになる。
  • (3)近藤竜男「簡素な表現への指向と非個性絵画」『美術手帖 4月増刊』
    (美術出版社,1979)p.111
  • (4)村松昌三『アクリル画の表現技法』(美術出版社,1987)p.35
  • (5)河北倫明『第36回安井賞展の選考』〈第36回安井賞展カタログ〉
    (財団法人 安井曽太郎記念会 1993)頁なし
  • (6)ロバート・アトキンズ(杉山悦子訳)『ART SPEAK. 現代美術のキーワード』
    (美術出版社,1993)p.120
  • (7)三田晴夫「ホットアート」『毎日新聞』(1993.9.10)
  • (8)今の日展につながる文部省美術展覧会から1914年に二科展が分かれて,所謂官展系と在野系の美術団体が生まれ,その後,分裂や新団体の設立などを繰り返し今日に至っている。
  • (9)田中三蔵「旧態依然の団体展を疑う」『朝日新聞』(1993.9.18)
  • (10)同上
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