芸術論集/Japanese Contemporary Painters[3]―シートン・ホール大学での講演より―

Japanese Contemporary Painters[3]

 ―シートン・ホール大学での講演より―
(島根大学教育学部美術科教育研究室/美術論集第5号/平成11年3月)

3. Part.2の作家について

 実際に紹介したのは赤塚祐二、吉澤美香、丸山直文、森村泰昌の4人だが、このグループに筆者が候補として挙げていたのは、他に辰野登恵子、野田裕二、小林正人、小林良一、中村一美、児玉靖枝、吉川民仁、東島毅などの各氏だった。
 筆者がこのグループのテーマとして考えていたのは、「絵画の可能性」といった問題でであった。周知のように近代において最高の自我表出を誇った絵画という芸術は、最小限のシステムにまで還元されてしまい、1970年代にはほとんど瀕死の状態にいた。その不可能性の荒地の中から、今や絵画は再び大きな果実を膨らませようとしているように見える。絵画が復活したと感じさせてくれるような表現が80年代から次々と現れている。
 それらが上に挙げた作家たちの作品である。絵画の再生については様々な議論や解釈があろうが、筆者には、平面上の空間性−絵画の持つその全体性、無限性−がつきることがないということへの確認が、この危機の中からまた徐々に芽生えているのではないかと思える。絵画はそれほどまでに強靭だというのが実感である。
 その絵画の再生という問題の軌跡を、筆者がこれまで何度か用いた「平面」と「絵画」という用語の解釈を示すことで、整理をしておきたいと思う。なぜなら二次元状の形態を「絵画」と呼ぶか「平面」と呼ぶかで、その認識に決定的な違いがあるからである。さらにここでは「絵画」を70年代−つまり「平面」の時代−を隔てて「絵画@」と「絵画A」に分けて考えたい。「絵画@」と「絵画A」も決定的に違うものである。
 絵画@−従来から制度としてある絵画。つまり二次元の上に三次元を表現するイリュージョンとしての空間が確立されているという前提に立つもの。20世紀においてこの絵画は純粋化の名のもとに自立的な絵画的空間を獲得してゆき、次第に平面化していく。
 平面−近代における平面化の当然の帰結として、1960年代末〜70年代にその構造、形態の還元化が極まり、ミニマルアートと呼ばれる、絵画としての空間を非芸術としての材料(キャンバス、絵具、素材)の物体としてのありかたと重ね合わせた芸術が現れる。ここにおいて絵画としてあったイリュージョニズム、表現された個別的表面は消え、その後は「平面」という物理的な二次元を表す用語が一般的になった。
 絵画A−平面と化した状況を受け入れ、つまりこの絵画の歴史的文脈を認識した上で、なおかつ絵画という表現形式にこだわり、表層としての場に対して何らかの世界を描き出す意志を持った作品。現地点で絵画に対するどんな原理や方法も自明なものはない中で、「これが絵画と呼ばれるものか」という問いに、自ら作品を持って答えられうる質を有しているもの。
 この「絵画A」は80年代に流行したニューペインティングとは無縁なものである。ポストモダンの名の下、既成のイメージの引用、歴史の参照、私的なイメージの使用、それらをごちゃ混ぜにした表現主義的作品の登場は、強烈な衝撃をもたらしたが、最終的には「絵画」と呼ばれる深みとは触れ合うことなしにファッション的な流行として通り過ぎた。絵画とは限られた画面の中に、矛盾や不可解さをも包み込む層のような構造(先にふれた「全体性」)を持ったものだ。
 先ほどの分類に従うと、本稿で取り扱う作家はおおよそ次のようになる。
 絹谷、有本、櫃田、玉川などPart.3の作家の多くは「絵画@」に含まれる。彼らは絵画という旧来の制度に則りつつ、各々が個人的に刺激的な形象と空間を生み出している。
 荒川、河原、靉嘔らの作品は絵画としてやることがなくなったという認識のもとに制作されているので「平面」と呼ぶものになろう。60〜70年代をくぐりぬけた作家は絵画や彫刻と言うことを(時には表現という言葉さえ)極端に避け、平面、立体と言うようになる。
 堀浩哉や野田裕二、辰野登恵子らはこの平面という呪縛の中から、ここで言う「絵画A」を生み出した先駆者たちである。彼らは70年代の平面の問題と格闘し、様々な思考の果てに絵画という新鮮な息吹をそそぎ込んだ。その功績は甚大である。この章の冒頭で挙げたような作家たちは、その素地の上で素直に絵画の発生という問題そのものに立ち向かっているように思える。また、堂本右美や石川順恵などはその有望な後継者である。
 この絵画の再生の道筋とそれを担った作家たちは、90年代の次の展覧会によって辿ることができる。「形象のはざまに(Among the Figures)」展(1992−93:東京国立近代美術館、国立国際美術館)、「絵画考−器と物差し」展(1995:水戸芸術館)、「視ることのアレゴリー(1995:絵画・彫刻の現在)」展(1995:セゾン美術館)、「絵画、唯一なるもの(PAINTING-SINGULAR OBJECT)」展(1995−96:東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)、「VOCA」展(1994年以降毎年:上野の森美術館)などである。
 これらの展覧会を見ると、90年代半ばには絵画の復活に対する信頼が確実に育ったことがわかる。しかしながら、例えば最近の「VOCA」展などを見ると、ここで挙げた作家に続く、または越える存在を発見することはできない。平たく言えば最近の「VOCA」展はおもしろくないのである。絵画を問いながら制作する姿勢の維持には膨大なエネルギーがいるし、ひとたび安易な道に入るとたちまち絵画から滑り落ちてしまう。当然の事ながら絵画という前提が生まれたわけではないのである。
 最後に森村について記しておかなければならない。森村は周知の通り、今や世界的に注目されているユニークな存在である。彼はこの「絵画」の問題の外にいるが、現代日本美術の広がりを少しは伝えたいと思い、多少中途半端であるがあえてここに入れた。
 それでは講演で述べたことをまとめておく。

 赤塚祐二(1955〜)
 「untitled 019111」(1991)、「hana 119111」(1991)、「Canary 59312」(1993)などの作品計6点を紹介した。
 油絵具に蜜ロウを混ぜ塗り、削り、擦り、拭き取るといった彼の制作過程によって立ち現れてくる茫洋とした褐色の塊のような形態が、いかなるモティーフ、イメージや意図などといったものからも離れ、絵画としか呼びようのないものになっているとし、それゆえ赤塚は絵画の発生に立ち会っていると述べた。

 吉澤美香(1959〜)
 「は−9」(1990)、「は−10」(1990)、「と−62」(1993)などをスライドで示し、これらがアクリル板に印刷用インクで描かれていることを説明した。
 そしてこの具象でも抽象でもでもない未知の形が既成の意味作用から逃れて、独自の視覚言語として働いていることや、またここに原初的なドローイングの歓びがあることを述べた。

 丸山直文(1964〜)
 「DHL」(1991−92)、「MAS」(1992)、「Cluster」(1992)などを挙げ、「ステイニング」の技法による彼の絵画の特徴について解説した。
 ミクロの世界が拡大されたような、また写真のぶれのような映像効果を持つ彼の絵画は、拡散と収縮の両方のイメージを宿す一種の錯視的な経験を促す。このような新しい視覚体験をもたらす彼の作品は今日の絵画の可能性を示していると述べた。彼の最近の仕事には拡大された顔や風景のイメージが現れてきているが、これについては触れなかった。

 森村泰昌(1953〜)
 「肖像(ヴァン・ゴッホ)」(1985)、「批評とその愛人A.B.C」(1990)、「Brothers(A late Autumn Prayer)」(1991)、などを挙げ、よく知られた西洋の名画の中に、変装した自分の姿を挿入させ、虚構の虚構としての写真作品を制作する彼の手法について解説。
 このような名画をキッチュに再構成した作品は、美術史への挑発的な批評に試みであるとともに、倒錯したオマージュともとれると説明した。最近のビデオや雑誌など、様々な媒体による活動についても言及した。

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