芸術論集/現代日本絵画の一断面・4
現代日本絵画の一断面—アクリル技法を通して—[4]
Aspects of Contemporary Japanese Art—through Acrylic Technique—(島根大学教育学部紀要(人文・社会科学)第27巻2号/平成6年3月)
5.おわりに
本稿ではコンクール,公募展への出品作品を対象として,素材による今日的表現へのアプローチを行い,特にアクリル絵具という新しい絵具の特質と表現方法との関わりやその意味を探ってきた。おわりにアクリル技法の変遷の一例を私自身の二作品を比較して見てゆき,その中から今後のアクリル技法の課題を考えてみたい。
一つは,1983年,第15回現代日本美術展に出品した「24 CUBIC STUFF」という作品である。(図版5)私は1978年にアクリル絵具を使い始めた。その最初の作品が「CUBIC STUFF 」のシリーズの第一作で,1983年までこのシリーズを続けた。「24 CUBIC STUFF」はこのシリーズの最終的段階の作品である。つまり,このような表現の為に私は油彩からアクリルに転じる必要があったということである。私はここで,1960年代の
「ポップアート」に見られるようなニュアンスのない色面,工業的な質感でパターンの遊戯的な変化や繰り返しによる無表情,無内容で記号的な画面作りを目指した。それは今日の記号的社会とのアイロニカルな対応を意図したものである。その為にビニール的発色,展色性を持つアクリル絵具を使用し,マスキングテープによるハードエッジ,エアーブラシ,みぞ引きなどの技法を用いた。この作品のコンセプトとアクリル技法は,前章のハードエッジ技法とエアーブラシ技法で述べたことと重なる。
安井賞展のところで触れたが,当時はまだ,タブローとしては油絵が絵画の王道であるという油彩の絶対性が生きていた。私が油絵具の重さ,粘り気,情感などにどうしても耐えきれず油絵からアクリルに転じたとき,アクリルのからっとした素材感による解放感とともに,油絵の伝統的重みの呪縛から逃れられた解放感を感じた。美術史を学び油絵をそれまで描き続けてきた者は,多かれ少なかれ勇気と決断を持って油絵具を捨てたのだと思う。
二作目は,1989年,第39回モダンアート展に出品した「PEANUT PLAN 」である。(図版6)この作品は中央に大きなピーナッツを描き,周囲にはその形態からの私的なイメージの連鎖から生まれた形をちりばめたものである。ピーナッツと他の形態は論理的な関係で結ばれているわけではなく,観念の操作や偶然性の利用により形の増殖や画面の組立をしている。これは色や形態の遊戯的展開を目指したもので,そこにノンセンスなユーモアを引き出そうとする狙いがある。使った素材はアクリル絵具,ルミナスカラー,パールカラー,オイルパステル,色鉛筆,木炭,ジェソ,モデリングペースト等のミクストメディアである。技法は孔版による転写,ジェソのドリッピング,スクラッチ,モデリングペーストのマティエール,ハードエッジ,エアーブラシによる線描,スタンピング等,前章の技法がほとんどすべてが使われている。
わずか六年ほどの間に,コンセプトとしては通底しているところはあるものの,表現方法はかなり変化している。1970年代には,主に「塗られた平面」としての絵画の追求,非個性的な絵画への傾倒という動向がアクリル絵具の使用と結びついていた。日本の作家も個人的体質や情感を画面に留めないような平面的な平塗りやハードエッジ表現,エアーブラシ技法を有効な表現手段としてきた。「24 CUBIC STUFF」ではまさにこのことのためにアクリルが有効であった。しかし,モダンアートの終焉とも言うべき「ミニマルアート」の後,非個性絵画に対するリアクションとして絵画の中に再びイメージを求める傾向は現れてきている。「ニューペインティング」以降のポストモダンと呼ばれている折衷的表現様式の評価はまちまちであるが,感情を極力殺した表現からの脱却は始まっていると見てよいのではないか。このような動向の直接の影響ではないが,「PEANUT PLAN」の中でドリッピングやジェソの拭き取りの跡,鉛筆やオイルパステルのストローク,エアーブラシの線など,手の軌跡を視覚化するような表現をしているのは,画面の中に私を恢復する手段である。そのため素材や技法も多様になっている。しかし表現として成功しているかは別である。少なくとも「24 CUBIC STUFF」のような完結性はない。現在のアクリルの多様な表現の中に70年代に見られたものではない新しい表現に向けての作家個々の格闘を認めることはたやすい。特に日本絵画は世界的潮流とは別の,閉ざされた個性的表現への極私的な取り組みが溢れている感があり,その表現の多様性に目が眩む思いである。しかし,技法が多様になれば画面が豊かになるというわけでないことは明らかであり,私自身もそうであるように,自らの表現を結実させるためにアクリル技法をどう生かすべきかは難しい問題になっている。
アクリル絵具が誕生して30年あまり。今ではアクリル絵具を使うことの躊躇いはほとんどないであろう。そしてその技法はますます複雑化,多様化している。現時点ではもうすでにアクリル絵具を使えば新しい絵画が生まれるとは言えなくなっている。1970年代に油絵具からアクリルに描画素材を変えた作家は,そのことで古い油彩の体質から脱却し新しい表現に向かう姿勢を持てた。しかし,ここへきて表現の停滞も起こってきているのではないか。アクリル絵具の万能性が重宝されすぎたきらいがある。このきわめて便利な素材に溺れこむことによって作家が素材に持つべき鮮烈な葛藤を避けてしまう危険性も生じてきているように思われる。アクリルに対する批判,それも使いづらさという点でなく根本的な批判もいくつか見受けられる。
「ここまでアクリル絵具が実生活に浸透した現状から再び油絵具というきわめて優れた素材を見直してみるとき,そこにはアクリル絵具のもつ画一的な性格からは得られない多くの特質を再び認識することができよう。」(18)という近藤竜夫の言葉は,30年前に油絵具が唯一の描画素材でなくなったように,アクリル絵具についても柔軟な取り扱いが要求されていることを示唆している。また若手の作家である藤浩志が,
「能率的合理的作業の素材としてはコンピューターのペイントソフトにかなうことはないし,体験的素材としては妙に管理されすぎている。すぐに固まってしまう為に油絵具や日本画顔料の様に最後の一粒まで宝物のように粒子を感じることもできない。アクリル絵具は実に中間的なあいまいな所にあるような気がする。『コンビニ感』『使い捨て感』がつきまとうにもかかわらず,けっこう扱いにくい。何にでもペイントできて,発色も保存もいいようにみえて,いざ無計画に使ってみるとけっこう安易な作品を作ってしまう。住宅地のなかにどこにでもあるマルエツの衣服売り場で体日にみかける子供連れの家族のようなイメージがアクリル絵具にはある。なぜかアクリル絵具は悲しい。」(19)と言うとき,そこには30年前のような期待と熱狂は微塵もない。
アクリル絵具もターニングポイントを向かえているのかも知れない。しかし,この危険性を十分認識したうえで,なお作家の求める表現に即して使い得る余地は十分秘められていると思う。例えば,今まで地塗り材として便われていたジェソが,作家が様々な使い方をしたことがもとで,今ではブラックジェソやカラージェソという表現素材として使われていること。ブラックジェソやカラージェソは,今までのビニール質で表面的な感じを与えるアクリル絵具とは異なり,非常にマットな素材であり,新しいアクリル表現に有効であると考える。また,同じくモデリングペーストやジェルメディウムがマティエール表現の為の下地材としてだけでなく,その半透明性を生かした表現素材として使われていることもアクリル絵具が時代とともに生きていることを感じさせる。
アクリルを使う作家と絵具会社との協力や相互の情報交換が進んでいることも特筆すべきことであろう。バニーコーポレーション(ペニー&スミス社)は,「リキテックス・ビエンナーレ」というアクリル絵具を使った作品の為のコンクールを開き,そこには毎回1400点もの応募がある。ホルベイン工業は奨学生制度を設け,若手作家にアクリル絵具を支給し,また「アクリラート展」という展覧会で発表の場を与えている。そして,奨学生のレポートをもとに「ACRYLART」という雑誌によって作家の紹介,絵具やメディウム類の科学的解説をし,また,自社の新製品の開発にあたっている。
今まで絵具会社と作家がこれほど緊密に協力関係を作り上げたことはなかった。それは作家が素材についてより真剣に考えだし,絵具会社は作家が求める表現についてより真剣に研究しだしたということである。これらの事も新しいアクリル表現を期待させるに十分であろう。
しかし,問題は絵具そのものよりも作家の姿勢であろう。素材,絵具の本質を理解の上で何を選択するか判断をするためには,何よりも明確なコンセプトがなければならない。アクリル絵具はその多くの特質によって造形表現の幅を大きく拡げてきたが,それらを使いながら捨てていく,捨てながら切り詰めた表現に向かう強さが必要なのではないだろうか。
[註]
- (18)近藤竜男「簡素な表現への指向と非個性絵画」『美術手帖 4月増刊』
(美術出版社,1979)p.111 - (19)藤浩志「アクリル絵具は悲しい」『ACRYLART,別冊1993』
(ホルベイン工業株式会社,1993)p.137